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プロローグ

 本作に登場する第702歩兵連隊は架空の部隊であり、話の都合及び筆者の知識不足により、編成や装備などが実際の日本陸軍と異なる場合があります。そのことをご了承のうえお読みください。

それからこれは言うまでもないですが、作中に登場する宇賀那をはじめとする沖縄北部の村も全て架空の自治体です。日本のどこかを探せば同じ名前の村があるかもしれませんが、実在の村とは何の関係もありません。

 佐村幸平少尉は目の前の光景を見てほとんど正気を失いかけていた。彼と彼が指揮する小隊の前に迫ってくる敵、それはどう見ても人間ではなかったのだ。

 確かに全体的な形は人間に近いが、その肌は鱗のような組織と汚らしい粘液で覆われ、手足には水かきのようなものが付いている。顔にはカエルのような突き出した目と耳まで裂けた口があり、逆に鼻はえぐられた様になっていて顔面に直接鼻孔が付いていた。

 その歩き方は一応二足歩行をしているが、人間の歩き方とはどこか異質で不快極まりない動きだった。やや猫背気味で決して素早い動きとは言えないが、飛び跳ねるような独特の歩き方で彼らは佐村のほうに近づいてくる。


 最悪だったのは彼らの行動だったかもしれない。不気味な姿をしているとはいえ、そいつらがただ群れているだけなら、これほどの恐怖は感じなかっただろう。だが目の前の怪物たちの行動は、単なる動物とはかけ離れていた。

 人間とは明らかに異なる姿をしているにも関わらず、そいつらはある種の知性を持っているようだったのだ。まず手に槍や棒を構えている。道具を使えるのだ。

 そして彼らのうち何匹かは鳴き声で周りに指示を出している。これは彼らが明らかな社会構造を持ち、さらには言語まで持っていることを示すものだ。人間のように行動する怪物、そいつらが統制の取れた動きで佐村たちを包囲していたのだ。

 


 「半魚人…」

 佐村少尉はその言葉をぶつぶつと繰り返した。確かに沖縄北部にはこのような化け物が生息するという伝承はある。だが、実際にいるとは。そしてそいつらが周りの村を襲撃し、鎮圧にやって来た自分たちにまで牙を剥いてくるとは。あまりにも現実離れした光景だった。

 「少尉殿。ご指示を!」

 傍にいた下士官、田山義郎曹長が佐村少尉に向かって大声で怒鳴った。小隊一の古株である彼の顔には、数年前のシベリア出兵に従軍した時の傷がある。

 ベテラン下士官の声を聴いた佐村少尉はかろうじて我に返った。そうだ。自分はこの小隊の指揮官であり、指揮する兵に対しての責任を負っているのだ。ここで錯乱するわけにはいかない。たとえその方がどんなに楽な道であっても。

 

そう思って部隊の現状を見渡した佐村少尉は絶望した。部隊の半数、20名ほどの兵が錯乱している。ある者は大声で泣きわめき、ある者はその場に気絶、ある者は目の前の敵ではなく空めがけて小銃を撃っている。

 通常、軍隊は兵員の半数が戦闘不能になった時点で「全滅」と見なされる。佐村の小隊は戦わずして全滅していた。

 「少尉殿、攻撃なさいますか?」

 田山曹長が再び佐村に話しかけてきた。シベリアで死線をくぐってきた人物だけに、この状況でも正気を維持しているようだ。その声を聴いた佐村も、少しばかり判断力を回復した。見たところ敵は数百人、あるいは数百頭いる。残り20名ほどの兵で戦うのは無謀だ。だとすれば。

 

「敵に一撃を加え、その後撤退する」

 佐村は決断し、田村曹長に伝えた。たやすい道ではないが、彼自身と小隊を救うにはそれしかない。これが普通の敵であれば降伏も視野に入れただろうが、目の前の半魚人たちに交戦法規が通用するはずもない。とにかくいったん敵をひるませ、その隙に撤退するしかないのだ。

 「もっとも、それもおそらく不可能だろうが」

 佐村は胸中で呟いた。こちらの兵力は半減した一個小隊。対して敵は得体のしれない化け物数百体。しかもこちらを包囲するような陣形を取っている。あれを突破することができるとは思えなかった。

 

「正気を保っている者全員で目の前の敵に2回の小銃射撃を加え、その後軽機関銃兵の援護のもと突撃する」

 それでも佐村は作戦方針を分隊を指揮する下士官たちに伝えた。幸い彼らは正気を失っていないようだ。この状況でそれを「幸い」と言えるかは怪しいのだが。

 分隊に一人ずつ配備されている軽機関銃兵のうち、無事なのは3人。小銃射撃が終わった後、たった3丁の軽機関銃で怪物の群れを牽制できるとは思えないが、火力の援護もないまま自滅的な突撃をやるよりはましだろう。



 「射撃開始!」

 佐村は命令を下した。部隊がおそらく全滅の運命を免れないことは、このときだけ彼の意識から消えている。敵の数が圧倒的なのは分かっているが、とにかく自分たちは近代兵器で目の前の半魚人たちを攻撃することができる。数時間前にこの化け物たちに襲われた村人のような無力な存在ではないのだ。

 次の瞬間、重く、それでいて乾いた音が鳴り響いた。20丁余りの小銃が一斉に火を噴いたのだ。銃弾のうち半数程度は兵の動揺を反映してか明後日の方向に飛んで行ったが、残りの半数は怪物たちの体を捉えた。

 銃弾を食らった怪物は大きくよろめき、地上でのたうち回った。傷口からは血が流れているようだ。その血は赤色をしている。このような化け物であっても血は赤いのだ。そんなある意味呑気な考えが兵たちの頭を駆け巡ったが、それも一瞬のことで兵たちは小銃のボルトを引いて次弾を装填し始めた。


 佐村はその光景を見て勇気づけられた。あの化け物たちは人知を超えた存在ではない。少なくとも、銃弾が命中すれば傷つくのだ。自分たちはそして人類は、あの化け物に対抗できる。奇怪な姿に気を取られていたが、よく見ると奴らの武器は粗末な槍や棍棒に過ぎないのだ。

 数秒後、二度目の一斉射撃が行われた。今度の発砲数は30丁ほど。錯乱していた兵の一部が、銃声を聞いて正気に返ったのだった。今度は20体ほどの半魚人が倒れた。彼らは数百人で小隊を包囲しているが、この一撃で正面だけ陣容がやや薄くなった。

  敵は動揺している。佐村はそのことに気づいた。薄くなった正面の兵力を補充することは容易なはずなのに、半魚人たちはもとの位置に固まっているだけだ。進撃も一時的に停止しており、その様子はまるで呆然として立ち尽くしているように見える。後方の一部などは、ほとんど逃げ腰になっているようだった。

 

「どうする?」

 佐村は考えを巡らせた。この分ならもしかしたら突破が可能かもしれない。だがそれは、今も錯乱している10人ほどの兵を完全に見捨てることを意味する。彼らを連れて逃げることは不可能だからだ。

 目の前の半魚人たちに捕らえられた者にどんな悍ましい運命が待っているかを、佐村は伝承として聞いていた。望んで軍人となった自分はともかく、徴兵されて訳も分からずここに来ただけの人間たちを、彼らの餌食にしていいものか。

 

「よし、突撃。敵の中央を突破し、撤退する」

 結局佐村が下したのはその命令だった。ここで戦いを続ければ全員が死ぬのだ。それを避けるためには、錯乱した兵を見捨てるしかない。この状況で出来るのは見捨てられた彼らの苦しみが、短時間で済むことを祈ることだけだった。

 下士官たちが命令を復唱する中、佐村は軍刀を抜いて走り始めた。彼の頭は異様なまでに冴えていた。とにかくここを何としてでも突破する。そして上級司令部に伝えなくてはならない。これが単なる暴動ではないことと、彼らが目指していた村、宇賀那うがなについての信じがたい話が事実であったことを。

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