08.オウノ村で
――覚悟は決めた。
ヴェンは代官と兵士の男達、そして館で働く侍女達を拘束し終わって大きく息を吐く。我ながら間の抜けた話だが、やってしまったものは仕方がない。閉所での数の利を活かせない地の利に、戦力の逐次投入とヴェンに有利な要素があったとはいえ、こうも一方的にいくとは考えてもいなかった。
キールは頭がいいのかどうかはヴェンにはまだ分からないが、自分の意見を語る――或いは騙る――能力には間違いなく長けている。彼の言葉には、不思議と信じてしまいそうになる雰囲気のようなものがあるのだ。
――俺に上手くやれるかね。
自分も口は回る方だとヴェンは思っているが、その言葉に説得力を持たせられるかと問われれば、非常に微妙だと言わざるを得ない。しかし、今ヴェンに求められるのはその説得力だった。
キールの方針をぶち壊してしまった以上、どうにかして反乱軍の力を見せ付ける必要がある。正面決戦ほどの効果は得られなくとも、このオウノ村に強烈な印象を与えてやれば少しはましになるだろう、とヴェンは良くない頭を使って考えたのだった。
出演は、ヴェンリット。
演目は、『反乱軍最強の戦士』。
それも、智・勇・仁を兼ね備えた理想的な男を演じなければならない。頼り甲斐があって、腕が立ち、人格も優れている男を。自分で言ってて鳥肌が立ってきたよとヴェンは溜息を吐くが、身から出た錆。責任はヴェン自身が果たさなければならない。
代官の屋敷から出たヴェンは、遠巻きながら多くの視線が自身に集まるのを感じた。おそらく、外までヴェンが暴れる音が響いていたのだろう。
――満員御礼、っと。ありがたくて涙が出て来るよ。
自分の行いの結果とはいえ、思わずヴェンは溜息を漏らしそうになる。二十数人の村人を相手にするより、同じ数の兵士に襲いかかられた方がよっぽど気が楽だった。
「皆さん、私はヴェンリット。タテノ村の猟師です」
ヴェンは声を張り上げた。初めから反乱軍と名乗らなかったのは、まずそもそも反乱が起きたことが知られていないだろうと考えたのと、もう一つ。
「おお、あの……」
「世話になっとるな……」
ヴェンは狩った獲物の肉を時折他の村に譲っていた。圧政の中にあって、不定期とはいえ食糧を提供してくれる存在だ。感謝していない筈もなく。警戒していた村人達は恐る恐るといった様子ではあったが近付いて来てくれた。
「本日は、皆さんにお話したいことがあって参りました」
我ながら胡散臭い言葉だよ、と思いながらヴェンは笑顔を崩さない。口調がキールのそれに近いのは、ヴェンがぱっと思いつく限りで一番口の上手い男だったからなのだが、どうにも座りが悪くてならなかった。
そして、キールがタテノ村で言った言葉を出来る限り思い出しながら、続ける。
「この領の税は重過ぎる。そうは思いませんか?」
それは、まあ、と躊躇いがちながらも同意の声が上がる。躊躇いがあるのは、代官の屋敷の目の前だからだろう。むしろ、こんな場所でも声が上がるほどに、領民は追い詰められているのだ。
「私は、いえ。私達はそう考えました」
ですが、とヴェンは一度言葉を切って間を置く。キールは言葉と言葉の間に間を入れるのが上手かった。それを真似したのだ。
「税だけなら、我慢出来た。協力し合って、どうにか生きていけた。それは――」
――家族が、友が、愛する人が居てくれるから。
そのためなら、どんな苦難にも耐えられる。そうでしょう、とヴェンが言うと、村人達はそれぞれ頷き、同意を返す。ヴェンの言葉は模倣に過ぎなかったが、この言葉からは自身の熱が入り始める。
「しかし、一人の男は、愛する者を奪われそうになりました。徴税官によって、です」
ある男のことを、ヴェンは語る。ヴェンはキールから反乱を起こした理由を聞いた後、自身に当てはめてみた。自分と幼馴染に。その時は、自分には出来ないだろうと思った。
しかし、それはヴェンに他に取り得る手段があるからだ。徴税官を護衛の兵士を含めて殺し、死体を森の奥に放置する。簡単なことだ。問題にもならないし、幼馴染も守れる。しかし、自分に力が無かったらどうだ。ヴェンは思う。
キールはヴェンのことを天賦と呼んだ。過去の英雄が持っていたという、神に与えられた才能を持つものだ、と。偶然天与の才を持っていたから、力任せに解決出来るが、もし自分がその力もなく、キールと同じ立場に置かれた時、どうするか。
村の皆を巻き込むようなことはしない。
――本当に?
自分以外の男に組み敷かれたリーナの姿を想像すると、ヴェン自身でも恐ろしい程に心が冷えた。理性では、村の皆を巻き込むような真似はしないかもしれない。ただ、そんな状況で理性が働いてくれるのか。衝動に任せて動いてしまうのではないか。
ヴェンには、そう思えてならないのだった。
「あなた方の中にも、代官に、その部下に。家族を、友を――愛する者を、奪われた人が、いるかもしれません」
集まった村人の内、何人かが顔を俯かせる。遣る瀬無さ、怒り、悲しみ。そういった感情が綯い交ぜになった表情。当然だ。ここオウノ村には領主館があり、代官が常駐しているのだ。理不尽の数も、それだけ多いだろう。
「その男は、戦うことを決めました。愛する者を守るために。愛する者を傷付ける理不尽を跳ね除ける為に!」
歌い上げるように、感情を込めてヴェンは言う。声に引きつけられたのか、観客の数は倍以上に増えている。
「あなた方の中に、理不尽を許せないという熱はありますか? 愛する者を守りたいという思いはありますか?」
――俺には、ある。
最早ヴェンの言葉は模倣ではなく、ヴェン自身の思いと熱を吐き出すものになっていた。薄っぺらなものではなく、重厚な説得力を持つものに化けたのだ。
「もしあるのなら、私達に力を貸して欲しい。私達の戦いに!」
「……勝てるのか?」
熱狂した場に冷水をぶちまける、一つの声。歓声は止み、一瞬にして場は静まり返った。ヴェンが声の方へ視線を向けると、一人の男がゆっくりと前に出て来た。
――こいつは。
何の変哲もない皮の服を着ているが、明らかに只者ではないとヴェンは身構える。筋肉のしっかり付いた身体だということもあるが、それだけではない。ヴェンが伸した兵士達にはない戦士の雰囲気を纏っているのだ。
赤に近い短髪。太い首。歳は恐らくヴェンの父と同年代だろう。歳に反して衰えぬ肉体には大小無数の傷が刻まれている。潜った修羅場の数が傷の数だと言わんばかりの男だった。
「……分かりません」
ここは、確実に勝てるとでも言うべきだったのだろうが、この男を前にして薄っぺらな嘘が説得力を持ってくれるとは思えなかった。だから、ヴェンは自分なりに真っ直ぐ向かい合う。
「領主館は、制圧しました。代官含め、兵士達も縛り上げてあります」
村人達から、おお、と感嘆の声が上がる。しかし、「勝てるのか?」と問うた男だけはヴェンの続く言葉を待っているようだった。
「戦いは、続くでしょう。それに勝ち続けられる保証は、ありません」
男は一切視線を逸らすことなくヴェンを見つめ続ける。村人達は、ヴェンの言葉に再び黙り込んだ。
「ですが、私――いや、俺は、最前線で戦い続ける。それだけは、約束出来る」
「何の保証にもなっていないな。だが……どの道遅かれ早かれ、か。皆、聞いてくれ!」
ヴェンの言葉を鼻で笑って、男は声を張った。村人達の視線が男に集まる。
「これだけ騒いで代官の私兵共が出て来ないところを見るに、領主館をこいつが制圧したというのは事実だろう」
間違いなく自分を否定する言葉が出ると思っていたヴェンは疑問に思いながらも、それを表情に出すことだけはどうにか抑えた。男は堂々とした態度で続ける。
「こいつは、死に方を選ばせてくれる」
――餓えて死ぬか、戦って死ぬか。
「俺は、戦って死のうと思う。皆がどうするかは、皆の好きにするといい」
否定するどころか、むしろ後押ししてくれているような節すらある言葉に、ヴェンは何故だと訝しみ、目を細めた。この男からすれば自分は厄介者でしかない筈なのに、何故だと。
「俺も、戦って死ぬ」
「俺もだ!」
村人達は口々に戦う決意を叫んだ。場は熱狂を取り戻し、このままならオウノ村が反乱軍に協力してくれることは間違いないだろう。
――しかし何故、この男は協力してくれた?
領主館があり、理不尽も他の村の比ではなかっただろうから、言葉通り命運を反乱軍に賭したのだろうか、とも思うが、反乱軍の内実などに一切触れていないというのに、命運を賭けるというのは些か不自然に感じる。
ヴェンが協力した時のように、選択肢がないわけでもないのだ。
「何で、あんたは……?」
ヴェンは思わず呟いていた。殆ど独り言のようなそれを、男は聞き取ったらしく、ヴェンに視線を向けて来る。
「よく似ているな」
男はヴェンを見て、一言。その瞳には、何か懐かしいものを見るような光がある。ヴェン自身を見ているわけではなく、自分を通して別の誰かを見ているようにヴェンは感じた。
「……誰に、だ?」
男は一瞬驚いたように目を見開き、口に出していたかと呟いた。そして鼻を一つ鳴らして、続けた。その口から出た名前はヴェンには予想外のもので――
「――ヴァンハルト。お前の親父さんだよ。ヴェンリット」
ヴェンは自分でも良く分からない何かが込み上がって来て、息を詰まらせるのだった。
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