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「おっしゃっている意味が私にはよく分からないのですが、
確証はないというのはどういうことですか?」
確証はないということはエメラルドかどうか分からないということなのだろうか?
それなら、正真正銘エメラルドだという意味がない。
正真正銘のエメラルドだけど、そうは見えないということ?
偽物のエメラルドだと言われたほうがまだ納得が出来る。
ルイスはワンダの問いを聞きながら、緑の宝石を手に取りしげしげと眺める。
窓から注ぐ日の光がエメラルドに反射してワンダの目には痛いくらいだったが、ルイスはその反射をそのまま眼に移しこんでも眩しそうにもせずにただじっと眺め続ける。
「君にはこれがエメラルドに見える。
そのことに間違いはないかね?」
「はい、目利きにはそこまで自信はありませんが…。」
自信はないが下手な嘘を吐く理由もないためワンダは頷いて肯定する。
宝石を元の位置に置いたルイスは腕組みをしてたっぷりと間を置く。
「私にはそこら辺に転がっている石にしか見えん。」
「え…?」
そこら辺の石?
そこら辺の石とはそこら辺に落ちている石ってことよね?
大粒の光り輝く石がそこら辺に落ちているなんてお伽話のような話、見たことも聞いたこともない。
助けを求めるようにワンダがハイネの方を見るがこくりとルイスの主張に同意するように頷く。
「俺にもどこにでもある『普通』の石に見える。
もっと言うと、この石は殆どの人間にはどこにでもあるただの石ころに見えるはずなんだ。
でも、魔宝石商として鑑定すると、魔力は正真正銘のエメラルド。
だから、これはどんなに石ころに見えてもエメラルドという他ないってことさ。」
じゃあ、なんで私にはこれがエメラルドにしか見えないっていうの?
ワンダの中に込み上げるのは間違いなく恐怖だ。
他と違うということは特別だということでもあり、
特別に憧れを感じないこともない。
しかしながら、他と違うことは必ずしもいいことではないとワンダはよく理解していた。
特にワンダのこれまでの仕事はその他大勢やその場の状況を把握して、
ソニアをどう見せるかを考えることが多かった。
その為に一般的な見え方や、貴族社会なら貴族社会でどのように考えられているかを理解することは重要な技術として捉えていたのだ。
だからこそ、最初に宝石に対する意見を求められた時に、先ず思い浮かんだのはソニアの夜会での装いについてだった。
ワンダは冗談であって欲しいと無理矢理引きつった笑みを浮かべてハイネとルイスを交互に見つめるが、二人にからかっているような様子は微塵もない。
それどころか神経質なルイスの顔貌はどんどん厳しいものになっていっていることに、ワンダは更なる不安感を感じざるを得なかった。
「でも、私にはエメラルドに見えます。
何故ですか?ルイス教授?」
これまで自身の見当に不安感なんて感じたことはない。
むしろ、見当の良さで仕事を任せられていたくらいだ。
ワンダは自分が可笑しくなっているのではないかという恐怖でルイスに詰め寄るがルイスは眉間の皺を深くして黙り込んでしまう。
「おいおい、なんつう深刻な顔してんだよ?
聖夜祭の選定の儀に使われていた悪魔のエメラルドだぞ?
エメラルドに見えることは悪いことじゃないだろ?」
聖夜祭の選定の儀?
それに悪魔?
ハイネの口から不穏かつ、
知りたくとも知れずにいた語句が次々と紡がれる。
「なんですか?それは?」
「ああ、この石は星読みが持っていた『幸福のエメラルド』に悪魔が『ただの石』に見える魔法をかけたっていう逸話が残っているんだ。
最近じゃこの石も日の目を見なくなったが、
魔力測定器が開発される前まではこの石を使って魔力の強い少女を選定…つまり神の愛し子を選定していたこともあるくらいだ。
『強力な魔力を持つ者は悪魔の魔力に惑わされずエメラルドに見える』って訳さ。」
強い魔力を持っていれば他の魔術に掛かりにくいというのはよく聞く話で、
このエメラルドは一定以上の魔力を持たない限りは石に見える魔術がかかっているということらしい。
「だから、掃除係くんは魔力が神の愛し子並みに強いってこった。
な?悪いことじゃないだろ?」
自信満々の笑顔で言うハイネには一切の悪気は感じられない。
確かに魔力はあるに越したことはないものだ。
しかしながら、それは有り得ない。
それは隣にいるルイス教授から先程散々力説されていたし、何よりもこれでの人生で魔力らしきものを感じたのは、それこそ最後にあの悪魔と話した日が初めてだ。
魔力があるといわれるより全くないと言われる方が納得できるなんて…
私もまったくもって捻くれている。
「ですが、私には魔力がない…そうですよね?ルイス教授?」
「ん?じゃあ、なんで見えるんだよ?
有り得ないだろ…なあ?」。
ワンダもハイネもルイスの方に顔を向け、答えを求める。
ルイスはその視線に不快そうに目を向けると考えこんでいた両手を降参するように小さく挙げる。
「有り得ないことが起こっているのであれば、
それはもう有り得えているということだろう。」
「なんだよそれ、お前教授だろ?頭いいならちゃんと説明しろよ。
そもそも魔力がないなんていう話も聞いたことがないってのに魔力がないのに魔力に拐かされないなんて…もうさっぱり意味がわからんだろ。」
「勿論、私の頭は素晴らしくいいがこんな意味の分からんことは専門外だ!!
しかし、現状そうとしか言いようがない。
私だって有り得んと思ったから彼女をここに連れてきたのだよ。
だからこそ、エメラルドに見えた時のことも考えてお前に解放の術式を組んだ魔宝石と召喚石を持って来させた訳だ。」
「解放の術式と召喚石?」
聞いたことのない言葉を復唱すると、ハイネはエメラルドと共に持ってきた見たことのない魔宝石らしき二つの石を指差した。
「白い方の魔宝石は魔力を封じている者の魔力を一時的に解放させる時に用いるものだ。
青い魔宝石は上級の召喚石で魔力が一定以上あるものだと妖精や精霊なんかを召喚することが出来る代物なんだ。」
ハイネが説明し終わるとルイスが言葉を付け足す。
「魔力が封印されていたからこそ、
魔力がないように見えていたという可能性はこれでほぼ潰されたということだよ。」
ハイネの眼は何となく疑うような視線に変わる。
私がルイス教授やハイネさんだったら次に疑うのは「エメラルドに見える」ということだ。
でも、どう見てもエメラルドにしか見えない。
私は嘘を吐いてはいない。
偽名を使って他人に成りすましている身の上だ。
『サリバン先生の掃除係』として生徒に認知されつつあるが、基本的には誰かの記憶には残りたくはない。
むしろ、知っていたら「石ころに見えます」と嘘を吐いていただろうと思うくらいなのだけど…。
全員が黙り込んでそれぞれの思考に集中していたが、突然ルイスが立ち上がった。
「意味は分からんが、分からないからこそ流石はサリバン先生ということだろう!!」
「ん~まあ、そうか。
そうだな、サリバン先生だもんな!!」
ワンダは納得が行くはずもなく眉間に皺をよせてルイスをみたが、ルイスだけではなくハイネもすっきりとはしないまでも一定の納得はした様子らしく同意し始める始末だ。
「そうだ!流石はサリバン先生!!
こんなに珍しいものを見つけられるなんて素晴らしい!」
ルイスは既にサリバンを讃えるスイッチが入った様子で目を輝かせて讃える言葉を唱え始めている。
「ハイネさんまで同意するなんて…。」
「俺はルイスのようにサリバン先生が素晴らしいから納得している訳じゃない。
ただ単に人外の考えていることを理解する方が無理だろ?」
ハイネはごく自然にサリバンを人外と言った。
「ハイネさん…知っていたのですか?」
「ああ、君も知っているんだろう?
俺はルイスの契約に加担しているから、俺もサリバン先生に隷属の身の上だ。
そもそもアイツがサリバン先生にたどり着いちまったのもアイツの星を読んだ俺のせいだからな。」
ワンダはぎょっとして目を見開くとハイネはからりと笑う。
「掃除係くんは真面目なんだな。」
「……ハイネさんは星が読めるのですか?」
悪魔との契約の話には何も言えず、星を読んだということに触れる。
星読みは古典魔術の分野にあたり魔術の中で最も魔法に近いと言われている予知能力の一種である。
物語にはよく出てくる人物だが、町にいる自信を星読みだと言って商売している者たちは大体が何の根拠もないほら吹きばかりで星読みと名乗る人物は大体胡散臭いとワンダは思っていた。
もっと言えば、アルテ魔術学園に来て、古典魔術の教授が星読みを研究しているということを知るまでは星読みは全員詐欺師だと決めつけていたくらいだ。
それに高級な紳士服を着たそれなりに体格のいい紳士であるハイネさんが星読みだなんて何となく嘘のようだ。
なんというか、もっと神秘的というか…それこそ真っ白な髭を豊かに蓄えた古典魔術塔の教授みたいな人の方が説得力がある気がする。
「ああ、家の家系は初代から代々星読みが生れる。
初代が魔宝石商を始めたのも星読みには魔宝石が必要だからだ。
今は真似事しかできないんだけどな…。
そうだ!君の星も読むってのはどうだ?」
「私の星をですか?」
とても興味深い話だ。
星読みは今後の吉凶だけではなく、危険も察知することが出来るという。
貴族の婦人の噂話ではちゃんとした星読みに読んでもらうのはかなりの財力が必要だと聞く。
星読みに星を読んでもらう機会などワンダのような身分の人間には体験することはできない貴重な経験だ。
占いなどは信じる方ではないが、好奇心はある。
「まあ、正確なものは無理だ。
全体的で曖昧な…本当に占いのような真似事でいいならだが。」
「お願いします。」
ほぼ即答でワンダが頷くとハイネは「少し待ってな」と言って部屋から出ていく。
「なんだ、星読みか?」
「占いのような簡易的なものだと言っていましたが読んでくださるそうです。」
「アイツの星読みは稀に見る精度だった。
今は精度も糞もないただの真似事だが、それでも巷のものよりも遥に的を射た読みだろう。」
一瞬、ルイスの顔が曇ったが、すぐにそれはなかったことのようになる。
ワンダが曇りの理由を聞こうかとしている間にハイネが大きくて古い木の宝石箱を持って現れた。
重そうな木の箱は繊細な模様が彫られており、箱自体が美術品だと言っても過言ではない。
ハイネが宝石箱の金属の鍵を開くと、眩いばかりの細工されていない宝石が姿を現す。
この箱とその中のものを合わせると幾らくらいになるのだろう?
何食たべられるだろう?
と宝石の美しさよりも値段を考えてしまう自分の矮小さにワンダは半笑いになりそうになる。
ハイネは部屋の椅子や机などをどかし始めたためワンダも右に倣えとそれを手伝う。
大きな黒い紙を敷き、
宝石箱に入っていた綺麗な瓶詰の黄金色のインクやら器具を取り出すと魔術陣のような図形のような物を描いていく。
ワンダの知識では正確なことは分からないが、両脚器やら定規に似たものを用いて描かれるそれらは確かに星を見るときに使われるよく分からない器具に似ているような気がする。
「よし、これでいいな。
うーん、でもどうするかな?
魔力がないなら相性のいい魔宝石が分からない。」
「なら、全部使えばいいだろ。」
「最終的に読むのが難しくなるだろうが!」
投げやりにそういうルイスにハイネは整えられた髪を崩すようにガシガシと頭を掻く。
「んーまあ、そうするきゃねぇか!
じゃあ、待たせたな、ここに立ってくれ。」
ハイネは綺麗な図形のような円陣が描かれた紙を指差す。
この上に乗るの?
こんなにも丁寧かつ綺麗に描かれたものを踏むのはとても気が引けて、せめてと思いワンダは靴を脱ぎ、なるべく図形を汚さないように恐る恐る乗っかった。
ハイネはその図形の上に宝石箱の宝石を手慣れた手つきで置いていく。
宝石箱には想像以上に多くの宝石が入っていたようで全て起き終わったころには両手を広げた以上の大きな魔術円陣が出来上がっているような状態になっていた。
「まるで何かの儀式みたいですね。」
「間違いなく儀式の一種だ。」
ワンダがぽつりとつぶやくと鼻で笑うようにルイスが答える。
「ここまで大規模にするつもりはなかったんだけどな。
じゃあ、始めるぞ。」
「私はどうしていればよろしいのでしょうか?」
「動かず考えず自然にしていたらいい。」
何も考えないようにと言われると何か考えてしまうじゃない。
そう思っている間にハイネはきっちりとしたジャケットを脱ぎ、タイとシャツのボタンを緩め、しゃがみ込んで円陣に手をつく。
「『瞬く物、眩む物、夜に光る星々よ、矮小なる我らに示唆を、彼の者の姿に光を与え給え。魔術円陣第十二、星の慧眼。』」
ハイネが全て唱えると宝石が浮かび上がり、ワンダの周りで円を描くように周回する。
規則的にも変則的にも見えるそれは眩しくはないがどれも輝いており、まるで星降る夜の夜空のようだ。
あれ…?
ふと、先ほどのエメラルドもその周回の中に溶け込んでいるのに気が付く。
これも星読みに使う物だったのね。
エメラルドをぼんやりと眺めていたワンダだったが、そうしている間にも幾つかの石はことりことりと音を立てて床に転がり落ちていき、数十秒で全ての石が転がり落ちていった。
「よし、もう動いていいぞ。宝石を動かさないように円陣から離れてくれ。」
ワンダは慎重にその場を離れ、脱いでいた靴を履く。
ハイネは真似事しかできないと言ったが、星読みの信憑性はどうであれ、とても美しく貴重な体験をできたことにワンダの胸は高鳴っていた。
羊皮紙のハイネが何かを書きとっていくのをルイスと共に静かに待つ。
「努力、規則、高慢、自負、示唆、中庸。
劣等、否定、拒否そして虚構、命運。そして夜空。」
ハイネから紡がれる言葉にワンダは冷やりとする。
真似事とはいえ虚構など心当たりのある後ろめたさに何でもない顔をするのが精一杯だ。
「……んん?なんだ?なんだこりゃ?」
「なんだ?」
「えっ、なんですか?」
ハイネの指の先にはエメラルドが輝いている。
「国の位置に悪魔のエメラルド?しかも方角が反転している。
これも入れたのか?」
「いやぁ?規定通り置いたつもりだったのに…可笑しいな混ざってたのか?」
首を捻りながらハイネはうんうんと唸る。
「あまり見たことがないから何とも言えないが
このまま読むと悪魔のエメラルドが『傾国』の星の元に生まれたことを指し示すことになるな。」
傾国と聞いてルイスはワンダを見るとプッと吹き出して笑う。
「国を傾ける女にしては貧相だな。」
「確かにその通りです。
それに傾国なんて…あまりに不吉ですよ。」
明らかに失礼な話なのだがワンダはルイスの言葉に反論する気はなくむしろ強く同意した。
傾国の星に生まれた歴史上に悪女の名前が浮かべて、その人々と自分の差に顔をしかめる。
今の時代に傾国の美女と言われてワンダが納得してしまうものがいるとするなら、孤高の美しさを持つソニアやはたまた人を魅了する可愛らしさを持つ『マリー』くらいのものだ。
自分を卑下するつもりはなくても笑い話でしかない。
「まあ、今の俺の読みなんて大したことないざっくりとしたもんだ。
掃除係くんは基本的に真面目でプライドが高い。
虚構が命運を握るらしいから嘘には注意しろ。
後は近接に『夜空』が示されているから天体観測でもしてみるといいんじゃないか?」
確かに普通の占い師でも巷の星読みでも同じことを言ってきそうな内容だとは思いながらも、
貴重な体験にワンダは素直に礼を言う。
「心にとめておきます、ありがとうございました。」
ワンダは綺麗な礼をすると、片づけ始めたハイネを再び手伝う。
全て元通りにすると一連の片づけ手伝うことなどしなかったルイスが一仕事終えたように「帰る」とハイネに告げスタスタと特別室から出ていく。
「おう、またな。
掃除係くんもまた来てくれ、今日の読みはイマイチだったからな。
勿論、サリバン先生と一緒に来てくれても構わない。」
「サリバン先生と一緒に来るなら私も行くからな!!!掃除係如きが…!!抜け駆けは許さんぞ!」
部屋から出ていったはずのルイスが扉から顔を出して叫ぶ。
なんてという地獄耳…悪口なんて言えた者じゃない。
ワンダが曖昧に笑うとルイスは今度こそ、出ていったようだ。
再度ハイネに礼をしてワンダはルイスを追って部屋を出た。