16
ワンダは次の日から掃除係として徹底的に掃除をした。
その間、サリバンは授業の準備などをゆったりと行い、
当初、ワンダは出来る限りサリバンを避け四六時中物の多い部屋を掃除してまわった。
その結果、掃除を始めて三日目、始業式の翌日には全ての掃除は終わっていた。
それどころか、サリバンの研究室の隣の寝泊りをしている私室まで掃除をして、布団を干し、着古した洋服の繕いまでしまっていたのだ。
サリバンはそんなワンダに「へー…凄いね!有難う。」「こんなに綺麗になるなんてびっくりだよ!」などいちいち反応をくれるのだから、仕方ない。
最終的には避け続けることも出来なくなり、警戒しないといけない相手だと分かりながらも、ついつい必要の無さそうなことまでやっている始末だ。
その為、朝、長い階段を上がりドアを開くと完璧に整った部屋がワンダを迎えることになった。
「いやぁ、いい朝だ。
アタシは夜の方が好きだけど、
綺麗な部屋に眩しい朝日は居心地がいいね。」
「そうでしょうか?
元も朝日は同じかと…そもそもそれほど酷くなかったですし」
「そう?汚いことで有名なんだけどなぁ?
ねぇ、掃除係くん、今日からはどうする?」
そう、そこがワンダにとっても問題だったのだ。
マリー・リントン子爵令嬢を探し仲良くなるきっかけを作りたいが一応庶務という態を保っておきたいので仕事もしなくてはならない。
「サリバン教授の本日のご予定は一限目に基礎魔術塔教員会議、二限目に一年生の基礎魔術学論、午後は昼食を挟んで三限目に三年生の魔術契約論の講義の予定でよろしかったでしょうか?」
事前に時間割で把握していたサリバンの予定を述べる。
「んー、そうそう。キミといれば手帳いらずだね。」
「私が授業の用意をするというのはいかがでしょう?
他の庶務もそのような仕事をしているという話です。何か用意しておくものは御座いますか?」
「これまで一人でやってきたから別にいらないんだけどなー。
まあ、いいか。
三限目の授業の準備でもしておいてよ。
基本的にアタシの授業はこの塔の一階の第一講義室でやるからさ。
量は多いけどそこにあるの運んで、あと羊皮紙は配っておいてくれるといいかな?」
「承知いたしました。」
そう言うとサリバンは基礎魔術塔教員会議に向かう為、窓から下の階へ飛び下りた。
飛び降り自殺のようで何度見ても肝の冷える行動だが、あれがサリバンの日常らしいので止めるのは止めた。
それにしても、不用心だこと。
この状況なら、部屋を探り放題だ。
ワンダは開け放たれた部屋を見回す。
けれどもあまり探っても意味はないことを既に理解していた。
リントン子爵に関する文章などは見つからないだろうかと思い掃除中注意深く観察していたのだ。
そうして分かったことといえばサリバンは読み終わった書簡は手の中で燃やしてしまっているということだった。
何度かサリバンに届いた本部からの通知を届けた時も、毎日鳩が届ける夕刊も同じくそうしているようだ。そして、読んだ内容は一字一句間違いなく記憶している。
先程「手帳いらずだ」なんて言っていたが、そもそもサリバンは手帳など使っている様子はないし、必要ではないのだろう。
ワンダはため息を小さく吐き、少し気が早いと思いながらも三限目の授業の準備に取り掛かった。
塔を最上階から一階まで三往復する。
こうも往復すると、サリバンが用意したあの飛び上がって窓に飛び移る魔術を使いたくなるが意地でも使わずに往復しきった。
全ての準備が終わると、ワンダは本部棟に戻り、学生用の食堂に続く外のテラスに向かった。
実は事前に休んでしまった庭師の代わりを探すナナバからテラスの花の水やりの仕事を取ってきておいたのだ。
ナナバは魔術が仕えないワンダに仕事をさせることを戸惑い、水の魔術を使える人間を探したが、他にしたいという人がいなかったことが幸いし、請け負うことが出来た。
少し離れた井戸から水を汲み、花に水をやる。
噂によるとテラスでは妖精が姿を見せることもあるらしい。
私には全くもって見えないけど。
秋の花は綺麗に咲き誇っているが、ワンダの目には花と土と芝生しか見えない。
ワンダは少し沈んだ気分になった。
学生用の食堂は始業と同時に常に解放されている。
今は一限で人は少ないが、昼食時間にはマリー・リントン子爵令嬢も現れるだろう。
どの人物がリントン子爵令嬢かはまだ目視できていないが、背格好や大体の見た目はジジから伝えられている。
ワンダはマリー・リントン子爵令嬢が来るのを今か今かと待った。
二限目が終わると昼食を取ろうという生徒が集まり、食堂も賑やかになる。
次第にテラスにも人が集まり、目の前で楽しそうに食事をとる生徒たちが華やかだ。
私も学校に行ければこういう楽しみが出来たのだろうか。
ワンダは教会が行う初等教育の学校にしか通ったことがない。
そもそも、平民は物凄く優秀でなければ初等教育以外学ばずに一生を終えることも少なくない。
だから、屋敷の中で高等教育を受けた人から様々な教養を学べたワンダの教育レベルは低くはない。
でも、学校で学ぶという憧れがないわけではなく、お嬢さまの学園の話を聞くのがとても好きだった。
本当は過ぎ去ってしまった夏季休暇もお嬢さまの学園での話を遅くまで聞きたかったな…。
羨ましくないと言えば嘘になる思いを抱きながら、ワンダは若い学生が話に花を咲かせるのを花に水をあげながら聞く。
話の内容はサリバンと話すよりもはるかに有益なものがあった。
所謂かっこいい男の子の話だ。
まず、名前が挙がったのは第二王子でソニアの婚約者のメイナード殿下。
これは納得のいく話で、メイナード殿下の容姿はとても魅力的だ。
完璧な王子様というような容姿ではない少し野性味のある出で立ちに栗色の髪に緑の目の目じりは少し垂れており、何とも言えない甘さがある。甘え上手な性格に、口説き上手なところから色男としても有名だ。
次に、去年までは学園にいなかったはずの第一王子レイモンド殿下。昨年学園を卒業しているはずだが、研究生として近代魔術塔に入ったということは事前の調べで分かっている。
レイモンド殿下は金髪碧眼に優しげな顔立ちでまさしく完璧な王子様という雰囲気だ。
メイナード殿下への対抗意識により、少し性格が曲がってしまっているが、それが貴族社会において上手い立ち回りが出来る理由でもある。
残るは、王族近衛騎士長の嫡男で子爵の爵位を持つ、ブラッド・クライドとアルテ魔術学園長の孫カーティス・オールストン。ブラッドは剣術と魔術の両方が出来る凄腕だという話で有名であり精悍な青年だ、カーティスはこの歳で魔術師として頭角を現しているが見た目は女子生徒より可愛らしいと聞く。
女子学生が嬉々とするのも頷ける華やかさと言ったところだ。
一人、ワンダが女子学生の話に納得していると食堂が急に騒がしくなる。
食堂にソニアが三人の女子生徒と共に入ってきたのだ。
ソニアが食堂に入ると、食事が終わったらしい生徒がこぞって席を譲ろうとする。それをソニアは止めていたが、最終的に推し負けて席を譲ってもらうと丁寧に礼を言って席についた。
ワンダは三人の女子生徒のことも知っていた。
実際に見るのは初めてだったがソニアの話によく出てくる三人の特徴が一致している。
魔物好きのハナと洋服好きのメリーと本好きジェシカという三人は三者三葉で見ただけでもどれが誰か特定しやすく、どの子も可愛らしかった。
まあ、うちのお嬢さまが一番美人ですけど。
身内の欲目で見ながらもワンダはむしょうに給仕をしたくなる気持ちを抑えつつ、離れたところでソニアの昼食姿を見守っていたが、また食堂が騒がしくなる。
それに先程の騒がしさより遥かに騒ぎが大きい。
綺麗な男の集団が入ってきたのだ。先ほど女子生徒が話していた集団だということは一瞬で分かる。
そして、人ごみの中でぽつりと食事をとっていた少女に一斉に話しかける。
あの子だったか…気が付かなかった。
注意して食堂を見ていたつもりだったが、ワンダは目標の存在に今の今まで気が付いていなかった。
失礼な話だがソニアの対抗馬だと考えていた為かもっと華やかな人物だと思っていたのだ。
もちろん、少女は可愛かった。
華奢で柔らかそう色白の肌に、肩くらいの髪はふんわりとした茶色の髪、茶色をベースとしながらも温かな赤みが入った瞳。
親しみが湧く範囲の最大の可愛らしさと言ったらいいのだろうか、これ以上可愛らしいと何となく嫌味があるはずだが、いい塩梅の平凡さがある女の子だった。
確かに妖精が周りを囲んでも可笑しくはないなというのがワンダの正直な感想だ。
マリーは次々と話しかけてくる綺麗な男たちに戸惑っている様子である。
男性陣は好き勝手やっており、いつの間にか周囲の生徒は席をあけ、結局いい席を大所帯で食事をとることになっている。
ソニアは我関せずという風に食事をとっていたが、ソニアの友人の洋服好きのメリーは苛々としている様子だった。
洋服好きのメリーは豪商の娘であり、王族相手に商売をするため貴族の男と結婚したいと豪語しているソニアは話していた。どうやら商売根性の塊のような女性であり、自分さえも商品だと考えているところが好ましいとソニアは笑っていた気がする。
また、周囲の生徒たちもメリー同様、この様子を良く思っていないらしいことはありありと分かる。賑やかな食堂は賑やかだが、そこには先程までの和やかな雰囲気はなくなり温度差のある異様な空間を作り出されている。
こうなると視線を注がれるのはソニアである。
この中で不敬になることなく注意できる存在がいるとするならメイナード殿下の婚約者のソニアくらいのものだった。
ソニアは食事をとるのを中断し、小さくため息をついたように見えた。
友人の中で本好きのジェシカはそれに気が付いたらしく、ソニアに「行かないでもいいよ」と言っている様子だ。
ソニアはそれに対し礼を言うと、立ち上がりメイナード殿下の元に向かう。
「メイナード殿下、お食事中失礼いたします。
ここは共有の場です。生徒が皆、楽しく過ごせるようご配慮下さいませ。」
ソニアが凛とした声で言うと、温度差のある異様な雰囲気は賑やかな中央の空気の温度が下がり全体的に寒くなった。
そして、ソニアはそれだけ言うと元の席に戻り食事を再び開始する。
女子生徒はざわつき「ソニア様…。」「流石、氷の麗人」などと言っている。
ワンダ自身もそのソニアの姿に女子生徒同様、「立派になられて…」と痺れていたが、社交界ではいい噂の的になるだろうことは明確だった。
そろそろ、いい時間だ。ワンダは食堂の時計を確認する。
目標としていたマリー・リントン子爵令嬢の目視での確認と現状の把握を行ったことにし、職員食堂でパンだけを受け取り三限目の基礎魔術塔での授業に向かった。