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ショゴスの恐怖

「インスマスの影」に深き者がショゴスを持ち込もうとしているという記述があったので、ショゴスを登場させてみました。邪神降臨は物語の終盤になると思います。

 まず前面にいるのはおそらく300人ほどの半魚人。これだけでは兵が気絶したりはしないだろう。異様な姿の生き物とはいえ、既に見慣れたものなのだ。問題なのはその後方にあるものだった。

 それは何か汚らしい白色をした不定形の塊で、縦横高さともに10メートル近くある。「山のようなもの」というさっきの報告は、間違いなくこれを表すものだ。そいつは脚にあたる器官を持たないにも関わらず、確かにこちらに進んできている。その動きはナメクジやアメーバの類を思わせた。

 

 そしてその不定形の塊には、人間の目や口のような器官が無数についていた。血走った目が塊の表面で瞬きを繰り返し、どこか歪んだ形状の唇が不定期に開閉を続けている。そんな化け物が、半魚人の後方から進撃してくるのだった。

 佐村はさきの策敵部隊や本部の兵が発狂した理由を理解した。半魚人はまだ、地球上の生命体らしい姿をしている。だがあれはいったい何なのだ。全く分からない。こんなものが自然に生息しているとは到底思えないのだ。

 神を冒涜するような生き物、佐村が半魚人とともに進んでくる奇妙な塊を見て咄嗟に抱いた印象はそれだった。神と言っても神道の神ではないし、キリスト教的な絶対神でもない。ただこの世のあるべき秩序というもの、それをあの塊は根底から破壊しているように思われた。

 

 「あ、あれは…」

 同じく双眼鏡で敵を観察していた中里情報参謀も絶句している。あの塊はおそらく半魚人の兵器なのだろうが、一体どのような力を持っているのか見当もつかない。

 

 塊はこちらに近づいてくる。あの巨体なら木々に阻まれそうなものだが、前方の障害物に全く影響を受けることなく、塊は前進していた。よく見るとそれは木々にぶつかったところで二つに分かれ、通り抜けると再び合流している。恐るべき可塑性と言えた。

 


 「速射砲、山砲射撃開始! あの化け物に砲火を集中しろ!」

 呆然としながらその様子を見ていた松田連隊長が、我に返って命令を下した。すぐさま、連隊本部付近に配備されていた速射砲と山砲が、進撃してくる巨大な白い塊めがけて発射された。塊の周囲で続けざまに爆発音が響き、何発かは塊を直撃した。爆炎で一瞬視界が失われる。

 さらに塊の前にいる半魚人と塊自体を狙って、歩兵部隊と機関銃中隊が射撃を開始した。不定形の塊への発砲なので効果はよくわからないが、確実に何発かは命中しているはずだ。あの塊が何らかの生物であれば、打撃を受けないはずがない。

 やがて爆炎の中から姿を現した塊は、所々が大きく凹み、表面にあった目や口のような器官の一部がなくなっていた。周囲には塊の破片がちぎれて散らばっている。その様子は一見、砲撃の効果があったかと思われたが…

 

 「再生している…」

 佐村は塊の様子を観察して呻いた。散らばっていた塊の破片は動き出したかと思うと、本体への合流を開始したのだ。それにつれて砲撃による凹みは小さくなり、やがて完全に消えた。表面では目や口のような器官が再び生まれ始めている。

 「効果がない…だと」

 滝村参謀長も絶句していた。今までの敵だった半魚人は基本的に銃弾が当たれば殺すことができた。つまりは、こちらの武器で対抗可能な敵だったのだ。あの塊はそうではない。砲兵部隊から集中砲火を浴びたにも関わらず、死ぬどころかダメージを受けた様子もないのだ。


テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ テケリ・リ


 奇妙な声が唐突に響いた。澄んでいるがどこか神経をかきむしられるような不快な音。音がする方を見た佐村は発信源に気づいた。

 巨大な白い塊の表面にある口のような器官、音はそこから出ていた。おそらく数百個ある口が、各自バラバラに開閉して声を出している。時間差を置いて数百の口から放たれるテケリ・リという音は、聞いただけで神経系が削られそうな悍ましい旋律を形成していた。

 

 「とにかく砲火を集中しろ! 再生できないほどにバラバラにしてやれ!」

 各砲兵部隊の指揮官はそう絶叫すると、部下に連続斉射を命じた。だがそれが実行される前に、白い塊の一部が変化して数十本の黒い触手になった。触手はすさまじい速さで、展開中の軍部隊に向かって伸びてくる。その触手からはさらに枝のような別の触手が何本も伸びていて、枝の先には刃物のような器官があった。

 触手はまず、砲兵部隊の前面に展開していた歩兵部隊に襲いかかった。次の瞬間、100名ほどいた歩兵はほぼ全員が倒れていた。触手についた刃物で切り刻まれたのだ。ある者は頭部を切断され、数秒間立ち尽くした後唐突に崩れ落ちた。またある者は体を腰の部分で二つに分断され、絶叫しながら両腕で下半身を引き寄せようと虚しい努力をしていた。

 

 続いて触手が砲兵部隊に伸びる前に、二回目の砲撃が行われた。黒い触手の一部が千切れて落下し、もとの白い原形質に戻った。本体にも数発が命中し、辺りの森に白い塊が飛び散る。

 「いったん後退して、並河村付近の友軍と合流する。あの新種の化け物には、この場にいる部隊だけでは勝てん」

 

 松田連隊長は決断を下した。並河村前面で戦っていた部隊は既に呼び寄せているが、まだ到着していない。ここはこちらが移動して、合流を急ぐべきだ。

 「砲兵部隊はいかがなさいますか?」

 滝村参謀長が質問した。歩兵と違って、砲兵は移動に時間がかかるのだ。

 「砲は置き捨て、兵員だけを移動させる」

 

 松田連隊長の発言を聞いて、作戦参謀の清水大尉が顔色を変えた。

 「それは危険です。ここには半魚人も向かってきています。下手をすれば連中に砲を奪われる可能性があります」

 「では、歩兵部隊で半魚人を一掃してから…」

 言いかけた松田は絶句した。歩兵部隊はさっき全滅している。予備が若干いるが、これを投入すれば連隊本部は丸裸で移動することになる。

 

 「それでは…」

 松田が何かを言おうとした瞬間、急に小銃と機関銃の射撃音が響いた。

 「友軍です。加納少佐の大隊が戻ってきました」

 見張りの兵が報告と言うより歓声を上げた。並河村前面の部隊のうち、左手に展開していた加納大隊が戻って来たらしい。加納大隊の歩兵と機関銃兵は、塊の前面にいた半魚人を次々に射殺していく。やがて半減した半魚人たちは散開した。大隊は半魚人を撃退した後、連隊本部を守る位置に移動してくる。

 

 大隊に配備されている軽歩兵砲が、連隊本部付近にいた砲兵部隊とともに射撃を開始した。さっきまでより若干強力な火力が、白色の塊めがけて投射される。砲撃には塊を完全に破壊することはできなくても、触手の形成を妨害する効果はあるようだ。

 「勝てるか?」 

 状況を見ながら佐村は考えを巡らせた。あの奇怪な塊は厄介だが、無敵というわけでもないらしい。このまま火力を集中すれば、戦闘力を奪うことはできるのではないか。

 だが砲撃が一瞬止んだ瞬間、再びあの触手が伸びてきた。今度の目標は砲兵部隊。兵員の約半数が一撃でなぎ倒され、砲だけがその場に虚しく残された。その光景は、まるで佐村の甘い考えを嘲笑するかのようだ。

 

 「いや待て?」

 佐村にある考えが浮かんだ。さっき歩兵部隊が狙われたときは「全滅」だったが、今回は「半減」だ。敵の攻撃の命中率は落ちている。その原因として考えられるのは。

 「意見具申、歩兵と機関銃兵にあの塊の目のような器官を集中的に射撃させるべきです。」

 佐村はとっさにそう叫んだ。塊の目のような器官が本当に目だという保証はないが、砲弾の破片であれが破壊された結果、命中率が落ちたように見えたのだ。そうだとすれば、もっと積極的に破壊してやれば攻撃の命中率が落ちるはずだ。

 

 「分かった」

 大隊を指揮する加納少佐はそう言うと、兵たちに塊の目を撃つように指示を出した。数百丁の小銃と、12丁の重機関銃の銃火が塊めがけて伸びる。その一部は目のような器官を直撃し、これを破壊した。

 一瞬後、不定形の塊の攻撃が始まった。砲撃の合間を縫い、塊から数十本の触手が伸びて加納大隊を薙ぎ払おうとする。だが、

 

 「よし、やはり攻撃精度が落ちている」

 佐村は攻撃の結果を見て快哉を上げた。今回は触手のほとんどが何もない場所を通過し、不運な数人の兵が被害を受けただけだったのだ。塊の目を奪う作戦は効果を挙げている。

 「うん?」

 戦況を傍で見ていた清水作戦参謀も声を上げた。よく見ると攻撃の失敗後、塊が後退しつつある。傍にいた半魚人たちも一緒にだ。どうやら不利とみて、一時撤退を決めたらしい。

 

 「どうやら追い返したか」

 佐村もそれを見て胸をなでおろした。正直喜びより安堵の気持ちのほうが強い。あの白い不定形の塊は、それほど恐ろしい相手だったのだ。

 




 「和田少佐と村重少佐の大隊が帰還してきます」

 見張りの兵が声を上げた。別の場所で半魚人と戦っていた両大隊が、戦闘を終えて戻って来たらしい。見たところ、それほど深刻な被害は受けていないようだ。

 半魚人の新手の報告はない。どうやら本日の戦闘はこれで終わりそうだ。後はこれからどうするかだ。

 

 「連隊長、敵は撤退しました。このまま並河村に突入しましょう。最終目的地である宇賀那への突入には、並河村の確保が不可欠です」

 滝村参謀長の意見は勝ちに乗って、このまま並河村を占領するというものだ。確かにそれも一つの手ではある。いったん敵を追い返したとはいえ、また戻ってくる可能性はあるのだ。その危険を考えれば、今のうちに占領するという案は間違っていないのだが。

 

 「それは危険です。あの村の周辺は現在半魚人の勢力下にあります。そんなところで夜を越せば、夜襲を受けて全滅する可能性があります」

 だが清水作戦参謀は反対の立場のようだ。川本中隊の全滅を考えれば、森の中で夜を過ごすのは危険すぎるというのだ。

 

 「小官は清水大尉の意見に賛成です。夜は銃砲撃の命中率が落ちるので、こちらの火力が発揮できません。その状況であの得体のしれない塊のような生き物に襲われれば、壊滅的な被害を被る恐れがあります」

 佐村は清水作戦参謀の意見に賛成した。視界の効く日中だから何とか追い返せたが、夜にあの化け物に襲われたらどうなるかは、考えただけでも恐ろしい。ここはいったん、半魚人の勢力圏外に退くべきだ。

 

 「では後退するというのかね? それではせっかくの勝利を溝に捨てるようなものではないか」

 滝村参謀長は不快そうな顔でそう言った。おそらく敵に大損害を与えたのは確かだが、それだけでは勝利とは言えない。敵の土地に踏み込んでこその勝利だ。そんな考えが仄見えた。

 

 「無謀な作戦を強行して大損害を受ければ、勝利をそれこそ溝に捨てることになります。ここは堅実に行くべきです」

 清水作戦参謀は負けじと答えた。対外戦争でもないのに要地の確保を目指してどうすると、眼鏡の奥の目が言っていた。

 

 「では並河村の村人はどうするのかね? 救わなくていいのか?」

 滝村参謀長はさらに言いつのった。確かに村人が並河村に取り残されているなら、多少無理をしてでも救うべきかもしれない。だがそれも、本当に生き残りの村人がいての話だ。

 「参謀長、自分の小隊は昨日並河村を視察しましたが、もぬけの殻でした。現在も中に住民はいないと考えます」

 佐村はそう言った。昨日時点で並河村は既に全滅していたのだ。今更突入しても、何も得るものはない。

 「それは…」

 滝村参謀長は絶句した。清水と佐村の言い分が正しいことは分かっているが、勝っていながら後退することに納得できないらしい。

 

 「連隊長はどのようにお考えですか?」

 中里情報参謀が松田連隊長に質問した。

 「私もここは一旦敵の勢力外に出るべきと考える。さっきの得体のしれない兵器は一時的に後退しただけで、今にも再襲撃してくる可能性がある。その状況でここにとどまるべきではない」

 松田はきっぱりと言った。これで話は決まった。

 「全軍は速やかに小里村こりむら周辺まで移動。そこで野営を行う」

 小里村は現在住民が残っている村の中では宇賀那に最も近い。そこに移動するということは、襲撃に備えて住民を護衛する意図があるのだろう。

 やがて松田の命令を受けて、連隊は後退し始めた。いくつかの荷車には戦死者や負傷者が乗っており、この戦いで部隊がかなりの被害を受けたことを伺わせた。


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