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「えっと、有難うございます。今度何かお返しを…。」
「一方的な好意にお返しなんてあげちゃだめだよ。
キミはマリーとは楽しそうに話すし、彼女が作ったお菓子は素直に食べるからね。
少し羨ましかっただけさ。」
「それはそうでしょう!!マリーは…ただの素直ないい子ですから。」
ワンダはサリバンがからかって言ったことを単に返したつもりだった。
けれども、言葉に出したことで『ただの素直ないい子』をソニアの身代わりにしなければならないことを思い出し、罪悪が頭の片隅を横切っていく。
誤魔化すように手に持っていた紅茶をすすると、静かになった室内に薪がパチパチと弾ける音とサリバンがゆっくりと紅茶を飲む音だけが聞こえる。
持っていた紅茶の入った木のカップのお陰で冷えて真っ青になっていた指の爪は少し赤みが出始めていた。
少し間を開けてサリバンは話し出す。
「さて、本題にはいろうか?掃除係くん。
一応、聞いておくけど禁書は許可がないと読んだら駄目って知っているよね?」
「知っています。
許可を取ろうとしても許可が取れないであろうことも知っています。」
「鍵はどうしたの?」
「申し訳ありません。
貴方の名前を使ってナナバ庶務長に鍵をお借りして私は図書室に忍び込みました。」
「ああ、なるほどね。まあ、キミは信頼されていそうだもんねぇ。」
サリバンはうんうんと納得したように頷いた。
反対にワンダは咎められると考えていた為、納得するサリバンに居心地の悪さを感じ眉間に皺をよせた。
「咎めないのですか?」
「その言い方はまるで罰して欲しいみたいだね。」
「そうではありませんが、
貴方が私を庇う理由もありませんので…」
リントン子爵お抱えの魔術師がサリバンだというなら、サリバンはマリーを贄にすることは承知済みのはずだ。
マリーを贄にする駒である私を庇ったというなら咎めないことも罰さないことも説明が通るけど、どうしても納得できない。
だって、この人には貴族のお抱え魔術師になる理由がない。
貴族や王族のお抱え魔術師は名誉ある仕事だが、リントン子爵の爵位は文字通り子爵である。貴族と言っても、アルテ魔術学園の教授という名誉職に従事するサリバンが箔をつけるには王族のお抱えの魔術師になるくらいじゃないと不十分だ。
それに、荷馬車を移動手段に使うサリバン教授が箔をつけるためやお金のために貴族お抱えの魔術師になるとは思えないのだ。
「庇う理由ねぇ?
そうだな、キミに興味があるからかな?」
興味があるとは一体どういうことだろうか?
あまりにも大雑把で興味本位としか言えない解答にワンダは訝しげに隣にいるサリバンを見た。
すると既にサリバンはワンダをじっと見つめていたようで自動的に視線が重なる。
目が合った途端に高鳴り出す不自然な心臓の音にワンダは明らかな違和感を覚える。
…何なのよ、これ。
奇妙な胸の高鳴りに固まるワンダの頬にサリバンの指が触れる。
触れられた片方の頬はサリバンのひんやりとした手で少し冷たさを感じるのにワンダは熱いとも思った。
先程まで距離の近さに慣れず、居心地が悪いとさえ思っていたのに何故か振りほどこうという考えも浮かばない。
「…興味があるって何なんですか?一体どういうことですか?」
ワンダは不満げに言ったつもりだったが、声は思ったよりも掠れて震えたようなものになっていた。
「そのままの意味だよ。
私はキミが何を選び、誰を助けるのか興味がある。
知らないままの方が幸せなことも多いのに、可哀そうな子だ。
キミは聖夜祭に疑問を持って図書室に来たんだろ?
本は読めなかったみたいだけど、キミの疑問は正しいよ。
聖夜祭周期はこれからも早くなり贄はその度必要になる。
それこそ、ソニアの代わりにマリーを贄にしたとしても、次の贄が必要になのさ。」
そう言うとサリバンはもう片方の手も使ってワンダの両頬に触れ、顔を寄せた。
そして、綺麗な顔を綺麗に歪ませてうっそりと笑う。
「さあ、キミはどうする?
この事実を知った上で、ソニアの延命を選び、また次の贄を探すかい?
まあ、大事な誰かの為に誰かを犠牲にすることは珍しいことでもない。
アタシは正直そういう人間らしい愛と残酷さを持った考え方は好きだよ。」
サリバンは私がマリーを犠牲にしようとしていることも、
ソニアの手のものであることも、
国儀を調べようとしていたことも、
全てを知っている。
そんなこと、『普通の人間』に有り得るだろうか?
「貴方は一体…」
「何を今更言っているんだい?
そんなことキミはとっくの昔に気付いているじゃないか。
いい加減、気付かないふりは止めなよ。」
最初からサリバンは異質だった。
魔術師と関係が少ないワンダが言えることではないかもしれないが、サリバンは学園のどの魔術師よりも博識で技術的にも有り得ないほどに優秀である。
そんな魔術師のことをルイス教授以外は『影の薄い普通の人』だと言うのだ。
やっぱりこの人が『普通』であるはずがない。
ワンダは自身の顔を包み込むサリバンの手を退けるとサリバンの長い前髪に触れ、髪をかき上げる。
ぼさぼさに見えていた髪は触れると柔らかく、高級な糸のような触り心地だ。
何処にでもある煤けた色の髪は錆が落ちるように色を変える。
まるで魔法が解けるようにサリバンの髪は名状し難い色になった。
これは何色と言うのだろう?
私が吟遊詩人なら夜の帳の色とか夜の泉の色とでも歌うのかもしれない。
白い肌、形のいい高い鼻梁、色づく唇、深い青に赤をちりばめた瞳。
信じたくない話だが、こんな人間がいていい訳がない。
そう考えるとワンダは少し楽になった。
私のこの妙な胸の高鳴りは魅了されているからなのだろう。
「サリバン教授は悪魔なんですね。」




