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勇戦と霹靂

連隊はまず、昨日佐村の小隊が全滅した並河村に向かった。罠が仕掛けられている可能性を考慮し、昨日とは別の道を利用するという意見も出たが、大規模な軍隊が移動できる道が他に存在しなかったのでやむなく佐村が通ったのと同じ道を使用してだ。

 その山道の仲で、将兵は様々な惨劇の跡を目の当たりにした。血まみれの軍服の切れ端が、まるで誇示されるかのように道端の樹木に引っかけられている。道の所々には大量の血だまりが残り、人体の残骸が無秩序に散らばっている。明らかに佐村の小隊、および川本の中隊が全滅した跡だった。

 

酸鼻な光景を目の当たりにした将校のうち何人かは、古代ローマ軍史の汚点の一つであるトイトブルクの戦いを思い出した。この戦いでは装備と訓練において優れていたローマ軍が、未開のゲルマン人によって森の中に誘い込まれ、全滅させられたのだ。数年後に他のローマ軍部隊が森を通過した時、そこにはまだローマ兵の白骨と軍装が転がっていたという。

 

いや、目の前の状況はトイトブルクよりずっと悍ましいものだった。明らかに食いちぎられたと思われる死体があったのだ。内臓が引きずり出された空っぽの胸郭と、綺麗にしゃぶりつくされ、歯型としか思えない跡がついた白い骨が将兵の目を奪っていた。

 

「宇賀那の化け物たちは時折周囲の村を襲撃し、村人をさらっていく」。連隊本部にいた佐村少尉は、その言い伝えを思い出していた。

 周辺住民はそれを化け物たちが信じる邪神への生贄を調達するためだと言っていたが、食うためもあったのではないか。目の前の惨状を見ると、そのような忌まわしい考えが浮かんだ。半魚人たちはいつからあの宇賀那にいて、いつから人間を襲い始めたのだろうか。

 

3月とは言えども沖縄はそれなりに温暖だ。ずたずたに引き裂かれた肉片と骨からは腐臭が漂い、ハエと地虫がその間から姿を覗かせている。何人かの兵がその光景を見て嘔吐した。

 やがて連隊の先頭が、並河村の前面に達した。先日佐村の小隊、そしておそらくは川本大尉の中隊が全滅した場所だ。そして連隊の到着を待っていたかのように、横の林から半魚人の群れが現れた。その数は昨日より明らかに多く、おそらく千人はいそうだった。


 



 大隊の一つを率いる加納少佐は、彼らの姿を見て一瞬呆然とした。一応出撃前に、川本中隊を全滅させた敵は人間ではない可能性があるという話を聞かされたが、加納はそれを戦場の混乱の中で生まれた妄想と見なしていたのだ。

 だが彼らは存在した。鱗と粘液に覆われた肌、肉食魚とカエルを合わせたような顔、人間に似ているがどこか根本的なところで異なる全体の輪郭。そんな化け物たちが槍や銃を持って加納のほうに近づいてくる。

 

 加納は直ちに指揮下の兵に発砲を命じた。もっとも、命令するまでもなかったかもしれない。兵たちは半魚人の姿を見た途端、絶叫しながら前方に銃を乱射し始めたからだ。加納の大隊の脇を進んでいた和田少佐の大隊も、ほぼ同時に発砲を開始している。

 各指揮官は必死に兵を落ち着かせ、落ち着いた射撃を行わせようとした。佐村小隊や川本中隊の時と異なり、今回はこちらの方が数は多い。その安心感からか完全な発狂者はほとんど出なかったものの、半魚人の異様な姿を見て精神の平衡が崩れたものは多かったのだ。心身の動揺は射撃の正確性にも反映され、狙って撃っているというより乱射に近いものになっていた。

 

 だがともかく、加納大隊と和田大隊の射撃はそれなりに有効だった。この並河村前面に展開していた半魚人の群れは、大量に発射された小銃弾の直撃を受け、次々と倒れていく。半魚人の群れからもライフル射撃が加えられるが、弾量の差には抗すべくもない。

 「勝てる。勝てるぞ。化け物どもを全員地獄に送ってやれ!」

 兵の1人が興奮して叫んだ。得体の知れない化け物だが、とにかくこちらの武器は通用する。しかも向こうの装備は数十丁のライフルのほかは、ただの粗末な槍だ。これなら勝てる。この沖縄の地から、化け物を一掃してやる。

 

 「敵、左から突っ込んできます!」

 大隊本部に付いていた見張り員が加納少佐に伝えた。現在加納大隊は大部分が道の脇の疎林の中に展開している。そして今、その左手から新手の半魚人が現れたのだった。

 「機関銃中隊、射撃開始!」

 加納少佐は命令した。数秒後、凄まじい爆音が鳴り響いた。12丁の重機関銃が火を噴いたのだ。効果は破壊的だった。銃弾は大隊の横合いを襲おうとしていた百体ほどの半魚人に、木々をなぎ倒しながら襲い掛かり、一瞬で半数近くを死傷させたのだ。

 その中でまだしも幸運な者は脳や心臓を破壊されて即死したが、不運な者は弾丸が重要臓器を外れたため、いつまでも森の中をのたうち回っていた。半魚人は人間と比べて強い生命力を持つらしいが、手足を破壊して動けなくなってしまえばそれは不幸でしかない。

 「よし!」

 手足を吹き飛ばされて芋虫のように転がっている半魚人や、銃弾で下半身を吹き飛ばされながら尚も動いている半魚人、目の前で起きた惨事を見て逃げ散った残りの半魚人を見ながら加納少佐は声を上げた。今のところ、彼の大隊の死傷者は十数名、他の大隊もおそらく同じようなものだろう。

 

 目の前の半魚人たちは昨日一個中隊を全滅させたという話だが、それが嘘のような脆さだ。その中隊が全滅したのは数の差と、夜間に襲われたからだろう。正面対決なら、所詮は軍隊の敵ではない。半魚人の死体の山が築かれるのを眺めながら、加納少佐はそのことを確信していた。

 

 



 「半魚人の話が事実だったとはな…」

 連隊本部で戦況を聞きながら、滝村参謀長が独白した。佐村が朝に報告した時は全く信じていなかったが、その目で見てしまったからには信じる以外なくなったのだろう。

 「佐村少尉、疑って済まなかった。貴重な情報を持ち帰ってくれた貴官には、悪いことをしたと思う」

 双眼鏡で前線を観察していた中里情報参謀もそう言った。

 

 「いえ、今朝の時点で信じろと言っても無理なことです」

 佐村はそう答えながら、全員に注意を促した。

 「戦況は今のところ我が軍優勢のようですが、敵の奇襲には注意してください。連中は四足歩行で森の中を移動するので、かなり近くまで来ないと探知できません。私の小隊が昨日全滅したのも、気づくと連中がこちらを包囲する態勢になっていたからです。おそらく、川本大尉殿の中隊も」

 「分かった。心しておこう」

 松田連隊長がそう言うや否や…

 

 「後方から敵接近、その兵力は約200、距離は300m」

 通信班から報告が来た。半魚人の一部が森の中を迂回して、連隊の後方に忍び込んだらしい。連中は森の中の移動に長けている。そのことを伺わせる報告だった。

 「後方に一個中隊を送れ、それと山砲による援護射撃も加えろ」

 

 連隊長の指示は即座に予備として待機していた一個大隊、および山砲中隊に送られた。山砲の、野砲と比べるとどこか軽い発射音が続けざまに響き、連続した爆発音が響く。

 

 


 やがてその音は小銃や機関銃の発射音に変わった。敵が装備するライフルの射撃音はほとんど聞こえない。山砲の射撃を浴びて混乱し、応戦どころではないのかもしれない。

 

 


 「敵潰走、残存兵力120名ほどは森の中に逃げ込みました。我が軍の損害は負傷2名のみ。これより中隊は追撃に移る模様」

 数分後、敵を撃退したとの報告が来た。だが佐村はその報告を聞いて顔をしかめた。深追いは危険ではないか。ただでさえ森の中では、こちらの火力が発揮されにくいのだ。

 

 十数分後、一人の伝令が指揮所に駆け込んできた。

 「中隊が森の中で1000人近い半魚人と交戦中、至急来援を」

 言わんこっちゃない。佐村はさらに顔をしかめた。だが森の中に1000人だと? さらに並河村前面にも1000人ほどがいる。一体、連中は合計で何人いるのだ? 昨日は1000人強だと思っていたのだが、どうもそれどころではないようだ。

 やがて大隊の残りの部隊が出撃していった。これで連隊本部の周りには、本部直属の部隊しかいなくなったことになる。

 


 「意見具申、並河村前面での戦闘はほぼ終わったようです。ここは前面に展開している二個大隊を呼び戻しましょう。周りの森すべてが敵地である以上、分散していては危険です」

 佐村は意見を出した。彼らがさらなる大部隊で襲撃してくる可能性がある以上、連隊本部の直属部隊だけでは心もとない。

 

 「分かった。そうしよう」

 松田連隊長は佐村の意見を容れると、電信兵に指示を出した。だが前方の部隊が戻ってくる前に、森の中に展開していた策敵部隊から新たな報告が届いた。

 「左手から新たな敵が接近、数は数百、な、何だあれは!? 何か山のようなものが近づいてくる! 何だあの化け物は?」

 

 その瞬間、報告は途切れた。連隊本部の全員が顔を見合わせた。全く意味が分からない報告だ。半魚人の姿を見て発狂したとも考えられるが、それにしても「山のようなものが近づいてくる」とはどういうことなのだろう。

 「敵、来ます。う、うわ、何だあれは?」

 双眼鏡で左手の森を観察していた兵が声を上げて倒れた。双眼鏡に映ったものを見て気絶したらしい。傍にいた佐村はその兵から双眼鏡を引ったくると、彼が見たものを観察してみた。

 話の都合上、クトゥルフ神話生物の固有名詞(深き者とかショゴスとか)を中々出せないのがつらいところです。

 ちなみに今年の更新はこれで最後になるかと思います。ここまで読んでくださった方はありがとうございます。そして、来年もよろしくお願いします。

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