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異世界戦記を猟師が行く!  作者: 矢田
辺境騒乱
31/52

29.ファイツ領

「で、どう思うよ?」


「……現状嘘の情報を流すとは考え辛いですが、あり得るとすれば牽制でしょうか」


 あの後、商人から詳しい話を聞いたところ、ついこの間まで前線で戦っていた猛者であるが、度重なる命令無視が原因で後送されたとのこと。反乱の噂を聞き付け、戦場を求めて向かって来ているらしい。


 二つ名は『赤い狂犬(マッド・ドック)』。


 せめて戦い方が分かるような二つ名にしてくれれば良いようなものを、とヴェンはぼやく。もしこの狂犬(マッドドック)とやらが本当に天賦(ギフテット)で、辺境に向かって来ているというのなら、ヴェンの行動は大幅に制限されることになる。


 ドワーフの話では天賦(ギフテット)には強弱があるらしいが、仮にこの狂犬がヴェン同様高い戦闘能力を持つ天賦(ギフテット)であるのなら、それは途轍もなく危険だ。


 他の天賦(ギフテット)をキールもヴェンも知らないため、天賦(ギフテット)の基準はヴェンになるのだが、戦力としての評価は『使い勝手のいい戦略兵器』である。あっさり重要拠点の奥に侵入しては、必要な分だけ殺せる凶悪な兵器。


 防ぐ手段は同等の戦力をぶつけることだけ。狂犬がヴェンと同等の戦力を保持しているというなら、現状ヴェンが迎え撃つくらいしか明確な対策が存在しないのだ。


 そうなると、ヴェンを今までのように気軽に派遣することは難しくなってくるため、牽制としては有効な一手であるように思える。


「でも、本当なら本当でどの道警戒する必要があるって話だしな」


 お前にゃ言うまでもないだろうけどさ、と前に置いた上でヴェンはキールを真っ直ぐ見て無造作な、何でもないような調子で言った


「積極的に出るか、受け身に回るか。そういう話だろう?」


「……貴方は時々鋭いことを言いますね、ヴェン」


 時々ってのは余計だと笑うヴェンに、キールもこれは失礼、と笑みを返す。


「そうなると、やはり情報の裏は取っておきたいところですね」


「俺が強行偵察に行くのが手っ取り早いが……ッチ、こうなると魔力が無いってのは面倒さな」


 個人的に魔術が使えないってのは残念だったけど、それ以上に伝心結晶が使えないのは痛いよな、と溜息交じりにヴェンは言う。ヴェンが村に戻った時は、伝心結晶が使える人物を背負って行ったのだが、これから赴く場所に待ち受けるのは危険な場所に、天賦(危険な相手)。庇う余裕があるとは考え辛かった。


「そうですね……今後の方針は伝えます。行って貰えますか、ヴェン」


「ま、行くしかないよな」


 目の下に隈を作っているキールとは違い、ここ最近は人間重機で農作業ばかりしていたヴェンは、体力的にも精神的にも充実している。断る理由は、なかった。



 ■ □ ■ □



 十日後。ヴェンはファイツ領を訪れていた。


「突撃隣のファイツ領〜、なんてな」


 相も変わらずザル警備――と言うのは酷だろう。広い領地に警戒網を隈なく敷き詰めるのは至難の技だ。大体、それを言い出したら反乱軍が落としたダースト領、アルマ領も未だに碌な警戒線を敷けていない。


 ドワーフ達の手を借りて、魔術的な警戒線を引いているが、まだまだ未完成で穴がある、らしい。魔術が絡んだ時点でヴェンの理解出来る範囲を超えている。


 ――その内どんな術があるのかくらいは学んどかないとマズイだろうけどね。


 ヴェン自身が使えなくとも、相手は使ってくるのだから、対策を講じられる程度には理解を深めておく必要がある。尤も、ヴェンはその前にいい加減文字を覚える必要があるのだけれど。ここ一ヶ月で簡単な文字なら読めなくもない、という程度にはなっていたが、前世で言えば絵本を読めるか否かというレベルでしかない。


 反乱軍全体で識字率は一桁である。パーセンテージだけでなく、人数も。尤も、反乱軍に直接参加はしていない老人も含めれば、そぼ数は倍近くに増えはするのだが。


 そのせいで数日の休みを挟めたヴェンとは違い、キールは働き通しであった。情報を口頭でしか伝えられないというのは、キールに大きな負担を掛けたのである。文字の読み書きが出来る人間が少ないせいで、情報を纏めるのにも一苦労。


 現状に対処するだけでなく、反乱軍の軍法や、占領下に置いた領地の統治方法の素案の作成など、ここ一月のキールは世界一過酷な労働環境に置かれていたと言っても過言ではない。事実、過労で一度倒れていたりする。


 目の下に色濃い隈を作り、端正な顔が幽鬼のような相貌になって行くのを見て、これはマズイと思ったヴェンが手は打った。それが随分効いたようで、現在は隈こそ消えていないが、おおよそ普段の顔付きに戻っている。


 ――まぁ、結果良ければってことで。


 実はキールの疲労をどうにかしようとした時に、ヴェンはポカをやらかしており、下手をすればキールは死んでいてもおかしくなかったりするのだが、それはまた、別の話。


 さて、このファイツ領であるが、アルマ領に接した二つの領地の内の一つで、キールが最も厄介だと話していた領地である。ヴェンも理由を聞いて、実際に領地を見て、納得した。こいつは確かに厄介だぞ、と。


 農業が基幹産業で、周辺の他の領に比べて特別豊かなわけではない。兵の練度も、そこまで高いわけでもないらしい。しかし、この地を治める領主が真っ当な人物であり、領地に善政を敷いている。これが反乱軍にとって大きな壁になる。


 悪政からの解放を謳う反乱軍が、善政を敷いている領主を害すというのは、よろしくない。仮に今まで通り力任せに攻め落としたところで、住民が反乱軍に従うことはないだろう。ヴェンがこの領地に入ってから通りすがった村には笑顔があり、住民は健康そうで何の不満も抱いていないように思えた。


 ――ある意味、天賦(ギフテット)より厄介だ。


 力任せでどうにか出来る可能性がある分、天賦(ギフテット)の方が分かりやすい。とはいえ、キールの話では善政を敷いていることはファイツ領の長所であると同時に、弱点でもあるのだという。そこを突けば崩せる目はあるのだと。


 ――嘘はないだろう。ただ、あの目なぁ。


 キールは覚悟を決めた目をしていた。それは、犠牲を呑む覚悟を決めた色であるようにヴェンには感じられた。そして、おそらくそれは、外れていない。


 この領に来る前に、ヴェンはあることをしてから来ている。それは情報収集とキールの策の仕込みを兼ねた作業をするためで、ヴェンは頭が良い方ではないにしろ、本人が言うほど悪いわけでもない。鍵となる材料が十分に揃っていれば、予想も付くというものだ。


 どんな形にしろ、ファイツ領の平穏は崩される可能性が高い。その原因を作ったのは、ヴェンである。キールは「私の指示なのですから、私の責任です」とでも言うのだろうが、思惑を理解した上でそれに乗っている時点で自分も同罪だとヴェンは思う。


 ――出来るだけ、被害を出さないようにするさね。


 偽善でも、やらないよりはマシだろうさとヴェンは腕に力を込める。その上で恨まれれば応えてやればいい。殺されてやるつもりは毛頭ないが、憎悪に向かい合うのはせめてもの礼儀というものだ。そうしたところで、償いにはなり得ないが。


 とはいえ切り替えないとな、とヴェンは息を吐き、思考の段階を一気に戦闘状態のそれへと移行させる。ファイツ領に来る前の下準備で、ヴェンは商人が反乱軍討伐に参加すると言っていた三つの領地を巡って来た。その三つにこのファイツ領を含めた四つの領が今回反乱軍の敵になるわけだが、ともあれその三つの領地の領主館に件の天賦(ギフテット)らしい人物は居なかった。


 もし本当に狂犬(マッド・ドッグ)なる天賦(ギフテット)が存在して、情報通り辺境(この地)に向かって来ているとするなら、この領地に居る可能性が極めて高いのだ。


 ――鬼が出るか蛇が出るか……ってこれ前もやったな。


 というか、(オーガ・グリズリー)(アース・イーター)も出た後なのだから、何が来てもインパクトに欠くような気もすらぁね、とヴェンは冗談目化した調子で思う。眼前には、ファイツ領の領主館がある。


 軽口が浮かび始めるあたり、ヴェンはこの時点で天賦(ギフテット)の存在を何となく感じ取っていた。尤も、言語化出来ない曖昧な感覚で、ではあるが。


 周囲から死角になっている壁の陰から、ヴェンは地面を蹴って跳び上がった。十数メートルの跳躍もヴェンにとっては苦にならない。悠々と屋根の上に登ったヴェンは、さてどうしたものかと呟いた。


 ヴェンは気配を感じ取ることに長けてる上、優れた身体能力を有している。その高い能力(スペック)任せにこれまで諜報(スパイ)モドキをして来たわけだが、別段専門の技能を有しているわけではない。


 気配を潜めるのは狩で慣れているが、それが天賦(ギフテット)相手に通じるかは怪しいところだとヴェンは考える。


 ――ま、やるだけやってみるか。


 ヴェンは周囲の空気に自分の身体を溶かして行くようなイメージで気配を薄れさせていく。ちなみに、比較的ヴェンはこれが苦手だったりする。元々気配やら存在感やらが大きいらしいヴェンは、父に比べると今ひとつ気配の殺し方が下手だった。


 それでも並の魔獣には見破られない隠形で、ヴェンは三階の空いている窓からするりと中に滑り込む。気配を探ろうと感覚を尖らせたヴェンは、隣の部屋から聞こえてくる声に耳を傾けた。


「父上、奴等協力する気なんて無いですよ」


「……そうだなぁ、しかし、どうしたものか。王からの命には従わなければいかんが、戦いはなぁ」


 若い男と、やや年老いた男の声。会話から父と息子なのだろう。おそらくは、領主とその息子。どうやら反乱軍との戦いについて話しているようだった。


 これは運がいいな、と思ったヴェンは、しかしもう一つ声が聞こえてきたことに静かな衝撃を受ける。


「戦いはボクに任せてよ。その為に来たんだからさ」


 若い女性、或いは少女の声。ヴェンの驚きは、その声が女性のものだったことに起因しない。驚きの原因は、ヴェンが声の主の気配を少しも感じ取れなかったことにある。


 ――冗談キツイな、おい。


 顔を引き攣らせたヴェンは、続く言葉にいよいよ頭を抱えたくなる。


「壁の向こうのお兄さんもそう思うよね?」


「何、誰か居るのか!」


 少女の言葉に、若い男の方が反応する。直後、壁の向こうで爆発的に高まった気配、そして戦意に、ヴェンは躊躇うことなく剣鉈を引き抜いた。


「居るよ、ホラ!」


 何をしたのか分からなかったが、唐突にヴェンのいる部屋と隣の部屋を隔てる壁がバラバラに切り裂かれる。


 驚愕は、一瞬。


 しかし、その一瞬に赤い影が飛び込んで来る。不意を突かれ、しかしヴェンの対応もまた瞬時に完了する。


 ――ギィンッ!


 噛み合う、刃と刃。


 交錯する、視線。


 燃えるような赤い髪の少女は、ヴェンが初めて出会う、自分以外の天賦(ギフテット)。『赤い狂犬(マッド・ドッグ)』。獰猛な名を持つ少女は、牙を剥くように笑うのだった。



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