15
ワンダは鶏肉の入ったポトフを啜りながら、
あのサリバンという魔術師について考えていた。
あの人…悪魔?いや、まさか。
悪魔が私の前に現れたところで悪魔になんの利点もない。
ワンダは妖精も精霊も見たことがなかった。
魔力のない人間に妖精や精霊は姿をみせないのだ。
人に力を貸す人外はその魔力に魅せられ、その魔力を得るために力を貸す。
悪魔もその類だと考えると、魔力のない人間に姿を現す意味がない。
流石に馬鹿馬鹿しいと思いながらも、サリバンが悪魔だという仮説が拭いきれない。
馬鹿馬鹿しい、もう関わらないと決めたんだ考える必要もないだろう。
気が付かないうちにワンダの眉間には深いしわが刻まれていた。
「ウェンディ!なんて顔してるんだい!」
声をかけ、目の前に座ってきたのは一緒に地下室掃除をした古典魔術塔配属の女性のモナだった。
「モナさん…いえちょっと。」
「そんなに心配なさんなよ。あんたなら古典魔術塔でもすぐに慣れるって。あたしも一緒に行くからさ。ちゃちゃと食べちまいなよ。」
「有難うございます、新しいことばかりで不安になってしまって。」
どうやらモナはワンダが配属の心配をしていると思い、気を使ってくれたらしかった。
声をかけてもらったことに有難さを感じる。
ワンダは頷き肯定して、残っていたパンを口に放り込んだ。
ナナバとモナと他数名の庶務が集まり総勢九名で本部等の螺旋階段を上がっていく。
高い天井と広いホールには大きく歴史が詰まっていそうなシャンデリアがあり、その先の祭壇のような場所に明らかに立派な黒い両開きの扉がある。
神聖な雰囲気の場所だ。
『九学会議』と呼ばれる教授会議は年に数回行われ、学園内の重要事項が決定されている。
この学期始めの会議は絶対参加となっているとナナバは説明する。
「ウェンディさん、貴女は最後に呼ばれますから、名前を呼ばれたら、一礼をして配属先の塔の教授の後ろに立ちなさい。
お名前は入った時に札で確認すると良いでしょう。
その後は会議が終わるまで控えて、それからは教授の指示に従いなさい。いいですね?」
「はい。」
扉が開くと長い机と背もたれの長い椅子が九つ配置されており、上座には高齢で威厳のある老人が座り、その他四名が左右に分かれて座っている。
同じようなローブを着てはいるが、見るからに個性豊かである。
ワンダはその中にあの魔術師がいることに気が付いた。
サジ・サリバンは教授だったのか。
みんな「サリバン先生」と言っていたため、教授だとは思わなかった。あの若さで教授の席につくのは可能なものなのだろうか。
他の教授は年齢が分かりにくい者もいるが全員五十歳を優に超えている。
先ずはナナバの名前が学園長から呼ばれ、ナナバは上座に座っている老人の後ろに立つ。
その後は、ナナバが羊皮紙に書かれた配属を次々と述べていく。
ナナバが先に言っていた通り、残るはワンダただ一人になった。
「ウェンディ・コナー。基礎魔術塔、サジ・サリバン教授付き。」
「はい」
返事をし、礼をする。
そして、言われた通りにサジ・サリバンの元へ体を動かしたが、ワンダの頭はとっ散らかっていた。
基礎魔術塔のサジ・サリバン教授付きだけはないと言われていたのに。
なんで!?
その後も会議は続き、上座に座る学園長の言葉で会議が締められるまでの約一時間、
ワンダはサリバンのぼさぼさ頭を恨みを込めて見つめ続けた。
会議が終わるとつぎつぎと教授達や庶務は部屋を出る準備をする。
隣の教授は既に立ち上がり、庶務はそれに続いている様子だ。サリバンもゆっくりと立ち上がり、控えていたワンダの方を向く。
「やぁ、久しぶりだね」
ワンダは妙に注目が集まっていることに気が付いた。
これまで使用人として従事する中で目立たないことを常に心掛けるようにと言われていた。
非常に居心地が悪い。
「あの時は大変お世話になりました。
よろしくお願いいたします。サリバン教授。」
「じゃあ、行こうか。」
ついて来いだと判断し、サリバンの後について部屋をでる。
すると、サリバンを待っていたのか他の教授が声をかけてきた。
恐らく近代魔術塔の教授だろう。
ローブはサリバンと同じ黒いものだが、中の服装はレースのついたドレスシャツに蝶ネクタイをした紳士である。
何となくではあるが、立ち振る舞いや服装からこの教授は身分が高い生れのような気がした。
「サリバン先生!どういう風の吹き回しですか?」
「何が?」
「…これまで何度も庶務の必要性なら話したじゃないですか、なのに何故いきなり?」
「駄目だった?」
「いえ、そんなことは言っていません!でも…貴方に庶務が必要だと分かったら家で用意をしたのに…。」
「そうだったんだ、ごめんね。ルイス。
んーと、掃除係がいてもいいかなって思ってさ。」
そう言うとサリバンは何事もなかったかのように再び歩き出す。
ワンダは一礼してそれに続くが、教員たちの力関係が全くもってわからない。
どう見ても教授の中でサリバンが一番年下なのにも関わらず、
今の近代魔術塔の教授はサリバンに敬語を使い、サリバンはいつもの通りに気安く話している。
それに…何故か、近代魔術塔の教授はサリバンに不満があるのではなく、どちらかというと私に不満を持っているように見える。
あの人、私に嫉妬している?
まさかと思うが、あの目はよくソニアが受けていた視線に近い。
もちろん、ソニアは同年代の女子に向けられていた。私とは圧倒的に立場も状況も違うのだけど。
何せワンダにその視線を向けているのは五十歳の紳士なのだ。
ゆっくりとだがどんどんと先に進むサリバンに着いて行く。
本部を出て、外に行き小さな林を抜け、基礎魔術塔に着く。
「ここの一番上なんだ。」
「そうですか」
これを階段で上がるのは大変そうだ。
ワンダはげんなりしながら、大きい石造りの塔の上を見上げる。
「魔術を使って上がると便利だけど普通に上がることもできるよ。」
「残念ながら、私は魔術を使えません。」
「うん、知ってるよ。
じつはキミが来ると思って魔力が無くても上がれるように魔術を組んだんだ。」
楽しそうにそう言うと、サリバンは塔の入り口とは反対側に回り込む。
「ほら、ここに石があるでしょ?この石の上に乗って、飛ぶ。」
「はぁ?」
「まあ、見ててよ。」
サリバンは塔すれすれに置いてある平たく青い石板の上に乗り、ぴょんと跳ねた。
すると、石板は光り、ぶわりと風が起こると跳ねたサリバンが上に飛び上がる。
一瞬のことでワンダの動体視力は追いつかなかったが、サリバンは開け放たれていた窓に飛び移って中に入ったようだった。
素晴らしい身体能力だ。
まさか…私にやれと言うのだろうか?
「おーい、おいでよ!!」
塔の最上階の窓からサリバンの声がする。
「少々お待ちください!」
ワンダはそういうと塔の正面に回り込み、扉を開けて中に入った。一連の動作を見て、階段から上がることに決めたからだ。
塔の一階から三階は教室になっているようで、四階は資料室、五階は魔術工房、六階と七階は研究室となっており、他の教授が使っている部屋なのだろう。
そして、最上階までくるとワンダの呼吸は乱れていた。
毎日昇れば体力強化につながりそうだ。
そう思いながらワンダは扉をノックした。
「どーぞ。」
汚い、汚いと触れ込みのあった室内に入るのは中々勇気が必要だった。
ワンダは悪臭があっても驚かないように鼻呼吸をやめて口呼吸に切り替えてから扉を開く。
部屋は想像していたよりずっと広かった。
見たこともないような珍妙な物が様々に置かれ、本も物も沢山ある。
確かに物は多いという印象で、整理整頓すればもっと部屋は広くなりそうではある。
しかし、そもそも広い室内であるため、人があまり来ない部屋であれば別に可笑しいことでもないような気がするし、ワンダが想像していたような汚い状況とはまるで異なった。
疑問に思いながらも口呼吸を止めて鼻で息をする。
変なにおいもしない。むしろ、いい高木が焚かれた後のような高貴な香りがする。
埃は多少被っているものもあるが、これは泣いて逃げるほど汚いのだろうか。
サリバンは窓の近くにある革張りの長椅子にゆったりと腰かけている。
「えー、なんで使わないの?
せっかく疲れないでここに来れるようにしたのにさ。」
「危険だからです。」
「危機管理をするのはいいことだけど冒険も必要じゃないかなぁ?」
「危機管理的な意味からだけではなく、窓から侵入するのは憚られます。」
「あーそれは考えなかった。なるほどね。」
サリバンは楽しそうにしているが、ワンダは全く楽しくなかった。
分からないことが多すぎる。
「サリバン教授、私は何をすれば?」
何となく、仕事をするとすれば掃除をするのだと思い込んでいたが部屋の汚さはない。
「んー?キミはすべきことがあってここに来てるんでしょ?
それをすればいいんじゃないかな?」
ワンダは冷やりとした。
つい、のんびりした様子から意識しないと緊張できずにいるがサリバンは自分を間者だと思っている。
だとすれば手元に置く理由なんて一つしかないだろう。
それは、つまり…
サリバンは私を監視したいということか?
「サリバン教授、私はここに仕事をしに来ているんですよ?
仕事を頂かないと困ります。」
どうせ、一年間で蹴りを付けなくてはいけない話だ。
それにサリバンは何故か自分をリントン子爵や学園関係者に突き出す気はない。身分を偽装しているのであれば庶務の仕事を首になっても可笑しくはないはずなのに。
もしかすると、名前を偽っていることは分かったが、足がついておらず処分できないため、足がつくまで手元においておこうというつもりなのかもしれない。
いやそれなら、行動も納得できる。
サリバンがそのつもりなら私も利用できるものは利用する。
完璧に仕事を果たし足もつかせないようにしながら、自分の目的を果たせばいいだけだ。
「そっか、なら掃除を頼もうかな。みんなにはそう言っちゃったし。」
「承知いたしました。この部屋の中に触れてほしくないものなどはありますか?」
「んー?別にないけど触ると危ないものはけっこうあるから気を付けてね。」
「危険物のリストを作りたいので教えて頂いてもよろしいでしょうか?」
ワンダはやる気のなさそうなサリバンからなんとか危険物を聞き出し、藁半紙にまとめ終えると、もうそろそろ夕刻だった。
「じゃあ、よろしくね。掃除係くん?」
「なんですか?その呼び名は…。」
「だって、名前教えてくれないからさ。」
「名前は教えたじゃないですか。まさか、忘れたんですか?」
「いや、覚えているよ。でも、あの名前で呼びたくないんだ。」
ワンダは警戒してサリバンから目を背けつつも、負けるわけには行かない。
また名前か…。
やはり、サリバンはワンダを脅して適度な緊張感を持たせていると考えていいだろう。
何か嫌味の一つでも返さなければ。
そういえば、図書室で考えてしまった馬鹿馬鹿しい推測が嫌味になるのではないだろうか?
「それに名前に拘るなんてまるで『悪魔』みたいですね、サリバン教授。」
「……………。」
流石に異教だと罵られるだろうか?
サリバンの返答を待つが彼は何も返さない。
ワンダはあまりにも長い時間沈黙を守るサリバンを不思議に思い、サリバンの方を向いた。
高い塔の窓から入る夕焼けが長椅子に腰かけるサリバンを紅く照らしている。
「ねぇ……掃除係くん、アタシとゲームをしないか?」
「はあ?」
突拍子のない発言にワンダは素っ頓狂に声を出す。
今回は前髪と眼鏡で目は隠れている。
その上、夕陽も眩しくどんな顔をしているか分からない。
けれども、サリバンはやたらと楽しそうだ。
ワンダはずっと、サリバンに出会った時から感じていた未知のものに会ったような恐怖を強くなったように感じ、後退りをした。
「アタシの名前を当てられればキミの勝ちだ。
チャンスは一度、いつでもいい。
間違えたら…そうだな、その時はキミの名前を貰うそういうのはどうだい?」
ゆっくりしたテンポなのに歌うようにサリバンは話す。
「なんですか?それは…。」
「キミが言ったんじゃないか?『悪魔』のようだって。
ほぅら、こういうの『悪魔』らしいだろう?」
「…『悪魔』なんて馬鹿馬鹿しい。」
「キミが言い出したのに?
どうしたの?怖くなったかな?
まあ、暇だったら考えてみてよ。
アタシの名前サジ・サリバンは名前の全部じゃなんだよ。ちょっと長いから短縮しているんだ。」
「…本日はこれで失礼いたします。」
ワンダは耐えきれず、ドアを後ろ手に開け退場した。
「うん、また明日ね、掃除係くん。」
のんびりした声がワンダを見送るのも聞かずに、ドアを閉じ、階段を駆け下りる。
あの男、私をからかっているのか?
それとも…本当に自分が悪魔だとでも言うつもりだろうか?
その日、ワンダは色々な人から「掃除係頑張って」やら「本当にサリバン先生の掃除係になるなんて」やら、掃除係について言及されたがそんなことは二の次で、自分が感じた恐怖の根源について眠る寸前まで考えることになった。