対決
「どうかな」
機関銃中隊の指揮官(その機関銃は現在宇賀那に置き捨てられているが)を務める辻野大尉は宇賀那からほど近い森の中で、海軍とクトゥルフの落とし子の戦闘を観察していた。現在、部隊の本部はもっと後方にあるが、彼は自ら志願して宇賀那に近づき、本部に情報を送っていた。
連隊本部を救った最初の砲撃の後、味方の戦艦部隊はしばらく動きを止めていたが、再び射撃を開始したようだ。
艦上に巨大な閃光が走ったかと思うと砲煙が上がり、宇賀那の土地の至る所で凄まじい爆発が起きる。弾着の衝撃は、かなり離れたところから見ている辻野の身体を大きく震わせるほどだった。
格が違うなと辻野は感じた。戦艦の主砲の威力は、ショゴスとの戦闘で活躍した重砲部隊などとは比べ物にならない。砲弾が落下した跡にはちょっとしたクレーターに匹敵するほどの大穴が開き、そこにあったものは根こそぎ吹き飛ばされる。
そんな戦艦の主砲弾の一発が、クトゥルフの落とし子の近くで炸裂した。辻野は歓声を上げた。陸軍部隊の砲では掠り傷をつけるのが精一杯だったが、戦艦の主砲は威力において別格だ。
その砲弾重量は600㎏から1tにも達し、陸軍部隊が持つ最大の砲の数倍の威力を持つ。クトゥルフの落とし子がいかに強大でも、戦艦主砲には耐えられないのではないか。
やがて爆炎の中から現れたクトゥルフの落とし子の姿を見て、辻野と周りの兵は歓喜と失望の入り混じった声を上げた。戦艦の主砲をもってしても一発での撃破はできなかったらしく、クトゥルフの落とし子は原型を保っている。
だが詳しく観察すると、陸軍がさっき行った攻撃とは比べ物にならないダメージを与えたことが分かった。巨大な球形の胴体から無数に伸びていた細長い触手は、一部が吹き飛ばされている。さらに巨体を覆う鱗はそこらかしこで剥がれ、その跡からは血のような濃緑色の液体が流れていた。
「よし、もう一発だ!」
近くにいた兵が声を上げた。戦艦の主砲射撃は確実にあの怪物に打撃を与えている。このまま打撃を与え続ければ勝てるはずだ。そのことを確信した叫びだった。
「うん? あれは…」
その声を横目に宇賀那の様子を観察していた辻野はあることに気づいた。一時海の中に逃亡した深き者が再び上陸してきている。そして彼らは宇賀那の内陸部に向かっているようだ。さっき部隊が撤退した時、遺棄していった砲や機関銃がある場所へと。
「海軍に上陸してきた半魚人を撃つように要請してください。奴らは我々の装備を鹵獲しようとしています」
辻野は隣に設置した通信機で本部に情報を伝えた。深き者に砲や機関銃を扱えるかは定かでないが、奴らは少なくともライフルは使いこなしていた。より大型の武器も使えないとは言い切れない以上、こちらの装備を鹵獲されることは絶対に阻止しなければならない。
その間にも戦艦の主砲による攻撃は続いている。相手が敵国の戦艦に比べれば小さく、不規則な動きをするせいで直撃弾は出せないようだが、いくつかの砲弾は近距離に落下しているようだ。
戦艦の主砲弾が近距離で炸裂するたびに、クトゥルフの落とし子は大きく姿勢を崩し、時には転倒しそうになる。砲弾の破片の一部は触手をもぎ取り、胴体の表面を傷だらけにしていく。
「味方の駆逐艦が射撃を始めました!」
近くにいた兵が報告してきた。確かに10隻近くの駆逐艦が海岸付近まで接近し、小口径砲で宇賀那を砲撃している。その目標は遺棄されたこちらの装備に接近している深き者のようだ。さっき辻野が送った情報が、海軍に届いたのだろう。
駆逐艦の砲による攻撃は連続する。口径が小さい分、戦艦の主砲などとは比べ物にならない速度で発射できるのだ。
そして小さいと言っても、その威力は陸軍の野戦重砲に準じ、数も多い。その恐るべき火力が宇賀那に戻ってきた深き者に向けられていた。
たちまち深き者の集団の中にいくつもの爆炎が連続して吹き上がり、近くにいた者が次々と倒れた。いや、倒れたなどという生易しい言葉では済まない。
砲弾が炸裂した瞬間、爆心地の付近にいた者は一瞬で蒸発し、少しだけ遠くにいた者は爆風を浴びて肉塊と化す。そして中途半端な距離にいた者、ある意味で最も不運な者は多数の断片を浴びて複数個所に重傷を負い、失血死までの残酷に長い時間を耐え忍ぶことになる。
「よし、がんばれ。海軍」
皆は知らず知らずのうちにそんな歓声を発していた。陸軍が日ごろ海軍に対して抱いている対立意識は、少なくとも今この場では鳴りを潜めている。宇賀那周辺の森に逃げ込んだ陸軍の将兵たちは純粋に海軍に感謝し、その火力に畏敬の念を抱いていた。
海軍艦艇の放つ砲火は、宇賀那の海岸部に据え付けられていた古の者の機械にも降り注いだ。海軍はこれを敵の兵器ないし防御陣地のようなものと見なしたのだ。 もっとも、その誤解がなかったとしても結局機械は破壊されただろう。軍艦の砲とは確率論の兵器であり、ある特定の物体だけを破壊せずに済ますことは不可能なのだ。
まず駆逐艦の放つ砲弾が機械を直撃し、それを構成する数十個の球体のうち2つが地上に落下した。直撃弾や至近弾が出るたびに機械に繋がれていた人間たちは死んでいったが、海軍はそれに気づかず、陸軍も特に知らせようとはしなかった。どのみち彼らを救う方法がない以上、知らせても無駄と判断したのだ。
駆逐艦の主砲弾が何発か当たった後で戦艦の主砲弾、おそらく36センチ砲弾が機械に命中した。着弾の瞬間、機械からは鮮烈な光と共に、悲鳴じみた絶叫が流れ出したが、続いて発生した巨大な爆炎と砲弾の炸裂音がすべてをかき消していった。
煙が収まった後、そこに転がっていたのはバラバラになって地上に落下した数十個の球体とその破片、及び内部に収まっていた機械の断片だった。
機械を調査すれば有益な資料となったかもしれないが、それは無理な相談だった。今度は40センチ砲弾が機械の跡地に落下したからだ。
さっきにもまして巨大な爆発光が止んだ後、そこに残っていたのはクレーターと捻じ曲がった僅かな金属の塊だけだった。戦艦の主砲弾の爆発エネルギーによって、機械の残骸と生贄にされた人々の死体のほとんどが塵となったのだ。
森の中に撤退していた松田連隊長と幕僚たちは、機械が破壊されたことを乏しい視界の中で何とか確認した。彼らは一瞬、クトゥルフの落とし子が消滅することを期待した。
セラエノ神智教会によると、クトゥルフとその眷属の出現にはあの機械が関係しているらしい。ということは、機械が破壊されれば彼らは存在できなくなるのではないか。
「虫のいいことを考えているようだが」
いつの間にか連隊本部に戻ってきていた実田が、こちらの心を読んだかのように冷笑した。
「一旦復活してしまったものは、儀式が中断してもいなくなることはない。猛獣が逃げ出した後で、檻の扉を閉めなおしても意味がないのと同じことでな。だから我々の言う通り、昨日のうちに宇賀那を攻略すべきだったのだよ」
実田の言葉を聞いて、滝村参謀長が一瞬激昂の表情を浮かべた。昨日のうちの攻略が不可能だった理由については説明し、実田自身も納得していたはずだ。それを今になって蒸し返そうというのか。滝村はそう言いたげに実田を睨みつけた。
だが滝村が何かを言う前に、清水作戦参謀が実田に質問していた。
「海軍は、勝てると思うか? あの化け物、クトゥルフの落とし子を倒せると思うか?」
清水の視線の先には味方の戦艦群と対峙するクトゥルフの落とし子の姿があった。艦隊の登場を見て戸惑ったように歩き回っていた怪物は、再び全身からあの奇妙な光を放っていた。
攻撃目標はどこなのだろう。陸軍部隊は森の中に散開しているし、現在クトゥルフの落とし子に対して発砲していない。ということはその目標は海軍である可能性が高いが、艦艇に対してもあの攻撃は通用するのだろうか。
清水は双眼鏡の先を沖合の軍艦に向けると、何が起こるかを固唾を飲んで見守った。見たところ、戦艦も駆逐艦も変わらずに航行しているように見えるが。
「長官、本艦の第一砲塔が使用不能になりました」
「何だと!?」
砲術長からの報告を聞いて、旗艦長門艦上の岡田第一艦隊司令長官は顔色を変えた。第一砲塔を見ると確かに二本の砲身が微妙に曲がっている。僅かな歪み方だが、発砲が不可能になったのは確かだろう。
「しかし、どうやって?」
岡田は首を捻った。発砲を続けた結果、軍艦の砲が過熱して歪むことはあるが、それは旧式艦の砲を短時間に連続して発砲した場合だ。新鋭艦であり、それほど多くの斉射を行ったわけでもないこの長門で、そのような事態が起こるとは考えにくい。
他に考えられるのは、敵に攻撃を受けたという可能性だ。だが怪物は奇妙な光を放ちはしたが、こちらに向けて砲弾やそれに類するものを飛ばしてきたわけではない。それなのに何故、長門の第一砲塔が破壊されたのだろう。
「とにかく残った砲で発砲を続けろ!」
気を取り直して岡田は命令した。長門の主砲はまだ六門残っているし、他の艦の砲が使用不能になったという報告もない。艦隊全体としての砲撃力は、さほど削がれてはいないはずだ。
「第二砲塔使用不能!」
だがそう思った矢先に、さらなる悲報が届いた。艦橋のすぐ前に位置する第二砲塔の砲身が、第一砲塔と同じく歪んでいる。これで長門は火力の半分を失ったことになる。
前部砲塔全てを失ったことより問題なのは、相手の攻撃手段が全く分からないことだ。とにかくあの怪物が得体のしれない光を放ったかと思うと、主砲塔が使用不能になるのだ。これでは防ぎようがなかった。
岡田が歯ぎしりした瞬間、後方から凄まじい衝撃と轟音が伝わった。長門は後部に残された二基の主砲塔で砲撃を行ったのだ。
「怪物に至近弾!」
直後に嬉しそうな報告が届いた。時間的にさっき放った砲撃によるものではない。おそらく他の戦艦が放った砲弾が、怪物の至近距離に着弾したのだ。岡田は司令塔に据え付けられた大型双眼鏡で怪物の様子を観察した。
やがて爆炎の中から現れた怪物の姿を見て、岡田は快哉を挙げた。怪物の八本の脚のうち、一本が吹き飛ばされている。その跡からは緑色の液体が大量に流れており、相当なダメージを与えたことを伺わせた。
それでも怪物は屈しなかった。残っている触手の先端と全身がまたもや光を発する。岡田はそれを見て身構えた。また自分の旗艦の主砲塔が破壊されるのかと思ったのだ。
「陸奥より入電、射撃指揮所損傷。現在予備射撃指揮所に切り替え中」
だが被害の報告は意外なところから来た。旗艦長門の後方を走っていた戦艦陸奥の射撃指揮所が破壊されたというのだ。
思わず振り返って陸奥の姿を見た岡田は絶句した。長門型戦艦の丈高い艦橋の先端が大きく折れ曲がり、今にも艦上に落下しそうな状態になっている。ほぼ間違いなく、さっき長門の主砲塔を破壊したのと同じ攻撃によるものだ。
報告では射撃指揮所損傷となっているが、おそらく射撃指揮所それ自体と言うより、そこと主砲塔をつなぐ電路が切断されたのだろう。どちらにせよ、これで陸奥の射撃精度は大きく低下したことになる。
「怪物が再生しつつあります!」
さらに悲鳴じみた報告が届いた。岡田は愕然として、クトゥルフの落とし子の姿を観察した。確かにさっき吹き飛ばしたはずの脚が、再び伸び始めている。このままでは、完全な再生も近いと思われた。
「第一戦隊、第二戦隊、面舵30度、この距離では当たらん。もっと近距離から主砲弾を撃ち込んでやれ」
岡田はとっさに命令した。幾度となく行われた砲撃も、怪物に致命傷を与えるには至っていない。
考えてみれば当然のことだった。あの怪物は生物としては途方もなく巨大だが、普通軍艦にとっての攻撃目標となる敵国の軍艦よりはかなり小さい。それだけ、砲撃の命中率は低くなることになる。
しかも軍艦が直進か面舵か取り舵という3つの動きしか取れないのに対し、8本の脚で動く怪物は自由自在に移動できる。艦隊が放つ砲火の相当数が、怪物の予想外の動きによって躱されていた。
そして怪物が放ってくる得体のしれない攻撃により、戦艦部隊の攻撃力は徐々に削がれていく。このままでは全艦が戦闘力を失うという最悪の事態も考えられる。その焦りが、岡田に怪物への接近を命令させていた。




