34
「それに怖い…
いつの間にか悪魔と契約してて、自分の名前を思い出せないって。」
「私もそのままにするのは得策だとは思えないわ。」
「あの…ウェンディさん、助けてもらえませんか。」
助けを乞う手にそのまま手を差し伸べたくなるのをワンダはぐっと抑え込んだ。
「…助けることはできない。」
助けを乞う声にワンダはあえて厳しい表情と硬い声で言う。
「え…」
突き放された少女は小さく声を漏らした。
そんな少女の肩をワンダは掴む。
「私もやらなければいけないことがあってここにいるの。
私の目的と貴女の目的が交わらない時は貴女を助けたくても助けられない。
だから…貴女の名前は貴女が取り戻しなさい。
貴女を助けることは出来ないかもしれないけど、手伝いはするわ。」
この子がソニアお嬢さまの敵になるなら、私はこの子の敵にならなくてはならない。
でも、この子を放っておくことも、もう私には出来そうにない。
理不尽に巻き込まれた少女が一人でこの世界でも歩いて行けるようにと願うくらいさせて欲しい。
頭の中で美しい悪魔の双眸が妖艶に弧を描いたような気がしたが、それは自身の妄想でしかないとワンダは知らないふりを務める。
「十分です!!わたしの方こそ無茶なことをいってごめんなさい!
ウェンディさんもお仕事があるのに…つい頼ってしまって!!」
お嬢さまにもこの子にもどっちつかずになっている自分自身をワンダは恥じていたが、
そんな内心を知らない少女はとんでもないという風だ。
「でも…わたし、何をどうしたらいいか…。」
「何をしたらいいか分からないのは私も同じよ。
悪魔なんてこの世界でもそうそう出会える存在じゃないし、
別の世界から召喚されたと同時に悪魔と知らない間に契約させられていましたなんて
上流貴族も高名な魔術師だって何をどうしていいかきっと分からないわ。」
まあ、とても近くにいたのだけど。
頭の中でぼやきながらもワンダは話を続ける。
「…そうね、まずは貴女の名前を奪った悪魔の手がかりを探しましょう。」
その悪魔を見つけられればこの意味の分からない状況の解明の糸口くらいにはなるだろう。
この提案は少女のためでもあるが、ワンダのためでもある。
もともとはソニアお嬢さまが聖夜祭の儀式の生贄になる予定だったがそれが『マリー』に差し替えられた。
しかし、『マリー』は『マリー』ではなく異世界の何も知らない少女だった。
ワンダが分かっていることと言えばそれくらいだが、それが何を意味しているのか全く持って分からない。
そもそも、生贄を使うまでそうまでして行われる聖夜祭が一体何たるかということさえ分からないのだ。
少女の名前を取り戻す為に悪魔を探すのは恐らく必要な行為ではあるし、
『マリー』を作り出した悪魔ならワンダが知りたいことを知っている可能性がある。
つまり、現状少女に必要なこととワンダが欲しい情報は一致していると言っていいはずだ。
「幸い、貴女にはこの国で最上位級の魔力という武器があるじゃない?
私や他の人間は妖精や精霊とは話せないけど貴女は話せるのよね?」
「はい、妖精さんなら力を貸してくれると思います。」
流石は神の愛し子と言ったところで普通出来ることではない魔のものとの交流をなんでもない様子で頷く。
その様子にワンダは昨日苦汁を飲んだ魔術書たちを思い浮かべる。
そうか、この子は私にないものを持っている。
あの魔導書の中身もこの子なら…読めるかもしれない。
しかし、禁書を読むことが出来ても読む方法はあるだろうか。
まだサリバンの研究室にあるならサリバンに頼んで貸してもらうとか?
悪魔のサリバンに頼み事をすることはワンダとしては避けたい方法である。
なら、正式に借りるしかないけど…
「ウェンディさん?どうしました?」
「ねえ、図書室の禁書を読む方法って思いつかない?」
「禁書?ですか?」
「禁書棚には悪魔関連の魔導書があるって聞いたことがあるのだけど…
当たり前だけど禁書は危険だから禁書なんじゃない?
読むためには申請が必要だから…どうしたものかとね。」
少女は腕を組みしばしの間考えると、何か思いついた様子で手をぽんと叩いた。
「カーティスくんなら禁書棚の本を借りれるかもです!」
「カーティスくんってアルテ魔術学園長の孫カーティス・オールストン?」
「凄く頭がよくて色々な魔術を勉強してるんです。
この前、悪魔の魔術の研究もしてて図書室もよく使ってるって言ってました!」
どうでしょう?と閃きを瞬かせていう少女に、ワンダは成程と頷いた。
そういえば少女の取り巻きの中に魔術師として頭角を現している学園長の孫カーティス・オールストンがいた。確かに、彼なら怪しまれずに魔術研究の為だと言って禁書を借りることが出来るかもしれない。
「でも、彼に言って悪魔について調べられる?
貴女も流石に知っていると思うけどこの国で悪魔関連の魔術は禁忌よ?
悪魔について調べているっていうのは…異端というか怪しすぎるけど…。」
「多分、大丈夫だと思います。
カーティスくんの方が色々ギリギリに怪しい研究してますから。」
食堂で見たカーティスは少女めいた可愛らしい容姿をしていたが、人は見かけによらずなかなかに危ない男らしい。
「それならいいけれど…
じゃあ、私は他から調べてみるわ。」
丁度いい具合に昼休みの鐘の音が響く。
ワンダと少女はその音を合図のようにしてゆっくりと温室を出る。
温室の外は変わりなく生徒たちの姿があり、いつも通りの学園といった雰囲気だ。
あの空気が割れるような魔術のような現象も嘘だったようで、ワンダはやっと密かに続けていた臨戦態勢を解いた。
あれは一体何だったの?
眉間に入ってしまっていた皺を指でほぐすと少女に見つめられていることに気付き、ワンダは少し低い位置にある視線に目を合わせると首を傾げた。
こんなに私を見つめるなんて…まだ何かあるのかしら?
ふと、ワンダの視線が外廊下を通る女子生徒たちの方に向く。
そうか、教室や食堂にもどるとこの子は同級生からの陰口と戦わなければいけない。
それは勇気のいる行為だろう。
「教室、行けそうなの?」
「え?…ああ、そうですね。
教室も行かなきゃですね。ああ~~~嫌だなー。」
ワンダの心配は見当はずれだったようで、少女は思い出したように憂鬱な表情をして地団駄を踏んだ。
「何事も無理は駄目よ。
勉学は大事だけど、この国の平民は勉学が必須じゃないのだから。」
まあ、その選択で『マリー』になってしまった少女がどうなるのかは分からないのだが。
「ウェンディさんって……」
そう言って少女はまた先程と同じようにワンダを見つめて言葉を止め、くすくすと笑った。
笑われていることに居心地の悪さを感じたワンダは「なんですか?」と話を促す。
「いえ、言ってもきっとウェンディさんは否定するから言いません!!
それに、心配しないで下さい!
わたし…名前を思い出したいからなんとかやってみます!!」
そう言って少女は小さく拳を握ってやる気を見せる。
不安はなくなった訳ではないだろうが、さっきまで絶望やら悲しみやらでいっぱいになっていた少女とは思えない変わりの速さにワンダも力を貰えたような気がするから不思議だ。
生徒の多い学生食堂近く廊下まで少女に付き添うと、学園長の孫のカーティスと話す為に食堂へ行くと言い去った少女の背を見送ってワンダは小さく息を吐いた。




