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黄衣の教団


 

 

その少し前、連隊の後方に展開していた重砲部隊と機関銃部隊は、接近中だった半魚人と交戦していた。重機関銃の強烈な発射音とともに無数の火箭が伸び、半魚人たちを撃ち倒していく。

 

当然半魚人の側からもライフルによる反撃があるが、火力が違いすぎる。時折人類側の兵も銃弾を受けて倒れるが、被害は半魚人側のほうが遥かに多い。

植民地に展開するヨーロッパ列強の軍が、現地人の反乱軍を機関銃で掃討していった歴史が、この沖縄の地で繰り返されているようだった。


 「これで勝てる!」

 機関銃部隊を指揮する辻野大尉は歓声を上げた。例の兵器を無力化した今この場では、半魚人に人類に対抗できる武器はない。後は火力の優位を利用して、敵を確実に打ち取っていけばよい。

 「うん?」

 辻野は怪訝そうな顔で前方の森を見た。枝や幹が奇妙な動きを見せている。ほとんど風も吹いていないのに。

 

半魚人達は性懲りもなく、こちらに近づいてきている。そのうちの1人の姿に、辻野はさらなる違和感を覚えた。他の半魚人が裸かそれに近い恰好なのに対し、そいつだけは黒いローブのようなものを身にまとい、頭に冠のようなものを被っていたのだ。

 

「奴が指揮官か?」

 辻野はそう予測した。ローブと冠を身に着けた半魚人は武器を持っておらず、何か奇妙な手ぶりをしている。その様子は他の半魚人に指示を出しているように見えるのだ。

 「あの黒いローブの奴が指揮官だ。あいつを狙え」

 

 辻野が麾下の兵に命じようとした瞬間、奇妙な現象が起きた。一瞬、幻覚ではないかと疑ったが、それは確かに目の前で起きていた。森がこちらに近づいてきたのだ。

 さっきまでは少し向こうに見えていた黒っぽい幹と鮮緑色の葉が、今ではほとんど目の前に存在している。

 「な、何だ!?」

 将兵は一斉に声を上げた。草木はさらに揺らぎ続けている。いや、今蠢いているものは草木ではないのではないか。


テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ


 あの悍ましい声、半魚人の兵器が出す音が聞こえてきた。その音は前方の森から放たれている。

 


 「伏せろ!」

 各部隊の指揮官がそう絶叫した直後、森の中から数十本の黒い触手が伸びてきた。指揮官たちの咄嗟の判断が功を奏し、壊滅的な被害は出なかったが、それでも伏せるのが遅れた十数人の兵が失われた。

 


「どこに隠れてやがった?」

 口々にそう言いながら恐る恐る顔を上げた兵たちは、信じられないものを目にした。これまで前方にあった森が、そっくり巨大な白い塊に変わっている。さっき蠢いていたものは草木ではなかった。あの白い塊が草木に擬態していたのだ。

 「とにかく撃て!」

 重砲部隊の指揮官は混乱しながらも兵に指示した。白い塊を重砲で破壊できることは分かっている。敵が攻撃する前に粉砕してくれる。

 

だが重砲の照準が付けられる前に、塊から刃物のような器官が付いた触手が再度伸びてきた。砲口を前方に向けようとしていた兵が両脚を切断されて転げまわり、弾薬を運んでいた兵は頭上から落ちてきた刃で真っ二つにされた。兵を避難させようとしていた小隊長は次の瞬間、頭部の上半分を切断されて音もなく倒れた。

 

周囲には血と内臓の何とも形容しがたい臭気が立ち込めている。その惨状に兵たちの士気は大きく低下した。彼らはさっきまで、有効な反撃手段を持たない敵に対して砲弾や銃弾を一方的に浴びせる立場にいた。

 だが今は立場が逆になっている。重砲は突如目の前に出現した敵に対して照準を付けられず、機関銃ではあの怪物を破壊することができない。逆に敵はこちらの兵をいともたやすく殺すことができるのだ。

 

「奴の目を撃て!」

 辻野大尉は命令した。昨日の戦いの戦訓として、怪物の表面の目のような器官を破壊すれば、攻撃の命中率が落ちることが分かっている。重砲が照準を合わせるまで、機関銃部隊が怪物の攻撃を止めるべきだ。

 その判断は確かに功を奏した。機関銃に歩兵の小銃も加わっての射撃は塊の目をつぶし、塊からの攻撃による被害を最小限にとどめた。

 

 


 「半魚人の集団が接近中!」

 しかし見張り員の報告通り、それは半魚人に向けられる火力がなくなることも同時に意味していた。彼らは火力に制圧されることなしに突っ込んでくる。

 その兵力は少なく見積もっても300はいた。しかも今回は、ほとんど全員がライフルで武装している。

 

 「止むを得ん、火力の半分を半魚人に向けろ!」

 各指揮官は断腸の思いで命じた。これをやれば塊の目の破壊が不徹底になるが、やらなければ半魚人が突っ込んでくる。彼らの知能がどの程度のものかは不明だが、下手をすれば砲や機関銃を奪って、自分たちの武器にする可能性があるのだ。

 

 小銃や機関銃の銃火は突入しようとした半魚人を容赦なく射殺したが、半魚人からのライフル射撃もこちらの兵を撃ち倒していく。さらに塊からの触手が襲い掛かり、人類側の死傷者は増える一方だった。

 「これは…」

 最初に半魚人に銃口を向けるように命じた士官が呟いた。限られた火力を二つの目標に向けたのは失敗だったかもしれない。自分たちは結果として、二兎を追った猟師の愚を犯したのではないか。

 

 その考えを嘲笑するかのように、半魚人からの銃撃は次々に人類側の兵を薙ぎ倒した。銃弾が飛来する度に、血と体液と脳漿が混ざった濃厚なカクテルが吐き気を催すような臭気と共に飛び散り、奇妙に欠損した人体が沖縄の赤土の上に倒れていく。

 

 

 「やけに正確な射撃を…」

 部下の機関銃兵に射撃目標を指示しながら、辻野大尉は忌々し気に独白した。発射する弾量ではこちらが上のはずだが、命中率は明らかに相手のほうが高い。昨日の戦いに比べて、敵のライフルの数だけでなく射撃の腕まで上がっているようだった。


  「あいつか?」

 後方で指示を出している指揮官らしき半魚人。奴が出てきたことで敵の射撃精度が上がったのではないか。何の根拠もないが辻野はそう思った。

 はっきりと言葉で表すことはできないが、奴の雰囲気は異常だ。美しいがどこか禍々しいデザインの冠が、その印象を強くしている。

 

 「っ…」

 そんなことを考えていた辻野は息を呑んだ。目の前で機関銃を操作していた兵の首が塊から伸びてきた触手によって、いっそ美しいと言ってもいいくらい呆気なく切断されたのだ。左右の頸動脈から噴き出た深紅あかい液体が、彼の顔に吹きかかった。

 

 さらに塊から伸びた触手の一本が、辻野の方にも向かってきた。咄嗟に伏せようとしたが、触手のほうが早い。

 彼が死を覚悟して目を閉じた瞬間、巨大な発射音が聞こえた。そして次に聞こえたのは彼に向かっていた触手が、突然地面に落下する音だった。

 

 重砲の一門が砲員に多大な犠牲を払いながらも塊への照準を完了、砲弾を発射したのだ。重砲にとってはゼロ距離と言っていい距離を瞬時に飛びぬけた砲弾は、塊の中央部を直撃して内部で炸裂し、これを数十個の断片に分解した。

 「やった?」

 仲間の死体をかき分けながら砲の操作に当たっていた兵たちは、どこか半信半疑の体で歓声を上げた。大きな犠牲を払いはしたが、自分たちはあの兵器を倒したのだ。

 


 さらに周辺で銃声と砲声が響き始めた。増援として送られてきた山砲部隊と歩兵部隊が、尚も動いている塊の断片と半魚人を攻撃しているのだ。

 部隊は何とか危機を脱した。多くの死傷者を出しながらも、全滅を免れたのだった。


 



 「これより、宇賀那へ向かうべきと考える」

 戦闘がひと段落した後、松田連隊長の声が指揮所に響いた。とりあえず敵は撃退した。あの塊が重砲で破壊できることも分かった。この勢いに乗って敵の本拠地を攻撃すべきだというのが、松田の考えらしい。

 

 「小官も連隊長のお考えに賛成です」

 そう言ったのは案の定、積極派の滝村参謀長だった。対してこれも案の定、慎重派の清水作戦参謀が異議を唱えた。

 

 「それは危険です。あの半魚人の兵器はやはり、恐るべき脅威です」

 「だが我が軍の装備で、破壊は可能だったではないか」 

 滝村が言い返した。対する清水は懸念を述べた。

 「終盤の戦いで分かりましたが、あの白い塊は擬態した状態で森の中を移動できます。進撃した後にあの塊が後方に回り込めば、我が軍は破滅です」

 

 これは妥当な心配と言うべきだろうと、二人のやり取りを聞いていた佐村少尉は思った。ここは敵地なのだ。後方との連絡を切断される危険については、神経質なくらい気を使ったほうが良い。

 

 佐村の考えを尻目に、二人の議論は続いている。

 「後方に抑えの兵力を配置しておけばよかろう」

 「敵地で兵力を分散する? それは愚策です。連中が森の中を自在に移動できることを考えれば、各個撃破の対象になるだけです」

 「ではどうしろと言うのだ? 宇賀那攻略は見送ると?」

 「そうではありません。ただ、できれば増援を頼むべきだと考えるのです。半魚人だけならともかく、あの兵器に対して一個連隊では荷が重すぎます」

 

 「増援だと? この沖縄に近い九州なり台湾なりから兵力を輸送するとしても、お役所仕事を考えれば何日かかるか分からん。その間中ずっと、宇賀那周辺の村人は脅威にさらされることになるのだぞ」

 「昨日と本日の戦闘で、我が連隊は少なく見積もっても千人以上の半魚人を倒しました。彼らには周辺の村に襲撃をかける余力はないはずです」

 「それは貴官の憶測でしかない。本当のところ、連中が何人いるかは誰にも分からんし、周囲の村を襲撃する力を失ったかも分からんのだ。そんな憶測に、周囲の民間人の生命を賭けるべきではない」

 

 滝村は清水の慎重論に反駁した。軍が危険を避けた結果、民間人が危険に晒されたのでは意味がないと言いたいらしい。

 

 「それなら尚更、短兵急な侵攻は取りやめるべきです。敵が何人いるか分からないのに一個連隊で本拠地に侵攻するなど、無謀以外の何物でもありません」

 「増援が来るまで民間人の生命を貴官の憶測に委ねるほうが無謀だろう」

 「誰もそんなことは言っていません。私は侵攻をやめるべきと言っているだけで、軍事行動を中止すべきとは言っていないのです」

 

 そう言うと清水は自分の考えを述べた。

 「連隊はこの後小里村こりむらまで後退し、増援が来るまで同村の民間人の護衛に当たるべきです。地理的に見て、次に襲われる可能性が最も高いのはあの村ですから」

 清水の案は増援が来るまで積極行動を控え、小里村の防衛に徹するというものだ。確かにこれなら、宇賀那侵攻ほどの兵力は必要としない。ただこの案には一つ問題がある。

 

 「他の村が襲われたときはどうするのかね?」

 滝村がすぐさまそれを衝いた。清水の案では小里村のみを守ることになっているが、他にも襲われる可能性がある村はいくつか存在するのだ。それらの村はどうするのか。

 

 「その場合は気の毒ですが、見捨てます」

 「何だと? 貴官は軍の存在意義をどう考えているのだ?」

 清水の発言を聞いて松田連隊長は顔色を変えた。

 


 「軍の使命が国家、ひいてはそれを構成する国民の保護であることは私にも分かっています。だがいかんせん、出来ることと出来ないことがあるのです。襲撃の可能性がある全ての村に兵力を分散すれば、各個撃破を招くだけです」

 「それは…」

 

 清水の発言を聞いて松田を始めとする指揮所の面々は黙り込んだ。確かに部隊の安全を考えれば、清水の案が最も妥当だ。だが本当にそれでいいのか。軍が保護すべき民間人ではなく、自らの安全を第一に行動するなど。

 

 

 「軍が全滅すれば民間人の安全確保も不可能になります。ここはひとまず、増援が送られてくるまで兵力を温存すべきです」

 清水はさらに言った。連隊本部の空気は清水の案に傾きつつある。確かに全てを守ろうとする者は、往々にして全てを失うことになる。ここは最も襲われる可能性が高い小里村こりむらの守備に全軍を投入するべきかもしれない。

 


 だが決定が下される前に、本部のテントに一人の兵が駆け込んできた。

 「敵らしきもの、来襲!」

 「何だと、半魚人か? それともあの不定形の塊か?」

 参謀たちの議論を聞いていた佐村は声を上げた。そうなればこれからの行動方針など決めている場合ではない。まずは襲ってきた敵を撃退しなくては。

 

 「それが… 違うのです」

 報告に来た兵が困惑したように言った。

 「連中が新兵器を投入してきたと?」

 佐村の問いに兵はこう答えた。

 「正確には敵かどうかも分かりません。ただ、奴らは空からやってきたのです」

 




 「空から?」

 佐村はそう言いながら、指揮所のテントを出た。出たところでは兵たちが空の一角を指さしている。その先にあるものを見て、佐村は目を見張った。確かに何かが数十体も連隊の上空を旋回している。鳥でも飛行機でもない異形の怪物が。

 

 そいつらの特徴を説明するのは困難だが、強いて言えば巨大な蝙蝠と昆虫を掛け合わせたような生き物だった。奇形のアリのような体に膜状の一対の翼が付き、その翼で空を飛んでいる。大きさはおそらく人間より大きく、2m以上あるだろう。

 そして双眼鏡でその姿を観察した佐村はあることに気づいた。飛行する化け物の背中に、人らしきものが乗っている。黄色いローブのような服を着ていて、顔はよく見えなかった。

 

 「何をしてるんでしょうね。奴らは」

 傍にいた兵が佐村に話しかけてきた。確かに怪物とそれに乗っている人間は、連隊の上空を飛んでいるだけで攻撃のそぶりを見せない。

 

 「偵察かもしれんな」

 佐村はとりあえずそう答えた。先の大戦以来、航空偵察は陸軍部隊の作戦において重要な一部となっている。半魚人があの化け物を、偵察機の代わりに使っているのかもしれない。

 

 「とりあえず、威嚇射撃を加えてみろ」

 続いて佐村は兵たちに指示した。飛んでいるものを小銃で撃って当たるはずもないが、追い払うことはできるかもしれない。怪物が来た理由が偵察だとすれば、これ以上連隊の様子を観察されるわけにはいかないのだ。

 

 乾いた発射音が響いた。佐村の指示に従い、10人ほどの兵が小銃を発射したのだ。怪物に命中したものは一発もなかったようだが。

 「お、降りてきます」

 最初に報告してきた兵が狼狽したような声を上げた。確かに威嚇射撃を呼び水としたかのように、怪物とその上の人間たちが地上に向かってきているのだ。

 

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