03.殺戮
――凄惨。
言葉を失わずにはいられない光景がそこには広がっていた。
森の間に拓かれた道は、赤く染め上げられている。周囲に転がる骸、骸、骸。見る者の背を背筋が冷たくする。それは、この光景の残虐性に対する嫌悪であり、これを成した存在への恐怖からくるものだった。
「何だ、随分のんびり来たな。途中で昼寝でもしてたのか?」
ああ、俺は昼寝してたけどな、こいつら仕留めた後に、と笑う凄惨な絵画を描き出した惨劇の主。
灰色の頭髪は赤黒く、全身にも血化粧が施されている。真っ赤に染め上げられた中でもより赤く、より深く、その瞳は獰猛に輝いていた。
「……これは、貴方が?」
恐る恐る、といった様子で青年がヴェンに声を掛ける。その声が震えていたことは、誰も責められないだろう。何せ、他の者達は声すら出せなかったのだから。
「通りすがりの鬼熊がやったって言ったら信じるかい?」
「そちらの方が、まだ信じられますね」
「なら、そういうことだ」
そう言って笑うヴェンに、青年は身体の震えが抑えられなかった。それは、遺伝子の底に刻まれた生存本能の叫びであり、反乱が本当に成功するかもしれない、という興奮の入り混じったものであった。
■ □ ■ □
駆ける、駆ける。
ヴェンは全身を躍動させて森の中を進んでいた。周囲の景色が後ろへ飛ぶように溶けていく。その速度は、馬と比しても更に速い。
――さて、啖呵を切ったはいいものの。
十人の武装した兵士など自分に相手が出来るだろうか、とヴェンは走りながら溜息交じりに思う。自覚してはいなかったものの、自分は随分強いらしいとも。
猟師として魔獣を狩ってきたため、普通の村人に比べれば腕が立つ自信はあったが、どの程度のものかまでは分からなかったし、今も分かっていない。
何せ、まともに人間を相手に戦った経験がないのだ。野盗を相手にした時は、遠距離から一切近付くことを許さず一方的に矢で射殺したために強さの実感など無かった。
先程武器を持った男達と向かい合って、少しの危機感も抱かなかったことで、ヴェンは自分の実力に少しばかり自信を持っていた。
明確な根拠は無いのだが、鬼熊と向き合った時にある、背中がざわつき、意識が研ぎ澄まされていくような感覚が無かったのだ。
狩で凶暴な魔獣と向かい合った時にあるあの感覚は、ヴェンにとって戦闘態勢への移行なのだ。それが無いということは、ヴェンにとって戦うに値しない、脅威にはなり得ない相手だということ。
二十人を超える男達にその程度の脅威しか感じないということは即ち、ヴェンの戦闘力は一般的な男性二十人よりも高いわけだ。
――しかしなぁ。
元いた世界では、平均的な成人男性二十人分の戦闘力を持っていれば超人だ。しかし、この世界には魔獣なんてものが居て、見たことはないが魔術というものも存在するらしい。
この成人男性二十人分の戦闘力というのが、果たして専業の戦闘者である兵士に及ぶものかどうか。
「まぁ、何とかするしかないよな」
実力が及ばなくとも、罠や毒を駆使して全員を仕留めてみせる。一人でも逃してしまえば、代官に報告され、時間を稼ぐことはかなわなくなるのだから。
――おっと、居たな。
ヴェンは木の陰に身を潜め、代官の私兵達を観察する。数は十。内九人が革の鎧を身に付け、一人は馬に乗って金属鎧を纏い、馬に乗っている。
金属鎧の男が兵達の上位者なのだろう。一番腕が立つのかとヴェンは警戒するも、どうにも戦いを生業にしているとは思えない体格。その上、武具に詳しくないヴェンの目から見ても金属鎧は薄っぺらく、装飾過多でとてもではないが戦闘に耐え得るものではなかった。
――これは、殺れるな。
ヴェンは確信する。兵達にしてもガタイは良く、暴力に慣れている雰囲気はあるが、戦闘に長けているようには感じられない。何より、ヴェンの本能がこいつらは獲物でしかないと告げている。
そうなると、欲が出る。
あの青年を、ヴェンは欠片も信用していない。どんな事情で領主に反旗を翻すに至ったのか、領主に、ヴェンの村は隣村が起こした反乱において、どのような立ち位置であると伝わっているのか。
青年というフィルターを通さない情報を得られる機会だ。逃すべきではないだろう。ヴェンはそう判断し、木の陰から兵達の前へと姿を現した。
「どうも、いい天気ですね。調子はどうです?」
「貴様、何者だ!?」
武器を構える兵達に、怖い怖いと両手を上げるヴェン。
「タテノ村の猟師でヴェンと申します。領主様の使いの方だとお見受けしましたので、ご挨拶を、と」
ご迷惑でしたかね、と戯けつつも言葉は丁寧に。金属鎧の男はフン、と鼻を鳴らして口を開いた。
「反乱に組しているという村の者か。構わん。殺してしまえ」
そう兵達に命じる金属鎧の男。突然振り下ろされた剣を軽く後ろに跳んで避けたヴェンは、「ちょっとちょっと」と焦った様子を演ずる。
「いきなり何ですか!? それに反乱? 俺はここ数日狩に出てて分かりませんが、うちの村は決して反乱なんか起こしやしませんよ」
「はっ、どうだかなあ。だが、貴様が反乱のことを知らんのは事実のようだな。でなければ、のこのこ出ては来ないだろうよ」
知っていて出て来たなら間抜けだがな、という金属鎧の男に、その間抜けですよ、とヴェンは心の中で舌を出す。
「……それで、その反乱とやらは本当にうちの村が起こしたんですか?」
うちの村の人は皆温厚で、反乱を起こすなんてとても信じられないんですが、と言うヴェンに、金属鎧の男はまたも偉そうに鼻を鳴らしてから答える。
「まぁ、冥土の土産に教えてやろう」
冥土の土産って俺は殺されるのかよ、とヴェンは文句を口にしそうになりつつも、堪えて続く言葉を待つ。
「反乱を起こしたのはタテノ村ではなくヨコノ村だ。奴らは徴税官を殺したのだ」
「ちょ、徴税官様をですか!?」
少しばかり大仰に驚いておく。下手糞な演技だとヴェンは内心自分に呆れた。あの青年はまるで信用出来ないが、演技の上手さと面の皮の厚さだけは評価出来るなと軽く鼻を鳴らした。
「そうだ。そして、貴様の村も反乱した連中に組しているという情報がある」
これは、青年の言った通りのようだ。思い切り騙されているみたいだなとヴェンは内心溜息を吐いた。
「そ、そんなことは決して……」
「貴様の意見など聞いてはおらん。最早タテノ村の者を皆殺しにするのは決定事項だ」
反乱した者に組みするとこうなる、という見せしめの為にな。そう言って嫌らしく笑う金属鎧の男。ヴェンはそれを見て、そうかい、嫌なこと聞いちまったな、と従順な村人の仮面をかなぐり捨てた。
「まあ、聞きたいことは聞けたかな。大したことでも無いけどさ」
「何だ、貴様……」
「やれやれ、肩が凝るったらない。どうにも俺には演技は向かないな」
溜息と共に、ヴェンは剣鉈を引き抜く。従順な仮面の下から現れたのは、獰猛な獣の顔だ。
「貴様も反乱した連中の……」
金属鎧の男が言葉を言い終える時は、永遠に訪れなかった。鎧に覆われていない顔面、その眼窩を貫くように投げ放たれた矢によって、脳髄までを破壊されたから。
「まず、一人」
馬上から崩れ落ちて行く金属鎧の男。周囲の兵達がまだ現実を理解し切れていない隙に、ヴェンは更に動く。
剣鉈を振りかざし、兵二人の首を半ばから切り裂いた。噴き出す血が地面に降り注ぐ前に、次の兵士の頭を掴むと地面に勢いよく叩きつける。
凄まじいヴェンの腕力によって叩きつけられた兵士の頭は潰され、爆ぜたように赤の色彩をばら撒いた。ここにきて漸く兵達が動き出すも、それはヴェンに相対した状態では余りにも遅過ぎる。
――止まって見えるよ。
兵達一人一人の表情がスローモーションの世界でヴェンの目に克明に映る。恐怖の色に顔を染める者、怒気で顔を歪ませる者、未だに状況を理解出来ず呆然としている者。
その誰もが、ヴェンの敵にはなり得ない。
振り回される剣を身を屈めて潜り抜け、背後から二人の兵士の脚を膝裏から切断した。赤が吹き出し、悲鳴と共に支えを失った身体が崩れ落ちる。
――残りは、四人。
ヴェンは剣鉈を宙へと投じ、矢筒から二本矢を引き抜くと両手に一本ずつ握り、身体の捻りを使って回転するように投げ放った。
本来ならば弓を介さねば威力を発揮出来ない矢は、しかしヴェンの腕を発射台として恐るべき凶器と化す。
喉と、額。
それぞれを貫かれた兵士達は何が起きたのか気付けぬままに崩れ落ち、その命を散らして逝った。
得物が無い今を好機と見たのだろう。ヴェンの背後から斬りかかる兵士。仲間が八人殺されたというのに闘志を失わないのは大した胆力だ、と評しつつも、ヴェンの殺意の刃が鈍ることはない。
剣が振り下ろされるよりも早く兵士との距離を後ろに跳ぶことで殺し、跳んだ勢いそのままに全力で右肘を背後に突き出した。革鎧を抜いて衝撃が兵士の身体を貫く。
兵士は爆ぜたような勢いで吹き飛んで行った。衝撃によって身体が内から破壊されたからだろう。口や、目から赤い体液を撒き散らしながら。
残る兵士は一人。
恐怖で股座を濡らし、錯乱したのだろう。滅茶苦茶に剣を振り回す兵士の男。ヴェンは落ちてきた剣鉈を手を伸ばして掴み取り、横薙ぎに、その軌道にあった剣を砕きながらその兵士の命を刈り取った。
吹き上がる、赤。
頭部を失った胴体はその事実に一瞬遅れて気が付いたようで、転がった頭部に一拍遅れて崩れ落ちた。
――戦いでは、なかったな。
それは、一方的な虐殺だった。人間が意識して蟻を踏み潰すような、残虐性。それこそ、全員を気絶させて捕らえることもヴェンには可能だった。
それをしなかった理由は、二つ。一つは、万が一逃げ出された時のことを考えてのこと。あの青年なら、わざと逃がしてタテノ村が反乱に組した、という情報をより強固にするための駒として使いかねないとヴェンは考えたのだ。
もう一つは、力の誇示だ。
恐らくは自分を追って来るであろうヨコノ村の連中に対して、ヴェンの強さを示すこと。圧倒的な力を持つ存在だと認識してくれれば、下手に手を出してくることもないだろう。
手懐けられる獣だと思われては駄目だ。獰猛で、敵には情け容赦なく牙を剥き、数の利など何の意味も持たない超暴力。そういう存在だと思わせる必要があるのだ。
「演出過多かもしれないけど……」
少し、場を作っておくとしますかね、とヴェンは兵達の骸に歩み寄る。それは、死者を弄ぶような行為だったが、ヴェンは一言だけ「すまんな」と謝った後、躊躇なく剣鉈を死体に振り下ろした。
――皆のためなら、俺は悪魔にだってなってやるさ。
仕留めた獲物を解体するように、ヴェンは刃を振るい続ける。血の衣を纏い、凄惨な空間を作り上げて行く。
おおよその作業が終わった頃、ヨコノ村の男達が姿を現し、ヴェンは口を開いた。
「何だ、のんびり来たな。途中で昼寝でもしてたのか?」
ああ、俺は昼寝してたけどな、こいつら仕留めた後に、と笑うヴェン。嘘っぱちだが、いかにも余裕だったという雰囲気を出せているだろうとヴェンは思う。
ヨコノ村の男達の表情は恐怖の色に染まり、胃の中身を吐き戻しているものも何人か見られる。ヴェンは、自分の目論見が成功したことを悟った。
「……これは、貴方が?」
そう尋ねてくる青年の顔色も悪い。ようやくその余裕面を崩せたなと思いつつ、ヴェンは笑ってみせる。
「通りすがりの鬼熊がやったって言ったら信じるかい?」
「そちらの方が、まだ信じられますね」
そう言う青年の声は震えているその中には確かに恐怖の色があったのだけれど、それ以外の感情も混ざっているようにヴェンには感じられた。
「なら、そういうことだ」
それに首を傾げながらも、言葉を続けるヴェン。
「……そう、鬼熊には気を付けた方がいい。我慢出来ないことがあると、暴れ出すんだ」
――こんな風に、ね。
言って、ヴェンは剣鉈を一振りする。言葉の意味を、この場に居る誰もが恐怖と共に理解させられるのだった。