末裔
本話にはクトゥルフ神話についてのかなり異端な自己解釈が含まれます。まあ本作自体が異端であり、神話作品かどうかも微妙な代物なので、大目に見て頂けると有難いです。
古の者は人類についてこう述べたのだ。「被造物の堕落した末裔」と。佐村がそれについて聞く前に、中里情報参謀が質問した。
「実田、人類はどうだ? やはり彼らによって作り出されたのか?」
「半分正しく、半分誤りだな。人類は意図して創造された存在ではない。奴らが作った生物の1つが、勝手に進化したものだ」
「奴らの被造物の1つか、それはどのような生き物だったのだ?」
「貴殿らはもう散々見ているはずだが。気が付かなかったのか?」
「我々が既にそれを見ているだと?」
質問した中里を始め、皆が首を傾げた。人類の直接の祖先は類人猿と言われている。しかし日本には類人猿など生息しておらず、見る機会は動物園にでも行かなければないはずだ。だから実田の言い方は奇妙に映った。
ただ、あるいは訝し気な態度は演技だったのかもしれない。彼らの少なくとも一部は内心で、実田が言わんとしていることに気づいていたのかもしれない。それが余りに恐ろしいものだったため、わざと気づかなかったふりをしていたのかもしれない。
そんな彼らに向かって、実田は冷然とした口調で言った。
「気づいていないなら教えてやろう。深き者だ。我々はあの生き物が進化してできた存在だ」
実田を除く全員が、その言葉を聞いて絶句した。深き者、あの悍ましい半魚人が人類の祖先だと?
「ば、馬鹿な! 人間があのような化け物の子孫であるはずがない」
滝村参謀長が驚愕と憤怒がない交ぜになった顔で叫んだ。
「残念ながら事実だな。と言うより、貴殿らは本当に気づかなかったのか。連中の姿といい行動といい、人類に酷似していると思うが」
「それは…」
滝村は黙り込んだ。深き者は二足歩行する人型の生物だ。生態としては群れを形成して生活し、道具を使用する。そう、これほど人間に似た生物はいない。
「その男の発言は正しいと思われます。半魚人の死体を一体解剖してみましたが、骨格や内臓の配置などは人間に酷似しています」
さらに意外なところから、実田の発言を支持する声が上がった。連隊の軍医長である。負傷者のほとんどが既に軍病院に後送されたため、そのようなことをする時間が出来たようだ。
「何よりの証拠として、深き者は人間と混血できる。宇賀那の住民は中年に差し掛かるまでは人間に近い姿をしているが、それは奴らが深き者と人間の混血だからだ」
実田の口から、さらなる衝撃的な事実が告げられた。連隊の皆はこれまでに漠然と、宇賀那住民は全員が深き者なのだと思っていた。宇賀那住民が若いころは比較的まともに見えるのは、単に深き者がそういう生き物だからなのだろうと。
だが実田によると、彼らには人間の血が混ざっているというのだ。
「奴らはもとは人間だったと?では我が軍がこれまでに散々殺してきた連中は、元は自国民だったと言いたいのかね?」
「その通りだが。何か問題でもあるのかね? 元が人間であろうがなかろうが、深き者は深き者だ」
「し、しかし。奴らが人間であれば殺す以外の選択肢も」
「あるものか。深き者と化した時点で人間としての感性や道徳などは全て失われる。つまり、完全に別の生き物になるということだ」
「…別の生き物か」
「例えば、貴殿らは自分がクジラと意思疎通できると思うか? それと同じことだ」
そう言う実田自身も本当に人間なのか疑わしいのだが、とりあえずもっともだった。深き者が人間の祖先であっても、今では全く別の生き物だ。話が通じるはずがない。
そうでなくても、今回の事件で人間も深き者も死に過ぎた。今更、和解することは不可能だろう。人間同士であっても難しいことが、人間以外の生物との間で出来るはずもないのだ。
「今度は連中が信仰しているクトゥルフという神について聞きたい。その神はどのような存在なのだ? 何故、深き者はその神を崇めている?」
今度は松田連隊長が質問した。実田が宇賀那侵攻をけしかけているのは、元はと言えば深き者たちの神であるクトゥルフが原因らしい。クトゥルフというその神は、宇宙から飛来したという伝承があるようだが。
「さっきも言った通り、古の者の後に地球に飛来した存在だ。一時は古の者と世界を二分したが、現在は眷属と共に南太平洋のルルイエで眠りについている」
「眠りについたというが、それは何故だ?」
「彗星が一定間隔で地球に接近したり離れたりするようなものだ。とにかくそうなっているとしか言いようがないな」
「で、深き者は眠りについたその神をずっと信仰しているというわけか」
「そうだ。クトゥルフが復活すれば地上の支配権は再び奴らのものとなる。自然、信仰にも熱が入るという理屈だな」
「再び? では、深き者は地上の支配者だったことがあると」
「ああ。連中は現在地上にほとんど残っていないが、かつては世界中にいた。人類はその中で、アフリカ大陸にいた連中の末裔だ」
実田は説明を続けた。それによると、創造主である古の者に寝返ってクトゥルフ側についた深き者は、世界が両者によって二分割された後でクトゥルフ側の領土に広く住みついていた。クトゥルフとその落とし子の力によって、彼らの勢力は隆盛を極めたという。
だがそれにも終わりが訪れた。星辰がずれたことでクトゥルフの神殿ルルイエが海の底に沈み、クトゥルフ自身と落とし子も眠りについてしまったのだ。
神の加護を失った深き者は衰退し、徐々に地上を追われていった。深き者の大部分は海岸部の都市に何とかしがみつくか、あるいは海底都市に逃げ込んだ。それができなかった者のほとんどは滅びた。
しかし中には例外もいた。アフリカ大陸に取り残された深き者の小集団は、近親交配を繰り返しながらなんとか生き延びた。そして彼らは水陸両用生命体から完全な陸上生物へと変化していき、終いには原型である深き者とは全く異なる生命体となった。クトゥルフの加護を失った深き者の一部は、悠久の時を経て人類へと変貌したのだ。
「つまり、人類とは深き者の亜種ということだ。まあ古の者の言う通り、原型よりだいぶ劣化している。深き者は水陸両用で不老不死の生命体として創造されたが、人類ではこの二つの特徴が失われている。多分近親交配のせいだな」
実田は不快極まりない言葉と共に説明を終えた。話を聞かされた皆は声も出せなかった。実田の言葉が事実とすれば、現在地球の支配者を自称しているヒトという生物は、単なる偶然によって生じた奇形に過ぎないということになる。
もちろん妄想だと言って笑い飛ばすことは出来るはずだ。だがそうしようとする者はいなかった。「事実なのだろう」、皆が訳もなくそう思ったのだ。
「深き者はクトゥルフが復活すれば、自分たちの天下がもう一度やってくると思っているという事か?」
佐村の質問に、実田は珍しく真剣な声で答えた。
「奴らの思考など推し量りようがないが、たぶんそうだろう。クトゥルフが蘇れば、あの神とその眷属たちによって地上から人類は一掃される。深き者は復仇を果たすことが出来る」
「復仇?」
「ああ、深き者の海岸集落はかつてそれなりの数が存在したが、今は宇賀那を含めて数えるほどしかない。何故だか分かるか?」
「人類によって滅ぼされたからか?」
佐村の推測を聞いた実田は、少し感心したような口調になった。
「貴殿は意外に勘がいいのだな。その通りだ。地上の深き者の集落のほとんどは、アフリカ大陸から各地に進出した人類によって焼き払われた。深き者は自分たちの亜種によって滅ぼされた訳だな」
「待て、あなたはさっき人類は深き者が劣化したものだと言ったな」
「その通りだが」
「では何故、人類は深き者を滅ぼすことが出来たのだ?」
佐村が疑問に思ったのはそこだった。実田によると、深き者は人間より優れた生き物だ。であれば、人類が深き者を駆逐して地上に広がっていったというのはおかしくないだろうか。
「深き者は水陸両用の生物、どちらかと言えば水中作業のために作られた生き物だったため、火を使うという発想が無かった。奴らは今回銃を使っているが、あれは人類が作ったもので奴ら自身が作ったものではない。対して人類は、当初から積極的に火を使用した」
「なるほど、火か」
「それと、基本的に魚や肉しか食わないのも不利に働いたな。人類は農耕によって大規模な人口を養うことが出来たが、深き者にそれは出来なかった。人間と深き者が一対一で戦えば深き者が勝つが、十対一でどちらが勝つかは明らかだ」
「火と数の力、それによって人類は深き者を滅ぼしたと」
「その通り」
「では、その二つを考慮すれば、人類は深き者より優れていると」
「一概にそうとは言えんな。深き者は身体能力だけでなく、精神の強靭さでも人類に勝っている。人類はクトゥルフの発する精神波に耐えられんが、深き者は平気だ。人類が深き者に代わって地上にはびこっていられるのは、単にクトゥルフが眠りについているからに過ぎん」
「精神波?」
「クトゥルフは自らの精神力の一部を時々外界に投射する。ルルイエが海底に沈んでいる今は大半が水に遮られているが、それでも運の悪い者は影響を受ける。ルルイエが浮上してクトゥルフが完全に目覚めれば、精神波は全世界に投射される」
「人類がその精神波を浴びるとどうなる?」
「完全に気が狂うか、あるいは深き者と同じ精神構造を持つようになる。数週間前から世界各地で暴れている狂信者たちは後者だな」
佐村たちは息を呑んだ。実田の言葉が正しいとすれば、一見盤石に見える人類の覇権は「クトゥルフが眠りについている」という環境の下でしか成立しないことになる。何しろクトゥルフが目覚めた時点で、全人類が発狂するかヒトでなくなるのだから。
クトゥルフは意図的に人類を滅ぼすまでもない。ただ起きて活動を開始すれば、人類は自動的に滅んでしまう。神であるクトゥルフにとっては、おそらく何かを滅ぼしたという自覚すらないままに。
そして深き者の方はクトゥルフが復活しても無事だとすれば、彼らがそれを待望するのも当然だ。クトゥルフの精神波によって人類が一掃されれば、世界は再び彼らのものとなるのだから。
「深き者たちは地球をクトゥルフが支配する世界に戻そうとしている。人類がそもそも存在しえない世界にな」
佐村たちの考えを裏付けるような言葉と共に、実田は話を切り上げようとした。
「待ってくれ。まだ聞きたいことがある」
「何だ?」
「結局、地球の正当な支配者はどちらなのだ? 人類なのか、それともその原型である深き者なのか?」
「下らん質問だな。と言うより、意味のない質問と言うべきか」
「…どういうことだ?」
「『正当な支配者』など存在しない。ただ、勝ったものが支配者となる。それだけだ。誰が地球の主となろうが、そのことに客観的な意味は存在しない。人類と深き者のどちらが支配者となろうが、地球が、ましてや宇宙の他の存在が関知するところではない。古の者とクトゥルフのどちらが支配者になろうが、そのことに何らかの意味がなかったのと同じでな」
あるいはこの言葉こそが、実田のこれまでの発言で最も恐ろしいものだったかもしれない。言った本人が気づいていたかは不明だが。
今回は何だか長いうえに派手な展開が全くない話になってしまいましたね。ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございます。
「宇宙的恐怖」を筆者なりに解釈してみたのが本話ですが、いかがでしたか? 宇宙的恐怖は神の圧倒的な力に対する人間の無力、みたいな解釈をされることが多いですが、本作では違った考えを取ってみました。
「人間の存在と覇権は単なる偶然に過ぎず、しかも宇宙的な視野から見ればすぐさま消え去る些末な現象に過ぎない」、というのが筆者の解釈による宇宙的恐怖です。もちろん他の解釈もあると思いますが、とりあえず筆者はそう考えているということで。




