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宇賀那村前面の戦い 後編

セラエノ神智教会がショゴスへの空爆を敢行していたころ、機関銃中隊を指揮する辻野大尉は部隊を移動させようとしていた。彼の部隊は重砲を守る位置についていたのだが、砲兵部隊に向かってきた深き者の別動隊は和田大隊によって駆逐された。

 そして上空から偵察していたセラエノ神智教会が報告してきたところによると、敵には他の別動隊はいないらしい。そのため辻野は砲兵の護衛から離れ、宇賀那村前面での戦いに加わることにしたのだ。

 


機関銃が馬匹に牽引されて砲列から移動し始めたとき、地面に異様な震動が走った。沖縄では珍しいが地震だろうか。将兵たちは首を傾げたが、そのまま移動を続けた。

 

そしてそれは起きた。突如、砲声をも上回る轟音が鳴り響き、周囲の木々が大きく揺らいだ。そして砲兵部隊周囲の木々は消えていった。まるで巨大な怪物に飲み込まれたように。

 将兵たちは声にならない声を上げながら、目の前で起こった事態を見つめた。地面に巨大な裂け目が入り、生い茂っていた植生がその中に落下していったのだ。

 

士官が指示を出す間もなく、裂け目は途方もなく巨大なものが砕けるような異様な音とともに、砲兵部隊に向かって伸びていった。次に聞こえたのは断末魔の恐怖を映した絶叫、そして落下したり重量物に押しつぶされた人体から発せられる、吐き気を催すような湿音だった。

 

「こんな馬鹿な」

 危うく難を逃れた辻野は虚脱状態になりながら、ただその言葉を繰り返した。一瞬前まで威容を示し、深き者やショゴスを打ち砕いてきた砲列が完全に消滅している。地表に突如形成された裂け目に、全てが飲み込まれてしまったのだ。

 いったいこれは何なのだ? 自然現象か? しかし、ここまで明確な悪意を秘めた自然現象などあるのか?

 

辻野は呆けたような表情で地面に突如形成された巨大な傷口を見つめた。幅数メートルはあろうかという裂け目には捻じ曲がって泥まみれになった樹木、子供が弄んだかのようにバラバラになった砲、そして手足が奇妙な方向に歪み、絶望的な悲鳴を上げる人間たちが無秩序に転がっていた。

 

そして辻野は見た。どれほどの深さがあるのかも分からない裂け目の奥を、黒く巨大な何かが動くのを。全体像は全く分からないが、粘液に覆われた黒い生き物でどこか海洋生物を連想させる姿であることは分かった。

 

「クトーニアン…」

 偵察結果を伝えに来たセラエノ神智教会の男が同じく裂け目の中を見て呻いた。

 「待て、クトーニアンとは何だ?」

 辻野の質問に、黄衣の男は忌々し気に応えた。

 

「クトゥルフの眷属の一つだ。地底を移動し、地震や陥没を引き起こす力を持つ。そうか、ここにも一匹潜んでいたか」

 全く意味は分からないが、地割れが敵によって引き起こされたものであることは確からしい。

 辻野はふと思い出した。この沖縄北部に地下鉄を通す計画があったが、地盤に空洞がありすぎて危険だとして廃止になったことを。もしかしたらその空洞は、裂け目の奥に僅かに見えた怪物、クトーニアンという巨大な生き物が通った跡だったのかもしれない。

 

「ど、どうすればいい? 何をすればそのクトーニアンとやらに対抗できる?」

 辻野は慄きながら聞いた。深き者やショゴスのように地表を動く存在なら銃砲弾をお見舞いしてやればいいが、地下を移動されては対処のしようがない。

 

「方法はないが、連中はそこまで高速で移動できるわけではないし、陥没を引き起こすにはある程度の時間がかかる。位置を頻繁に変えれば、損害は最低限で済むはずだ」

 「分かった」

 辻野はそう言うと、麾下の機関銃中隊に迅速な移動を命じた。合わせて連隊本部にも、生き残った砲の位置をすぐさま変えるように進言した。


 




「そうか、砲兵がやられたのか」

 加納大隊指揮官代理の天野大尉は報告を聞いて顔をしかめた。敵がどんな手を使ったのかは分からないが、実際に砲が沈黙しているところを見ると事実なのだろう。

確かに敵の立場になって考えれば、一発で複数を倒せる上にショゴスにもある程度有効な砲は恐るべき脅威だ。何とか潰そうとするのは当然と言えるだろう。

 「連隊本部より入電、現在生き残った砲は陣地を転換中とのことです」

 

続いての報告によれば砲兵部隊は完全に全滅したわけではないようだが、大した慰めにはならなかった。今この場所に砲弾を発射してくれない限り、生き残っていようがいまいが同じことだ。

 

「とにかく歩兵砲をショゴスに撃ち込め! 再生を遅らせるんだ」

 天野は麾下の歩兵砲部隊に督戦交じりの命令を与えた。連隊本部直属の砲兵による支援が現在期待できない以上、頼れるものは大隊が装備する歩兵砲しかない。本来対歩兵用の武器で大した威力はないが、それでも現在使用できる最大の火器であり、唯一の砲だった。

 

その歩兵砲、重砲などに比べると玩具のように小さく見える砲が、存在を誇示するかのように咆哮する。先ほどの空爆でやや形が崩れたショゴスの周囲に、次々と砲弾が落下した。

 

ショゴス表面の目が鉄片で切り裂かれて漿液を垂れ流し、テケリ・リという声を発していた口から血を思わせる液体が吐き出される。だがショゴスを倒すことはできなかった。若干の傷を負わせても、すぐにその穴は塞がれる。

 そしてあの恐るべき触手が伸びてくる。黒い影が将兵の頭上を走り、微かな銀色の光がそれに続く。触手が通り過ぎた後には、必ず普通ではあり得ない形に損壊された人体が無秩序に散らばり、全身を切り刻まれながらもなお死にきれない者たちの呻き声が響く。

 

ギリシャ神話のヒュドラ、首を切り落としても死なない怪物と戦った英雄ヘラクレスは、このような絶望を味わったのかもしれない。あるいはもっと悪いとも言える。ヘラクレスには神から受け継いだ力と女神たちの助力があったが、今宇賀那前面で戦っている将兵たちにはそのようなものはないのだから。

 

 それでも彼らは戦い続けた。砲以外にも小銃と機関銃が可能な限りの速さで発射されてショゴスの目を潰し、ショゴスの陰から銃撃を浴びせてくる深き者を撃ち倒す。それは戦争というより、生き残りを賭けた闘争だった。


 




 その頃、佐村少尉は20名ほどの兵と共に、戦場から離れた森の中にいた。彼らの後方には砲弾の輸送の為に徴発した4台のトラックが止められている。「そこ」に一刻も早くたどり着くため、道があるところはトラックを利用し、車の通行が不可能になった時点で歩くことにしたのだ。

 

 「本当に、この近くなのか?」

 「ああ、もう少しで辿り着く」

 

 佐村が隣を歩いている黄衣の男、セラエノ神智教会の代表である実田に声をかけると、無感動な口調でその答えが返ってきた。佐村はとりあえず信用することにした。ここで佐村たちを騙しても、実田に何の利益もないからだ。


 

 「深き者によって全滅した並河村近くの森の中に、ショゴスを操っている連中がいる」、実田は戦闘が始まる直前に連隊本部の皆にそう言ったのだ。

 

 松田連隊長を始めとする連隊の上級士官たちは半信半疑だったが、事実とすればその場所を急襲すればショゴスを封じることが出来ることになる。情報を信じる価値はあると思われた。

 とはいえ、これからの戦いを思えば大兵力を割くわけにはいかない。そもそも並河村まではかなり遠く、歩いて行ったのではたどり着く遥か前に戦いが終わってしまうだろう。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが佐村少尉たちだった。佐村を含め車の運転ができる者4人を集め、荷台に兵を載せて実田が言った位置に向かわせることになったのだ。

 4台のトラックは実田のビヤーキーに先導されながら、可能な限りの速さで並河村跡地に急行した。そして深き者による襲撃で廃墟と化した村の中に停車すると、佐村たちは森の中に進んだのだった。

  



 「周囲を警戒しろ」

 佐村は臨時に預けられた兵たちに指示した。彼らの人数はたったの20名に過ぎず、深き者の大集団に襲われたら全滅は確実だ。敵はそれほどいないと実田は言っているが、それを信じ込んで警戒を緩めるほど、佐村はお人よしでも無謀でもなかった。

 

 しかしどこまで意味があるかは不明だった。森林内には無数の木々が立ち並び、数メートル先に何があるかもよく分からない。しかも地表は膝上まである草木に覆い尽くされており、足を取られずに進むだけで精いっぱいだった。

 

 それでも佐村は可能な限り、周囲に目を凝らしながら進んだ。

 「二度と御免だからな」

 周りを歩く兵たちに聞こえないように心中で呟く。並河村前面での悪夢、いつの間にか深き者に包囲され、指揮下の小隊を全滅させられた記憶は佐村の心中に深く焼き付いていた。

 

 そうだ。さっき通った並河村で皆死んでしまった。実質的には小隊の主だった田山曹長、射撃の名手だった柿本上等兵、やたらと歌が上手くて兵役を終えたら歌手になると言っていた新木二等兵、彼らは全てあの村で化け物たちに食われたのだ。連隊の駐屯地までたどり着けたのは佐村のほか、5人だけだった。

 

 あのような経験は二度としたくない。彼らが戦争に駆り出されて戦死したならまだ諦めも付くが、今は国際関係上は平時なのだ。死んだ兵たちの大半は1年か2年で軍隊生活から解放され、銃弾に撃ち抜かれる心配も砲弾で吹き飛ばされる危険もない一般社会に戻れるはずだったのだ。

 


 「着いたぞ、あそこだ」

 佐村の横を歩いていた実田が、急に立ち止まると小声でそう言った。佐村は目を凝らした。確かに木々とシダの向こうのやや開けた場所に、何かが動いているのが見えた。

 

 「襲撃する。全員、合図とともに突撃して手榴弾を投擲、生き残った敵がいたら小銃射撃」

 

 佐村は集まって来た兵たちに指示した。正確な敵の数は分からないが、おそらくこちらより多い。数に勝る敵と戦うには、最初に手榴弾を投げつけて相手を混乱させるべきだと判断した。

 「よし、突撃!」

 ぐずぐずしていると気づかれる恐れがある。佐村はすぐに行動開始を命じ、自らも手榴弾を掴んで走り出した。

 

 一瞬、目がくらんだ。陽光がほとんど差し込まない森の中から、急に開けた場所に出たせいだ。佐村は眩しさをこらえながら、敵のいる方向を見た。数十人の深き者が銃を構えようとしている。

 

 だが、いたのは深き者だけではなかった。彼らの中央には、化け物の巣窟と言ってもいい宇賀那周辺の森林の中ですら、これまで見たこともなかった存在が立っていたのだ。

 

 それは巨大な樽状の胴体を持ち、上部では星形をした頭部らしきものが動いていた。背後には小さな翼を持ち、さらに星形の頭部を小型化したような器官と鞭のような触手が、胴体のいたるところから伸びていた。

 そして樽のような胴をもつ生き物は何か箱のようなものの前に立ち、触手でそれに触れていた。まるで人間が機械を操作するように。

 

 佐村はその姿を見て一瞬唖然としたが、やるべきことを忘れはしなかった。手榴弾のピンを抜いて深き者の群れに投げつけると、ほぼ同時に伏せ打ちの態勢になって彼ら目がけて発砲したのだ。続いてきた兵たちも、佐村に倣った。

 

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