ある、晩秋の日のこと
あれは多分、子供が幼稚園に入ったか入る前か、それくらいの頃の晩秋の話。
とある山の上に、自然の崖に彫られた大きな仏像があるのを見に行こう、と主人に誘われさほど興味はありませんでしたが、まだ子供達を100%主人に任せきりにできず一緒に行きました。
行ってみれば結構な山です。しぶしぶ登り始めました。
と言いますのも、私は赤ん坊の頃からひどい喘息持ちで冷たい空気の中で運動するとすぐに発作が起きてしまうので、まず運動が嫌い、できない。それを理由に、しない。そんな人間でしたので晩秋の山歩きなんてもってのほかだったのです。
主人も子供の頃は喘息持ちだったけど運動するようになったら治った、という人なので、私にも苦しいのはわかるけど運動しないと治らない、と説教する人でした。
この日も、私が嫌々着いてきたのが顔や態度に出ていたのでしょう、主人までもが段々不機嫌になっていました。
入り口で杖を借り登り出すと、子供達は身軽にひょいひょいと昇って行き時折私を振り返っては
「ママ、頑張れー、早く早く」
と急かします。主人は、私が嫌でダラダラしていると思っているのか、特に気遣ってくれる風はありませんでした。
私はできるだけ肺を刺激しないよう、鼻から息を吸いゆっくりと登ればなんとかなるかも、と思いましたが中腹辺りで段々、あ、これはヤバいな、と思えるほど喘鳴が聞こえはじめました。
ちょっと休憩させて、と道端の岩に腰掛け、ふと行く先を見上げるとそこは先人が頂上に神社を建て石仏を掘るために、ゴロゴロとした岩で作った階段が行く手を阻むように山頂へと続いているのが目に入りました。
ああ、もう無理だ。冗談抜きで、死ぬかもしれない。
お願い、もうママ行けないからここで休むから皆で行って来て。
子供達は、そっか、じゃあ待っててね、と歩き出しました。主人は何も言わず、子供達の後を追いました。
呆れられても仕方ない。ここで無理すれば、何日も寝込むことは自分が一番よく分かっていて、そうなった方が家族に迷惑がかかる。
私は、そういう事を理解してくれなかった主人を情けなく思い、そして自分の身体の不甲斐なさを思い、杖に頼って俯きこみ上げてくる涙を拭いもせずそこに座っているほかありませんでした。
本音を言えば車に戻って少しでも暖かくしていたかったけれど、その気力すらも湧かない程発作はひどくなっていきました。
ああ、もうこの調子だとまた数日は寝込むな……
子供達が時折振り返っては、ママー、と無邪気に手を振るのに力なく応えていたその時、老夫婦が登ってきました。お二人とも結構なお歳に見え、そんな方でも登ると言うのに私は恥ずかしいな、と思いました。
「こんにちは」
山歩きで行き交う人とご挨拶をするのはよくあることです。こんにちは、と喘鳴の混じった声で返しました。すると奥様の方が、私の顔を覗き込んで言うのです。
「登らないの?」
キラキラと目を輝かせ、息を弾ませて。ああ、お元気な方、山が好きなんだな。
「はい、あの……喘息の発作が出て」
「ああ、わかるわ、空気が冷たい。ね、でも私と一緒に登らない?」
「え、でも、ちょっときつくて」
「あのね、私、癌なの」
えっ。お元気そうに見えるのに。
「こう見えてももう末期よ」
さも、誇らしげに言うのです。
「でも登る、頑張るから、あなたも頑張りましょうよ」
私は、恥ずかしさでいっぱいになりました。たかが喘息くらいで弱音を吐いて……その頃は、末期の癌というものがどういうものなのかいまいちぴんと来ていませんでしたが、とにかく大変なのはわかります。
「ゆっくりでいいから。空気吸わないようにしてない? 逆よ、ゆっくり大きく吸うの! 吐く時もゆっくりよ」
私は立ち上がり、一歩一歩、踏みしめて登りました。その方の言う通り、ゆっくり落ち着いて呼吸をすると、そんなに死ぬ程きつい、ということはなくなってきました。
上の方で、子供達が私を呼んでいます。ママ、頑張って、と山に声が響きます。
「ほら、お子さん達も応援してくれて。かわいいわね、ママが好きなのね」
涙が止まりませんでした。登りながら、私は一体、今まで何を恐れていたんだろう、ただ喘息を理由にたいした努力もせず、それ以外は健康なのに何を贅沢なことを言っていたのか。恥かしい。なんて、情けない人間だっただろう、と自分を戒めました。
正直、そうやって逃げてきてばかりいたので体力もありませんが、末期癌だというこの方がこんなに頑張っているのに私がここで止めるわけにいかない。
「上を見ちゃダメ、足元だけ見るの。1歩1歩でいいの、いつか辿り着くのよ」
その言葉通り、山頂の大きな石像の前に立つことができたのです。私は思わず、その方と抱き合い人目も憚らず泣きじゃくりました。
事情を知らない主人や子供は、驚いた様子でちょっと遠巻きにしていましたが、事情を説明すると深々と頭を下げてくれました。
皆で神社にお参りをし、一緒に下山する間、その方はずっと私の手を握ってくれていました。
おこがましい言い方ですが、私は末期癌の方ならば私の方が励ましたりしなければいけないんじゃないか、とばかり思っていました。
でも、違った。
喘息以外は健康体の私が、励まされ勇気づけられたのです。
駐車場に辿り着き、お互いの住所を交換しました。聞けば、隣の市で旅館を営んでいる大女将でした。
帰宅して早速お礼状を送ると、達筆なお手紙とその旅館で作って売っているというふぐシュウマイを送って下さいました。
手紙には、難しい手術なので来週から東京の病院に入院します、戻ったら連絡するから是非泊まりに来てね、と書かれてありました。
私は、戻りましたよ、という知らせが来るのをずっと待っていました。絶対に手術は成功する、そして旅館に泊まりに行って一晩中でも語り合いたい、と願っていました。
しかし、半年経っても一年経っても、……その知らせを受け取ることはできませんでした。
辛い事があると、女将さんからの手紙を読み返し、あの日の事を思い返し、私だってやればできるんだ、負けない、頑張ろう、と奮い立たせてきました。
今の私は女将さんに恥じない人間でしょうか。精一杯、頑張っていると胸を張って言えるでしょうか。
相変わらず山登りは嫌いです。もちろん、運動も大嫌い。こうやって、PCの前に座って小説を書くことが今は一番楽しいです。
でも胸を張って言えるのは、子供の事に関しては全力を尽くしている、ということ。そして、やりたいと思った事を諦めない、という事です。
一度きりの人生、後悔したくない。
女将さんのような笑顔の素敵な、強い女性になりたい。今でもそう思っています。