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異世界戦記を猟師が行く!  作者: 矢田
辺境騒乱
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番外編.キール

 ――いよいよ、か。


 キールはタテノ村で貸し与えられた家の中で静かに思考を巡らせていた。自分の短慮から突発的に起こしてしまった反乱。多くの人を地獄に突き落とす悪鬼の所業。


 勝たなくては、ならない。これから起こる全ての戦いに、勝ち続ける必要がある。それは、せめてもの義務だ。自身の勝手で多くの人間を地獄に巻き込み、こそ先も多くの人間を巻き込んでいくであろう自分に課された、義務。


 ――僕に出来ることは、本当に少ないけれど。


 キールは日本から転生した人間だったが、何か特別なものを持っているのかと言えば、それは否だった。強いて言えば前世の知識という財産はあったが、それを活かせるような環境ではなかった。


 正直なところ、ヴェンのことが羨ましかった。


 同じ転生者でありながら、圧倒的な力を持つ彼のことが。あれ程の力があれば、自分にも、もっとやり様があったのかもしれないとキールは思ってしまう。


 ――馬鹿馬鹿しい。


 そう思いながらも、閉じた目蓋の裏側には過去の光景が鮮明に浮かび上がって来るのだった。



 ■ □ ■ □



 ――今日は、人生で最高の日だ。


 キールは心の底からそう思っていた。キールには、前世の記憶がある。最初こそ自分が死んでしまったことを嘆いたが、やり直せる機会を得たのだ。前の人生よりも幸せになってみせる。そう、考えていた。


 そして、すぐにその考えが甘過ぎたことを思い知らされる。


 生きて行くだけで、精一杯。前世の記憶など、何の役にも立たなかった。むしろ、豊かな国であった日本で暮らしていた記憶は、キールを常に苦しめる。


 満腹になるまで食べられたことなど、指折り数えられるほどしかなく、常に飢えていた。生来、筋肉が付きづらい体質なのだろう。日々の農作業の辛さが緩和されることはなく、常に腕が痛かった。


 ――死にたい。


 そう考えたことは、一度や二度ではない。キールはヨコノ村の村長の息子で、他の村人達よりも恵まれた生活をしてはいたものの、日本での生活に比べれば拷問を受け続けているようなものだ。


 常軌を逸した重税。どんなに働いても、その殆どを税として持って行かれてしまう。それは、耐え難い苦痛だった。それを耐え抜けたのは、ひとえに家族と、一人の少女が支えてくれたからだ。


 ――マリィ。


 特別美人か、と言われればそういう訳ではない。十人に聞けば、三人位は可愛いと言うような顔立ちだ。零れんばかりの大きな瞳は少し垂れていて、チャームポイントはそばかすだ。ふわふわした茶色の髪に、陽だまりのような雰囲気を持つ少女。


 キールが落ち込む度に励ましてくれた彼女を、キールが好きになるのにそう時間はかからなかった。キールはマリィに振り向いてもらうために、惜しまず努力を重ねた。


 体力はつかなかったけれど、父に教わって文字を覚え、家にある数冊の本を暗唱出来るほどに読み込んで知識を高める。少しでも村の暮らしを良くするため、現代知識の中に使えるものはないかと必死に試行錯誤をしたりもした。


 空回りしたことも多かったが、数年後、キールは村一番の知恵者と呼ばれるようになっていた。


「マリィ」


 非常に緊張した面持ちで、キールはマリィに声を掛けた。心臓は周囲に聞こえているんじゃないかと思う程に早鐘を打ち、春先だというのに背はぐっしょりと汗で濡れている。


 口の中はカラカラで、胃の中のものを今にも吐き出しそう。緊張にはかなり強い筈なんだけどな、と思いながら、キールは大きく深呼吸をした。


「ん、なぁに、キール?」


 ぽやぽやとした、何処か抜けている調子でマリィが返してくる。いつも通りなのだけれど、キールにはいつもより三割増で輝いて見えた。


「……その、ぼ、僕と、その……家庭を築くことを、考えてくれないか?」


 何日もかけて告白の言葉は考えてあった。しかし、マリィを前にした緊張で用意していた言葉は吹き飛び、真っ白になった頭で捻り出した言葉は何とも不器用なものだった。


「家庭……?」


 キールの言葉の意味がすぐには理解出来なかったのか、少し時間を置いてから、マリィの顔が真っ赤に染まる。頭から湯気が立ちそうな程に顔を赤らめ、のぼせてしまったのかフラフラと足元が覚束ない。


「そ、それって、その。ふ、夫婦になるってこと?」


 ただでさえ緊張していたキールは、同じように緊張し、混乱した様子のマリィの態度でそれが更に高まった。


「そう、その……そう、ええと、そうなんだ!」


 最早、まともな言葉が出てこなかった。ただ、兎にも角にも言葉を返さなければと焦った結果、何のことやら分からないものが口から音を成していた。


 ただ、この場においてはそれで十分だった。


「うれしい、うれしいよぉ。ほんとに本当?」


 涙を流し、抱き付いて来たマリィ。その身体の柔らかさにキールの頭の中の色々な部分がショートした。マリィと同じか更に赤く顔を染め、意味も無く口をパクパクさせている。正直、キールは自分がマリィに好かれているという自信はさっぱり無かった。


 だから、こんなに喜んで貰えるなんて少しも想定していなかったのだ。ただでさえ役立たずになっていた思考回路は熱で使い物にならず、言葉を返すことすら出来ずに、キールはマリィを強く抱きしめた。


 ――この温もりがあれば、どんなに苦しくたってやって行ける。


 キールはマリィの髪を撫でながら、満腹感にも似た至上の幸福感に浸るのだった。


 ヨコノ村の皆に結婚することを伝えると、「ああ、やっぱりな」という微妙な反応をされて、戸惑うキール。それもその筈。キールがマリィのことを好きなのは目に見えて明らかだったし、マリィもキールのことを憎からず思っていたことは公然の秘密だったのだから。


 それでも口々に祝福の言葉を告げてくれて、数日後に婚姻の式をすることに決まった。


 そして、運命の日。


 大したものではないけれど、持っている服の中では一番上等なものを着て、髪も自分で出来る範囲で整えてある。


 ――今日は、人生で最高の日だ。


 幼い頃から好きだった少女(ヒト)と結ばれる。これ程の幸せもないだろう。前世含め、これまでで最高に幸せだとキールは瞳を閉じた。苦労も多いけれど、この世界に生まれたことは幸運だったのだと断言出来る。


「おい、キール。マリィがお待ちかねだぞ!」


「ああ、今行くよ」


 村の友人に急かされて家を出る。村の小さな広場には、今まで見た中で一番可愛らしく着飾ったマリィの姿があった。花の冠はマリィの柔らかな雰囲気にマッチしていて、誰かのお古を仕立て直したのであろうワンピースは、身体のラインがはっきりと分かる作りで豊かな胸や臀部が強調されている。


 マリィの可愛らしさに一瞬意識が遠のくキールだったが、こんな場面で倒れるわけにはいかないと持ち直す。


「……ああ、その、最高に綺麗だよ。マリィ」


「キール……」


 二人が向かい合い、婚姻の儀に入ろうとした、その時だった。


「おや、成る程確かにお美しいですねぇ……」


 酷く不愉快な声が、二人の間を引き裂くように放たれた。キールは聞き覚えのある声に、ばっ、と声の方へと向き直る。想像した通りの、最悪の現実がそこにはあった。


 脂ぎった、小太りの男。彫りが浅く、起伏の少ない容貌のこの男は、この辺りを担当している徴税官だ。村人達に蛇蝎のごとく嫌われていて、キールも例に漏れず嫌悪している。そして、この男は凄まじい女好きなのだ。


 女を囲っては、壊して捨てる。


 幸いこの男が訪れる時期は決まっているため、その時期に合わせて年頃の女は醜女に見えるよう細工をするのだが、今回は完全に周期を外れてこの村を訪れたのだ。婚姻の儀で村人達は皆この広場に集まっていたせいで、声を掛けられるまで気付かなかった始末。つまり、何の対策もとっていない。


 ――まずい。


 危機的な状況にキールの頭が高速で回転し始めるも、空転するばかりで何の妙案も出してはくれない。


「今晩はこの村に泊まることにしましょう。世話役に……そうですね。そちらの女性に来て頂きましょうか」


 何の対策も打ち出せぬまま、徴税官は世話――つまり夜伽の相手にマリィを指名した。マリィの瞳は絶望の色に染まり、顔は青白く色褪せている。身体は小刻みに震え、縋るようにキールを見つめた。


 ――僕に、何が出来る。


 考えて、考えて、考えて。何も出来ないという結論に至った時、キールは目の前が真っ暗になったような錯覚に襲われた。


「それでは、楽しみにしていますよ」


 そう言って去って行く徴税官。キールは震えるマリィをただ抱きしめる以外には何も出来なくて、そんば自分が吐き気を催すほど嫌だった。


「だ、大丈夫。私なら、へ、平気、だから」


 震えながらも、健気にそう言ったマリィを、強く強く抱きしめる。


 ――この温もりがあれば、どんなに苦しくたってやって行ける。


 この温もりを失わない為なら、僕は何だってやってやるさ。キールの瞳に暗い殺意が宿る。この時点で、キールは徴税官を殺すことを決意していた。


 常のキールであれば、何の考えもなしに殺すようなことはしない。冷静であったなら、毒を使い、食中りにでも見せかけて殺したことだろう。しかし、この時のキールは冷静に見えて全く頭が回っていなかった。


 混乱の極みにあったと言っていい。


 だから、隙と見た瞬間に短剣で徴税官を刺し殺すという短慮に至ったのだ。キールが正気に戻って手を見れば、真っ赤に染まった手が映り、視線を下にやれば倒れ伏した徴税官の骸があった。


 これが、反乱の最初の一歩。切っ掛けは、どうしようもなく小さなことだった。



 ■ □ ■ □



 ――我ながら、どうかしてましたね。


 やりようなんて、幾らでもあったのに。力に任せた手段が失敗したから、力を持つヴェンを妬むだなんて度し難い話だとキールは自嘲する。


 自らの愚かしさの尻拭いをするために、キールはタテノ村を利用した。幾度も食料を提供してくれた、大恩のある村を危険に曝したのだ。


「……これは、地獄に落ちますね」


 しかし、それでも。何を犠牲にしてでも、あの温もりを失うことだけは絶対に嫌だった。これは、キールの我儘から始まった反乱なのだ。ならば、せめて。


 ――まともな生活が出来るように。


 圧政に苦しむ村を救うことが、我儘を押し通すキールに課された義務だった。



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