07.失敗
「……これ、正気の沙汰じゃないよな」
ヴェンは領主館の目の前まで来て溜息を吐いた。革鎧を身につけ、背には矢筒と弓。腰には剣鉈を下げた、いつでも戦える構えである。領主館のあるオウノ村の住人には厄介なものを見る目で見られているが、私兵に見咎められるようなこともない。
それもその筈。代官は既に反乱は鎮圧したものと考えているだろうから。現在は、ヴェンが私兵を殲滅した三日後。タテノ村からオウノ村までは徒歩で七日はかかるところを、ヴェンは二日で走破したわけだ。
仮に反乱の鎮圧に成功していたとしても、私兵達はまだ戻らないし、そもそも失敗することなど考えてもいないだろう。実際、ヴェンが居なければかなり危険な状況だったのだから。
代官からすれば、あり得ない時に、予想の外側を行く状況なのだから無警戒なのも無理はない。そして、何故ヴェンが立った一人でオウノ村まで来ているのかといえば、キールの頼みによるものだった。
■ □ ■ □
「代官に反乱を起こしたことを伝えて、出来るだけ怒らせてきて下さい」
「寝言は寝てから吐けよ」
真昼間から寝ぼけてんのか、とキールに返すヴェン。多少なり距離は縮まったものの、相手の言葉を無条件に信用出来る程ではない。尤も、ヴェンの口が悪いのは通常運転ではあったが。
「いえ、本気で言ってますよ。僕は」
「なら、なおのことタチが悪い」
俺は馬鹿だが、少なくとも戦争で相手方に情報を知られるのがまずいってのは分かる。俺達が私兵を返り討ちにしたことはまだ知られていない。何故わざわざ知らせてやる必要がある。ヴェンはそう続け、キールを睨んだ。
「普通なら、その言葉は正しいです。しかし、今回ばかりは情報を渡した方が動きやすい」
「はぁ……なら、納得出来る理由を寄越せよ」
でなけりゃ、梃子でも動いてやらないと、ヴェンは腕組をする。キールは分かってますよと微笑み、説明を始めた。
「一つ目は、情報を渡すことによるデメリットが薄いからです」
さっぱり分からないな、と大袈裟に肩を竦めてみせるヴェンに、いいですか、とキールは指を立てて続ける。
「仮に私兵を返り討ちにされ、反乱がまだ続いていると分かっても、代官は都にいるであろう領主や、他の領の領主や代官に伝えることはしないでしょう」
「何故だ?」
「それは、失態だからです」
圧政を敷いている以上、領民の反発が起きることは別段代官にとって問題ではありません。ですが、起きた反発――今回であれば、反乱を鎮められないことは、大きな失態になります。キールはそう言って、一旦間を置いた。ヴェンが情報を噛み砕くのを待ったのだ。
――まあ、一理ある。
代官というのは、領主に代わってその領の内政を担当する者だ。反乱を治められないというのは失点に繋がる。下手をすれば代官職を辞さなければならなくなる目すらある、と考えれば成る程自身の失態を広げようとは考えないだろう。だが――
「――戦闘に備える時間をくれてやることになるぞ」
「その可能性は低いでしょうし、貴方にもっと低くして貰います」
皆が口を閉じていたところで、噂というのは予想以上の早さで広まるもの。代官は自身の失態を悟られないために、すぐさま行動を起こすでしょうから、とキールは言う。
「で、あれか。怒らせろって話か」
「そうなりますね。まぁ、保険程度のものですが」
やって損はないですし、と言うキールに、実際やるのは俺なんだけどな、とヴェンは溜息を吐く。
「二つ目に、僕らの力を大きく見せなければなりません」
代官を殺すというだけなら、いくらでも手段はあるでしょうが、僕らは仲間を集める為にも領民の希望になり得るという力を示さなければならないのです、とキールは言う。
「実際の戦闘は貴方頼みになるでしょうが、私兵と正面から戦って勝利したという事実が欲しい」
それ故の、正面決戦です。貴方には負担をかけることにはなりますが、と言うキールに、それは承知の上だとヴェンは何でもないように返した。
「そうなれば、実態は張り子の虎ですが、それでも我々反乱軍は虎に見える」
この領の政は酷い。虎の威に縋り付きたい者はいくらでも居ますからね、とキールは言う。
「領民を詐欺に掛ける訳だ……こりゃ地獄行きだな」
中身はスカスカの希望に縋らせるわけだ。全くもって罪深い話だとヴェンは溜息を吐く。
「いいえ。それは違いますよ」
「あん?」
それを否定するキールに、ヴェンは柄の悪い声を返す。別段正義漢を気取るつもりは一切ないが、それでも自分がやろうとしているのはかなりの非道だ。その認識を崩すつもりはヴェンにはなかった。
「……貴方は僕の指示で動くだけだ。責を負うべきは僕一人ですよ」
この世界に地獄なんてものがあるかどうかは分かりませんがね、と笑うキールにヴェンは一瞬呆気にとられたような表情をした後、勝手に人のものを盗るんじゃねえよ、と吐き捨てるような調子で言った。
「俺の罪は、俺だけのもんだ。誰がお前なんかにくれてやるかよ」
指示は受け取った。準備が出来次第向かう、と言い残し、立ち去って行くヴェンの背に、キールは大きく声を投げる。
「嘘も貫き通せば真に転じます。僕は、この反乱軍を張り子の虎で終わらせるつもりはありませんよ!」
――当然だろ。
俺も、お前も、やるしかないんだからな。ヴェンはそう小さく呟くのだった。
■ □ ■ □
そして、丸一日ばかり人間離れした速度で走り続けたヴェンは、オウノ村に辿り着いていたわけだ。そして、今煽りの言葉を考えているのだった。
――代官の見た目なんて知らないしなぁ。
まあ、保険みたいなものだと言っていたし、やるだけやってみるかとヴェンは領主館の門へとズンズン歩み寄って行く。
「何だ、貴様は」
「やあ、どうも。約束なしなんだけどさ、代官様に会えるかな?」
流石に門の脇には兵士が一人門番として立っていたため、ヴェンは軽い調子で話し掛けた。
「ああ、約束って通じない? あらら、今都で流行りの言葉だよ。俺は都なんて行ったこともないけどさ」
適当に軽口を垂れ流しながらヴェンは兵士との距離を詰めると、鎧に覆われていない下腹を殴り付けた。メキメキ、と何かがへし折れるような手応えに、気絶させるだけのつもりだったヴェンはやり過ぎたかな、と呟くも、どうせ殺すことになるのだろうし、と深く気にしないことにする。
相変わらず、敵にはまるで容赦がない。
「通っていい? 返事が無いってことは良いんだね。無言はイエスっと」
口から赤色の泡吹いてるけど新手の芸? 宴会で注目の的だねと戯け続けるヴェン。巫山戯た態度ではあるが、戦場で戯けるのは、父から習った戦闘における心構えをヴェンなりに実践した結果である。
――常に、冷静であれ。
これだけである。ヴェンの父は、寡黙な人だった。多くを語らい、鋼のような男。その姿に憧れはしたけれど、ヴェンは自分がそうなれるとは少しも思えなかった。そして、ヴェンが自分なりに戦闘中に冷静さを保つ手段が、軽口を叩くことだった。
冗談を言えるということは、それだけ心に余裕があるということ。ついでに、相手が人間なら怒らせて冷静さを奪うことも出来るという一石二鳥。冷静さを保つ手段であるため、緊張していれば緊張しているほどヴェンの軽口は増えるのだった。本人に自覚はないのだが。
「お邪魔しまーす。文字通り邪魔しに来ましたよっと。代官さんっている?」
ちょっと話したいことがあるんだけどさ、と大声で言うヴェン。その声は響きに響き、大きな館全体に響き渡る程であった。
「何だお前は!」
「アンタが代官?」
声を聞き付け、駆けつけてきた男。大柄で、暴力に慣れた雰囲気を感じる。これは外れかな、と思いつつ、ヴェンは一応尋ねてみる。
「違う。この俺は――」
「――あ、代官さん以外に用は無いんで」
ちょっと寝てて貰っていいですかね、と男の胸に拳を叩きつけるヴェン。先程の教訓を活かして少し弱目に打ったのだが、壁まで男の巨体を水平に吹き飛ばしてしまう。ズルズルと崩れ落ちる男。
「く、曲者だ!」
「……やべ、ちょっと面倒だぞ」
その叫びに複数の男達が向かって来るのを見て、ヴェンはげんなりとした表情になる。男達は私兵の一部なのだろう。恨みを買う覚えはごまんとある代官が、屋敷の防衛戦力として何人か控えさせていたのだろう。
しかし、兵士とはいえ戦い以外の時は当然鎧など着けている筈もなく。男達は武器こそ持ってはいるものの、それ以外の装備は身に付けていなかったのだ。
――殺せてしまう。
それも、いとも簡単に。とはいえ、ここで全員殺すというのは不味い気もする。キールの方針は反乱軍に確かな力があることを正面対決に勝利することで示したい、というものだ。
私兵の数は五十程度と聞く。ヴェンの視界の中にはざっと十名程の男が映っているのだが、その全員を殺してしまえば残るは四十。数が減り過ぎれば正面対決を避け、恥も外聞もなく他の領や都の領主に泣きつく可能性も出て来るだろう。
「一匹見たらってやつ? 勘弁願いたいね、全く」
とりあえず、殺さないように。
ぼやきながらヴェンは男達を殴り、蹴り、投げ飛ばす。弓はおろか剣鉈も使わず、武器を持った男達を圧倒する。途中からは男達が怖気付いたこともあって、大人と子供の喧嘩のような様相を呈して来る。
最初こそ敵地のど真ん中への侵入ということで緊張していたヴェンだったが、途中からは欠伸すら漏らす始末。兵士達が万全の装備と精神状態であったなら苦戦の目もあったのだが、装備は武器だけ。仲間の多くが伸されて腰が引けている、と最早負けようがなかった。
加えて、広いとはいえ屋内。数の利は生かせず、兵士達はヴェンに対して何の手も打てぬまま倒されていく。
とにかく代官を見つけて用事を済ませて帰ろう、そう心に決めたヴェンだったが、中々代官は見つからず、移動しながら何度も戦闘を繰り返す羽目になる。
緊張感のない戦闘を無心に消化していき、ようやく代官を見つけるヴェン。肥え太った中年の男が恐怖に身体を震えさせているのを見て、ヴェンはあれ、と思う。
――何か、予想してた反応と違うな。
もっと偉そうにふんぞり返っているものかと思っていたのに、と訝しみながら近付くヴェンに、代官はひっ、と悲鳴を上げる。
「わ、私を、こ、殺すのか!?」
「……いや、まあ、いずれはそのつもりだけどさ」
「ヒイィ……嫌だ、死にたくない」
情けない悲鳴を上げて蹲る代官。ヴェンはそれを見て、自分がやり過ぎてしまったことに遅まきながら気が付いた。
――これ、マズイよな。
殺さなければいい。進行の邪魔になる奴だけ殴り倒す。そうやってヴェンが伸した兵士の数、三十五名。数日前にヴェンが殺した十人を含め、代官の持つ全戦力をヴェンは食い破ってしまったのだ。
恐怖に身を震わせる代官を見下ろす。この様では正面対決になど臨んではくれまい。ヴェンに対する恐怖が恥や外聞を投げ捨てさせることだろう。
「……どうするかね」
「ヒイッ」
ヴェンが零した言葉は、代官には自身の処遇を悩んでいるように聞こえたのだろうが、ヴェンはキールの展望とは大分外れることになってしまった現状を、どう転がすべきか真剣に頭を悩ませるのだった。