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決着

振り返った岡田は、戦艦群の中で3番艦の位置にある伊勢の艦上から膨大な量の黒煙が上がっているのを見た。被害を受けたのは後部らしく、黒煙は伊勢の後方に大きくたなびいている。

 だがどういうことだ。怪物の攻撃はいわば巨大な万力のようにこちらの艦を破壊するもので、爆発や火災を引き起こすものではないはずなのだが。

 

「伊勢より入電、第6砲塔損傷。砲弾が内部で爆発した模様」

 

そうか。岡田は伊勢に何が起きたかを悟った。伊勢が主砲を発射する直前に怪物の攻撃が砲身を歪め、それによって正常な発射が妨げられた砲弾が内部で爆発したのだ。砲塔と言う密閉空間で炸裂した主砲弾は、砲塔それ自体と周辺の機器を滅茶滅茶に破壊したはずだ。

 

「伊勢に命令、極力、艦の保存に努めよ」

 

岡田は蒼白な顔になりながら命令した。主砲塔内部で発生した火災が艦内奥深くに広がれば、最悪の場合伊勢は轟沈する。貴重な主力戦艦の一隻をたかが内乱鎮圧で失ったとなれば、自分が腹を切る程度では済まない。

 伊勢は後方で火災煙を噴き上げ続けている。各艦が発射しているのは徹甲弾に比べて炸薬量が多い榴弾。それが艦内で爆発すれば被害は当然大きなものとなる。被害規模は敵の主砲弾を砲塔に食らった時より大きいかもしれない。

 


岡田はとりあえず伊勢から視線を外した。伊勢のことは心配だが、艦長や乗員の応急能力に期待するしかない。今は、あの怪物を倒すことだ。伊勢の仇を討つためにも、これ以上の被害を阻止するためにも。

 6隻の戦艦の主砲が尚も咆哮する。さらに主砲と比べればささやかな威力しかない副砲も負けじと発射され、怪物の周囲に着弾する。今や戦艦群全体が、発射煙で覆われていた。

 岡田は怪物を見つめ続けた。蛸を思わせる巨体は砲弾炸裂の閃光と煙で、ほとんど見えなくなっている。とりあえず今は発光していないことが分かる程度だ。

 

そして怪物は少しずつ森に近づいている。砲撃で足を傷つけられたせいか動きがやや鈍くなっているが、それでも着実に陸軍部隊のほうに近づいていた。そしてその巨体が再び発光した。

 

「今度はどの艦だ?」


 岡田は固唾を飲んで、次に起きる事態を把握しようとした。今のところ攻撃目標になっていない後方の3隻が狙われるのか、前方の3隻を再び攻撃するか、はたまたこれまで無視していた駆逐艦群がやられるか。

 


だが次に起きたことはそのいずれでもなかった。陸軍部隊が隠れている森の一角が、いきなり崩れ落ちたのだ。怪物の発光は二度、三度と連続し、そのたびに森の木々の一部が圧縮されて粉砕される。それはあたかも、幼児が遊び半分で行う積み木崩しのようだった。


「攻撃目標を陸軍に変更したのか?」

 

岡田は首を傾げた。あのような怪物の思考法など人類にわかるはずもないが、それにしても不可解な行動だった。

 怪物は明らかに陸軍を狙っている。しかし何故だろう。現在あの怪物にとって脅威となっているのは、岡田が指揮する海軍のはずだ。海軍は砲撃によって怪物にある程度のダメージを与えているが、陸軍は森の中で息を潜めているだけだからだ。

 その海軍を無視して陸軍を攻撃しているのは、基本的な合理性に反した行動のように岡田には思われた。



 



 「気づいたらしいな」


自分たちが身を潜めている森の中の木々が次々に粉砕されるのを見て、佐村は呟いた。古の者の兵器による攻撃を開始した直後、怪物はこちらに向かってきた。おそらく海軍艦艇の砲より、こちらの方が脅威になると見たのだろう。 

 怪物が発光するたびに、何とも形容しがたい轟音と共に森の一角が粉砕され、その周囲から鳥が飛び立っていく。おそらく味方の一部も森と同時に粉砕されているのだろうが、佐村の位置からではそれを確認することはできなかった。

 

「来るなよ。まだ来るなよ」

 

佐村はひたすら、自分や実田のいる位置が攻撃目標とならないことを祈っていた。自身の生命というより、実田が操作している古の者の兵器の安否を懸念してのことだ。クトゥルフの落とし子の攻撃は、さっき戦艦の主砲塔や艦橋まで破壊した。あれを食らえば、おそらく古の者の兵器も破壊されてしまう。

 

「効果はどうだ?」

 

佐村は恐怖を忘れようとするかのように、クトゥルフの落とし子の様子を観察した。戦艦群による砲撃と古の者の兵器による攻撃にも関わらず、怪物は概ね、原型を保っているようだ。

一見、こちらの攻撃は全く効いていないように見えるが、佐村はすぐにそうではないことに気付いた。

 

「再生が阻害されている?」

 

クトゥルフの落とし子はさっきまで、おそらくショゴスをも上回る再生能力を発揮していた。戦艦の砲撃がいくら表面を傷つけても鱗や触手はすぐに元に戻り、いったんは吹き飛ばされた脚までが再生した。

 それが今は、その巨体に打撃が蓄積しているように見える。至近弾による傷は塞がれずに緑色の液体を流し続け、失われた触手もなかなか生えてこない。

 双眼鏡を使って細部を観察すると、落とし子の体表は半ば液状化し、そこから伸びようとしている新しい触手の大半が溶けていっているのが分かった。おそらく、古の者の兵器による分子構造の破壊と、クトゥルフの落とし子の再生能力が拮抗しているのだ。

 


落とし子の巨体からは続けざまに緑色の体液が流れ落ちていく。その粘状の液体は瘴気を放ちながら、地面に吸い込まれることもなくその場に留まり続けた。佐村はただ何となく、地面に形成された緑色の沼地を眺めていたが。

 

「…何!?」

 

次に起きたことを見て、佐村は目を見張った。体液が溜まった場所から、突然触手のようなものが何本も伸びてきたのだ。触手はまっすぐに、陸軍が潜む森のほうに向かってきた。

 

「新手の攻撃? いや違う」

 

地面から伸びてきた触手は森に入って木々や兵を薙ぎ倒すのではなく、上空を移動していた。よく観察すると、その端々には眼球のようなものがついている。

 

「いかん、あの目を撃て!」

 

触手の正体に気付いた佐村は部下に命令した。触手はおそらく、なかなか古の者の兵器を発見できずに苛立ったクトゥルフの落とし子が、森の中の様子を探るために展開させたものだ。さっさと破壊しないとまずいことになる。

 部下たちはすぐに小銃を発砲したが、眼球の完全破壊は難しかった。触手にも本体と同じように再生能力があるらしく、出来た穴がすぐに塞がれてしまうのだ。

 気が付くと、周囲の森から次々と小銃の発砲音が聞こえた。連隊の他の将兵も、触手を銃撃しているのだろう。

 

「ダメだ」

 

佐村は頭上に伸びる触手を絶望の面持ちで睨みつけた。松田連隊は砲や機関銃などの重装備のほとんどを、宇賀那に置き捨てて来ている。近くで観測にあたっていた辻野大尉の部隊などは、小銃さえ装備していない兵が目立った。これでは、触手の破壊など不可能だ。

 触手が展開してから数秒後、また新たな攻撃が行われた。木々が粉砕される轟音が、将兵の微かな悲鳴と共に聞こえてくる。クトゥルフの落とし子が森の中の情報を掴んだことを反映してか、悲鳴の数はこれまでにないほど多かった。

 

「最後か…」

 

このままでは、佐村たちが発見されるのも時間の問題だろう。そうなれば、落とし子を倒せる可能性がある兵器も同時に失われることになる。

 佐村は手榴弾を握りしめると、森を出てクトゥルフの落とし子がいる宇賀那に向かおうとした。もちろんあの怪物に手榴弾が通用するはずもないが、せめて自分が囮になれないかと思ったのだ。

 

そのクトゥルフの落とし子のすぐ近くに巨大な爆炎が上がった。攻撃から一時的に解放された味方戦艦の主砲弾が、至近距離に落下したらしい。

 どうせ大したダメージはないだろうと思いながら、硝煙の中から現れた落とし子の姿を見た佐村は眼を疑った。脚のうち3本が吹き飛ばされ、再生する気配もない。さらに全身に鉄片が突き刺さり、そこから大量の体液が流れていた。 

 怪物はそれでも歩き始めたが、動きは明らかに鈍くなっている。脚が失われたせいだけでなく、明らかに弱っていた。

 

「これが古の者の武器の威力だ。一定期間の照射を行えば、どのような物質であろうと分子構造を破壊され、再生が不可能になる」

 

兵器を操作している実田が、クトゥルフの落とし子の姿を見てどこか勝ち誇ったように言った。

 

「深き者共の失敗は、貴軍に正面からの戦いを挑んだことだ。連中が森の中に展開して、偵察と分散した部隊への奇襲に徹していれば厄介だったが、幸い奴らは大量の銃を手に入れたことに奢って自滅した」

 

既に決着がついているような口調だったが、佐村の方はそれほど楽観的にはなれなかった。落とし子はまだ生きているし、索敵の為に展開していると思われる触手もそのままなのだ。

 その触手についた目が不意に向きを変え、佐村たちを値踏みするように睨んだ。佐村は凄まじい恐怖を覚えた。ついに発見されたのか?

 


絶望した彼の耳に、一昨日から散々耳慣れた音が聞こえた。鋭い連続音と、重々しい轟音。機関銃と砲の発射音だ。その方向を見ると、上空の触手の表面で次々に爆発が起きている。

 

「高木大佐の部隊か!」

 

佐村は事態を悟った。森の中で深き者と交戦していた高木連隊が、ようやく到着したのだ。

 佐村の方を向いていた触手は、大きくうねると高木連隊の方向に向かった。数秒後、その方向で破壊音が聞こえた。

 

「済まない…」

 

佐村は結果的に囮となってくれた高木連隊に詫びた。落とし子は小銃しか持っていない佐村たちより、銃火器を持った高木連隊の方を主力と見なしたらしい。

 そして向きなおった佐村は、その光景を見た。海の方から放たれた黒い影のようなものが、既にボロボロになった怪物に吸い込まれていく。

 一瞬後、巨大な蛸を思わせるその輪郭が完全に崩壊し、爆炎がすべてを覆いつくした。




 岡田大将は、長門の艦上で快哉を挙げていた。

長門がこの日何十回目になるかも分からない斉射を放った後、それは起きた。怪物の前面に巨大な閃光が走り、次の瞬間何かが吹き飛ばされたのだ。直撃弾に間違いなかった。  

悪戦苦闘させられながらも、第一艦隊は怪物に主砲弾を直撃させたのだ。一瞬後、さらに次の砲弾が怪物の至近距離に落下し、怪物の姿は見えなくなった。

 

 「射撃中止」

 

 岡田は命令した。おそらくさっきの砲撃で、怪物は致命傷を負った。これ以上の砲撃は砲弾の無駄遣いにしかならない。

 

 やがて宇賀那を覆い尽くしていた硝煙が晴れ、怪物、あるいはその残骸が姿を現した。球状の胴体は四分五裂となり、夥しい量の緑色の液体が流れている。巨体を支えていた脚のほとんどは吹き飛ばされ、僅かな残骸だけが原型をとどめないほどに破壊された胴体の周囲に転がっていた。

 怪物が再生する気配はない。その巨体は艦上の将兵が見守る中、蒸発するように消えていった。

 

 「どうやら勝ったか」

 

 岡田は安堵のため息をついた。第一艦隊は得体のしれない怪物相手の戦いに勝利を収めたのだ。

 

 「陸軍より入電、貴艦隊の適切なる支援、感謝に絶えず。以上です」

 

 その電文を聞いて、岡田は自分たちの役目が終わったことを悟った。陸軍部隊を追いかけまわしていた怪物は倒した。後は最初に起きていたらしい暴動の鎮圧だが、それは陸軍だけでも片が付くだろう。岡田は、この戦いで最後となる命令を出した。

 

 「全艦隊、取り舵。これより呉に帰還する」

 

 第一艦隊の戦艦群のうち、3隻が損傷を受けている。特に主砲塔一基を失った伊勢の被害は深刻だ。海軍の役目が終わった以上、一刻も早く母港に戻ってドックで修理を受ける必要があった。

 

 「それにしても、政府の連中はどうするのかな」

 

 岡田は苦笑した。たかが内乱の鎮圧で、戦艦が損傷を受けるとは前代未聞の事態だ。第一艦隊が帰還した途端、特に海軍省は蜂の巣をつついたような大騒ぎになるだろう。

 さらに彼らが長門艦上から撮ったあの怪物の写真や、陸軍が撮影したであろう半魚人の写真を見ればどんな顔をすることやら。

 

 「まあ、いい」

 

 自分の任務は軍人として目の前の敵と戦うことだ。怪物が存在することを知った国がどのような対応を取るかについては、自分の職務の範囲外にあった。

 

 


 「やったな! 実田。あなた方には感謝してもしきれない」

 

 クトゥルフの落とし子が粉砕されたのを見た佐村は、実田にそう声をかけた。最初は全く信用していなかったが、彼とセラエノ神智教会は軍に対して何にも変えがたい貢献をしてくれた。セラエノ神智教会の信仰の中身はともかく、クトゥルフの眷属たちとの戦いにおけるその働きは非の打ち所がないものだった。

 

 「嬉しそうだな」

 

 一方の実田は、相変わらずの無感動な口調で言った。

 

 「ああ、勝ったのだからな」

 「そう思うか?」

 

 「どういう事だ?」

 

 佐村は実田の思わせぶりな態度に困惑した。

 

 「貴軍が倒したのはあくまで落とし子だ。クトゥルフは未だ、ルルイエにいる。今はまだその力が蘇っていないが、このままでは完全に復活するだろう」

 「何だと!?」





  

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