宇賀那突入
今度は20人ほどの深き者が、ライフルを片手に工藤の小隊に襲い掛かってくる。鱗と粘液に覆われた肌、潰れたカエルを思わせる醜悪な顔が工藤を始めとする小隊全員の目に焼き付いた。
小隊の軽機関銃が咆哮し、毎分数百発の速度で発射される高速弾が深き者を薙ぎ払う。胴体に複数の弾を食らった者は複数の重要臓器を破壊されてショック状態になり、頭部を破壊された者は数歩進んだ後でその場に倒れ伏す。小銃も連続して発射され、異形の生物の肉体を容赦なく破壊する。
だが。
「埒が明かん」
さっきの下士官が呟く独り言が工藤の耳に入った。その通りだった。昨日と一昨日に交戦した松田連隊の話では、深き者は不利を悟ると後退するとのことだったが、今この場所ではそんな様子は全く見せない。
人類側の火力でいくら粉砕されても、全く怯えや躊躇いを見せることなく進んでくる。これが人間の軍隊であれば、敵ながら見事と評価すべきかもしれない。
そんな感慨を抱いたのは一瞬だった。生き残った深き者が槍を持って突っ込んできたのだ。もう距離はほとんどない。
周囲の下士官と兵が工藤を守るべく銃剣で槍衾を作った。工藤も軍刀を構える。相手が人間であれば、この中に突入しようとはしないはずだ。
だが深き者たちは全く躊躇せずに突っ込んできた。その奇怪な顔貌には何の表情も浮かんでいない。工藤たちは一瞬、自分たちが生物ではなく感情を持たない機械と戦っているような錯覚を抱いた。
轟音が響き、何人かの深き者の肉体に小さな空洞が形成された。小銃の零距離射撃が行われたのだ。ほとんど初速そのままで深き者に命中した銃弾は、衝撃で彼らの体組織を広範囲にわたって粉砕した。
工藤たちからは見えなかったが、深き者たちの背中には巨大な射出孔が開き、そこからずたずたになった肉片と骨片、脂肪組織が露出している。
その一瞬後、射撃音と物体が飛翔する音が響いた。深き者たちがライフルを発砲するか、あるいは槍を投げつけたのだ。明らかに致命傷を負っている者ですら、この攻撃に加わっている。凄まじい執念だった。
今度は人類側が火力の洗礼を浴びる番だった。ライフル弾を食らった兵が軍服を赤く染めて倒れ、胸部を槍で貫かれた兵が、自分に起きたことが信じられないと言った表情で崩れ落ちる。硝煙と血と内臓の臭気が周囲に漂い、将兵の嗅覚を麻痺させた。
至近距離からの攻撃で少なからぬ数の兵を倒した深き者は、そのまま敵味方の死体を踏み越えて隊列に突っ込んできた。深き者の槍と軍隊の銃剣が交差し、金属が肉と骨を抉る音が延々と響く。
工藤は目の前の深き者の腕を軍刀で切断することに成功したが、横にいたもう一人の槍で右肩を砕かれた。破壊された肉と関節から気が遠くなるほどの激痛が走り、右腕の感覚がなくなった。
眩んだ視界の中、工藤は深き者の顔を見た。カエルに似た醜悪なその顔は、さっきと違ってどこか勝ち誇っているようにも見える。
右肩からさらなる痛みが襲ってきた。一旦突き刺さった槍が、体内で動いているのだ。どうやら深き者は突き刺した槍を抜こうとしているらしい。工藤は気絶しそうになりながらも腰に差していた拳銃を抜くと、深き者の顔を狙って発砲した。左手に重い衝撃が伝わる。
深き者は耳障りな悲鳴を上げながら、口から赤い液体と白い欠片を吐き出した。工藤が放った拳銃弾は深き者の鼻孔の脇に命中し、歯と口蓋を砕いたのだ。額の真ん中を狙ったつもりだったが、左手で撃ったせいで狙いが逸れたらしい。
深き者は血と肉が混ざった液体を吐きながら、なおも槍を引き抜こうとした。周囲の骨が軋み、肉がつぶれる感触が言語に絶する苦痛と共に伝わってくる。工藤は姿勢を崩しながらも、拳銃を続けて発砲した。銃声が響くたびに、深き者の顔から血と肉と骨が散らばり、原型が失せていく。
気づいたとき、工藤は全弾を撃ち尽くしていた。目の前には頭部を破壊された深き者が転がっている。砕けた頭蓋骨から白い脳が覗き、首筋に命中した銃弾の痕から夥しい血が流れている。何が致命傷だったかは定かではないが、この深き者が再び立ち上がることはないのは明らかだった。
「小隊長殿、敵は撃退しました」
工藤小隊の下士官の1人である榊田軍曹が荒い口調で報告に来た。確かに前面には、いつの間にか動いている深き者はいなくなっていた。小隊は苦戦しながらも、突撃してきた深き者全員を倒したらしい。
「敵の新手は?」
右肩に突き刺さったままの槍を左手で押さえながら、工藤は榊田に質問した。敵はまだ、かなりの数が残っていたはずだ。その証拠に、周囲ではなおも喚声が響いている。敵が新たに攻撃して来たら、兵力の半数近くを失った工藤の小隊は危ないかもしれない。
「おそらくもう敵の大規模な攻撃はないかと思われます。高木大佐の本隊も来てくれましたし」
言われて工藤はようやく、新たな部隊が戦いに加わっていることに気づいた。いつの間にか工藤小隊が所属する別動隊の側面に、友軍の歩兵部隊が出現している。近くを進んでいた高木連隊の一部が、戦場に到着して深き者を攻撃していたのだ。
深き者はなおも交戦を続けているが、数の差は既に逆転している。人類側の勝利は揺るがないように見えた。
「小隊長は後方で衛生兵の手当てを受けてください。部隊の指揮は小官が取りますので」
工藤が負傷していることに気づいた榊田は、我に返ったかのようにそう言った。工藤が答えようとしたとき、それは起きた。
工藤たちの斜め前方、宇賀那がある方角から強烈な悪臭と瘴気、そして圧倒的な何者かの気配がした。続いて巨大な何かが大地を踏みしめるときに発せられる鈍い震動が走った。
「な、何だ!?」
将兵たちは一斉に声を上げた。宇賀那で何かが起きたのは間違いない。だが、一体何が起きたのだろう。彼らは悪臭にむせ返りながら目を凝らしたが、宇賀那は密林に遮られ、そこで発生している事態を理解することはできなかった。
それに勇気づけられたかのように、深き者たちは最後の突撃を行った。耳障りな甲高い声が、異様な雰囲気に怯えている将兵の耳に突き刺さる。
対して北本の分遣隊と合流した高木の連隊は容赦なく火力を叩きつけ、彼らの肉体を粉砕していく。兵たちは動揺しながらも、目の前の敵に対して必死に応戦しているのだ。火器の発射音、砲弾の爆発音がひとしきり響き、濃厚な血の臭いさえかき消すほどに硝煙が立ち込める。
将兵たちが我に返った時には、目の前に生きている深き者はいなくなっていた。ほとんどが死ぬか動けなくなり、僅かな生き残りは森の中に逃亡したらしい。
連隊を指揮する高木大佐は、深き者の掃討を確認すると同時に部隊に前進を命じようとした。松田連隊が宇賀那に向かったという報告は既に受けている。そして先ほどから続いている巨大な足音や悪臭から判断すると、そこで彼らに何かが起こったのは間違いない。一刻も早く合流しなければならなかった。
だが高木が部隊に指示を出すことはできなかった。「これより宇賀那に前進」という命令を出そうとする前に、高木は自分の身体が宙に浮くのを感じた。事態を悟る間もなく、背中と後頭部に凄まじい衝撃が伝わり、視界が暗くなっていく。
最後に彼の目に入ったのは、主に赤土で構成される沖縄の地層の断面とそこを動く黒い生き物だった。その生き物の名がクトーニアンであることを思い出す前に、高木の意識は消滅した。
高木を飲み込んだもの、クトーニアンによって形成された地割れの周囲では、連隊長と幹部幕僚を失った連隊が右往左往している。
深き者たちは全滅しながらも、最後に復讐を成し遂げた。北本の分遣隊を迎撃した地点に潜ませていたクトーニアンによって連隊の指揮中枢を破壊し、部隊の戦闘力を一時的に失わせることに成功したのだ。
生き残った将校たちは逃げ散った兵を必死で統制しようとしているが、連隊の秩序が回復するのは、かなり先になりそうだった。
その少し前、松田連隊はほとんど抵抗を受けることもなく宇賀那に突入していた。
彼らが最初に感じたのは悪臭だった。一昨日から散々慣れっこになった深き者の体臭、獲れてから時間が経った魚や牡蠣の粘液を思わせる臭気が、村全体に漂っている。周辺住民が宇賀那とその住民を嫌悪したのも無理はない。いかに漁村とはいえ、この臭いは普通ではあり得ない。
次に将兵が驚いたのは、宇賀那の大きさだった。事前の情報通り村の領地はちょっとした町に匹敵するほど広く、立ち並ぶ家の数も多い。その多くは古めかしく、一見廃屋のようだが、よく見ると居住可能な程度に管理が行われているのが分かる。
「これが人口600人の村だと? 役人どもの目は節穴だったようだな」
昨日に続いて旧加納大隊の指揮官代理を務める天野大尉は、村内の道を歩きながら呟いた。この規模の村ならその10倍の人数でも収容できるはずだ。600人とは単に「表に出てこられる人間の数」だったのだろう。
そして村の端々には、奇妙な像が飾られていた。基本的にはヒト型をしているが、全身が鱗で覆われ、背中には小さな翼が付いている。中でも異様なのが頭部だった。球形で所々から触手が伸び、奇形の頭足類を思わせる。
そんな怪物の像が、宇賀那の至る所に飾られている。おそらく深き者たちの神を現わしたものだろう。像は見たこともないような緑色の岩石で作られているが、所々に赤黒い染みが付いている。おそらく人間の血液だろうと天野は直感した。
像自体の大きさは人間の背丈の半分程度だが、白茶けた台に乗っているために頂部は宇賀那を歩いている人間たちを見下ろす形になっている。
台に目を凝らした天野は眉を顰めた。その台の材質が人骨であることに気づいたのだ。下部の骨は風化が進んで土に還りかけているが、上部の骨には赤黒く腐ったような染みが付き、近づくと未だに腐臭がする。
骨は間違いなく、周囲の村から宇賀那に誘拐されて殺害された人々のものだ。骨の状態のばらつきから見て、この行為は遥か昔から行われてきたのだろう。
天野は呆れかえった。よくこんな村が、この時代まで放置されていたものだ。
深き者や人間は全く出てこないが、微かに声がする。その声は海辺から聞こえてきた。恐らくそこに深き者が集まっていると判断し、連隊は宇賀那海岸部の漁港に向かった。




