あるお昼頃
最後まで読んでいってもらえれば幸いです。
朝食を取りながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。降り止まないこの雨を見ているのは嫌いじゃない。
外はまるで色を失ってしまったかのように暗いけれど、山の峰は薄っすら見える。輪郭がとてもぼやけて見えて、ぼーっとし始めると、山は雨の世界と同化を開始する。境目が消える。そのとき私の境界線も無くなってしまって、混ぜこぜになってしまえるような気分になるから、なんだか少し好き。
ここには太陽の光が殆ど届かないのだろうか。それとも今は長い長い夜の時間なのだろうか。私にはわからないけれど、目を凝らせば見える薄い雲と暗い灰色の世界を見つめて思った。
ホットミルクが身体に染み渡る、ここはいつでも少し肌寒い。道端に落ちたキラリと光るビー玉を見ているかのような、ほんのちょっとの哀しさ。
ありがとう、とコックに声掛けをしてお皿を返した。気分が落ち着いて、なんだか少し心が軽やかになったところで広間へと向かう。
広間は二階だ。厨房の隣には無機質な金属の階段が座っている。そこを登ればみんながくつろぐ空間が広がっている。
広間は畳の部屋で襖は全て外されている。ここは全部で三部屋に分けることができる縦長の共用スペース。机や椅子がちらほら見られた。
奥には浮世絵が飾ってあり、隣には壺が置いてあってなんだか素敵。左右の縁側には和風の草木がポツポツと並んでいて、風情を感じさせられる。全てが木製のこの部屋で、一番手前のここと一番奥の金属の階段だけが、ちょっと異質。
みんな個々で自由に過ごしている。テーブルの上で花札に興じているおばさま方がいると思えば、直ぐそこでは緩く椅子浅く座って読書に耽るスポーツ刈りの青年。
文字で見ると凄く騒騒しいけれど、全体的に均整がとれていて、落ち着いている、なんだかとっても居心地良い。
色んな人がいるなぁ、なんて感心しながら眺めているとふと、悲しい雰囲気を纏った和風のお姉さんが目に入った。一人で外を眺めながらお酒を少しずつ呑んでいるみたい。
「こんにちは、お姉さん。お姉さんが良かったらですけれど、ご一緒していいですか?」
その姿がなんとも寂しそうだったので、つい話しかけてしまった。
「えぇ、良いわよ…」
悲しげな声ではありますが、同席は良いみたい。少し潤んだ瞳に紅が差した頬は、なんとも艶っぽい。
「雨、好きなんですか?」
「…私は好きじゃないわ。泣いてしまいそうにならない?悲しい天気よ、雨は。」
濡れて艶が増した髪を触りながら呟く様に言う。
「なんだか少しわかる気もしますね。ただ、泣いてしまいそうな天気だからこそ、癒されることもあるのでは?」
なんだか少し影が差した気がした。
「…わからないの。ただ、何か悩んでいることを思い出したわ。それが途轍もなく心苦しくて、どうにもしてられないの。私がここに居られるのはもう、短いのかもしれないわ。」
潤んだ瞳で訴えかけるその様は、女性であってもウットリしてしまうほど美しく、美術品のよう。彼女の心はきっと、割れてしまった陶磁器のようなのに、誰もその真髄を見ようとはしてくれないんじゃないか、なんて心配になるほど。
「…貴女にはまだ時間はあるようね。ねぇ、貴女今から言うことを覚えておいて。じゃないと私のようにきっと悲しい目に遭うから。」
「私も悲しい目に遭うかもしれない、ということですか。」
徳利から少しずつお酒を猪口へ注ぐ。少し情緒が不安定なのかしら。
「えぇ、そうよ。ここにいる間にしっかり考えることが大事なの。色んなことに気づいていくと思うけれど、それは手遅れじゃないの。遅くてもそこから始めなければ、いけないの。」
お姉さんは六角形の淡い桃色の猪口を静かに口元へ持っていく、なんとも上品な所作。
「明らかに手遅れでも、ですか?」
「きっと、そう。考えて、結果に辿り着けなかったとしても何処かで役にたつわ。」
「わかりました、心に留めておきます。少し、いただきますね?」
私も飲んでしまおう、と思った。なんとなく悲しい未来を知ってしまった気になったから。
そうやって私たちは陽が暮れるまで飲み交わしていた。なんと驚いたことにとても暗いこの風景はお昼間だったらしい。お姉さんが教えてくれた。
なんだかとってもあったかくなって、眠たくなってきて、もうダメだ、と思い始めた頃、お姉さんが妙に真剣な顔で最後にもう一つ覚えおいて、と前置きして言った。
「此処で死んでしまった老人が言っていたの。貴女には選択の自由がある。でもそれは晴れ間に出るまでよ。晴れ間が現れたら貴女は何かを決断しなければいけないらしいわ、きっと私はそれが近いの。」
「わくぁりました。」
ぁあ、ダメ。呂律が回らない。これじゃ完全に出来上がった女ね、なんたる失態。
「例え判断を間違えたと思ってもその後現れる暗い沼に…」
優しい子守唄が聞こえるなぁ、なんて思っていた。とても優し気なお姉さんの顔が見えて、少し安心してしまった。
雨が好きです。天気と言うよりは雨そのものを愛しています。空が少し明るく、なんとも神々しい通り雨は勿論のこと、豪雨から弱雨までなんでもこいです。だから私にとって梅雨明けって結構地獄…