17.決着
「大地の神、ガイアよ、偉大なる者よ! 鉄を打つが如く、怨敵を討つ力を我らに貸し与え給え。大いなる鉄槌の力を――『岩槌(テッラ・マレウス』!」
ドワーフ達の詠唱によって岩食みの周囲から岩の石柱が幾つも生み出され、凄まじい速度で牙を剥く。常人なら一発掠っただけでも身体を抉り取られるであろう威力を秘めた石柱が、無数に。
強いて難点を上げるなら、相手は並でも、人間でもないことだ。
術は岩食みに直撃するも、硬い甲殻を砕くことすらかなわない。しかし、ヴェンが与えた傷に響いたのだろう。幾度目かの絶叫と共に、動きが鈍る。
「まったく、頑丈なことで」
ま、そりゃ俺も大概かね、とヴェンは笑う。二本の剣を翼のように大きく構えると、痛む身体に鞭を打って駆け出した。一ラウンド目は、俺の判定負け。二ラウンド目は、まあ、俺の判定勝ちでいいだろう。一対多なのは目を瞑ってもらって。そうヴェンは心の中で呟いて、さあ、と口を開く。
「最終ラウンドだ。踊って貰うぞ!」
ヴェンは四方八方から突き出した石柱に動きを止められた岩食みの口の中へと飛び込んだ。鋭い歯が並ぶが、鬼熊の皮で作られたブーツはその牙を通さない。これもヴェンの手製であるため、作りは雑だが、素材がいい。十分な耐久力を持っていた。
――オーケー。転けなきゃ平気だな。
大振りなナイフのような歯が並び、常にぐねぐねと動く内壁でバランスを取るのは中々厳しいものがあるが、今はドワーフ達の術で動きが封じられている。好機だった。
「よっ、ほっ、とっ……とアスレチックとしちゃ上等だ」
ワンパターンなのは玉に瑕だが、運動にはなるし、スリルは十分。いつ急に動き出すか分からない危機感が客を退屈させない。入場料が命である以外は中々悪くないんじゃないか、とヴェンはつまらないことを言いながら進む。
口、というよりも腹の中だというのに、まだ歯が生えているのを見ると、ますますどんな身体のつくりをしているのやら、とぼやくヴェン。
段々と狭くなって来る体内。屈まなければ上の歯が頭に当たるようになったあたりで、ヴェンはそろそろかなと立ち止まった。耳を澄ませば、小さく、しかし確かにどくん、どくんと心音が聞こえて来る。
「さて……」
ヴェンが音の出処を探ろうと集中しようとした瞬間、ドワーフ達の術による拘束を破ったのだろう。岩食みの体内が大きく揺れ、波打った。
ヴェンは舌打ち一つ、草を薙ぐような形で岩食み《アース・イーター》の歯へと両の剣を振るう。頑丈なのはいいが、鈍らな剣鉈とは違い、驚く程容易く剣は歯を切り裂いてみせた。斬れ味が良く、予想していたよりもずっと抵抗が少なかったせいでつんのめりかけたヴェンだったが、どうにか堪える。
切り拓い――もとい斬り拓いた安全地帯にヴェンは二本の剣を交差させるような形で突き立てた。揺れは一層激しく、天地が半ばまで逆転しかけるが、ヴェンは剣を支えにしてその場にとどまり続ける。
――これで一息つける。
突き刺した部分から噴き出した血が滑って気持ちが悪いのと、暴れ回る衝撃で全身が痛むことを除けば、中々どうして快適じゃないかとヴェンは笑う。
「……とはいえ、長居も出来ないな」
これだけ暴れ回っているとなると、外のドワーフ達も心配だ。ヴェンのように傷を負っているわけではないが、ヴェンが見る限り魔術というのは随分体力を消耗するらしい。動き回れる体力が残っているかどうか。
早いところ仕留めて仕舞わないとな、とヴェンは目を閉じ、意識を聴覚に集中する。岩の砕ける音、意味の無い絶叫、そういったものの中から、ヴェンの鋭敏な聴覚は一つの音を拾い上げる。
――ドクン、ドクン。
心音。俺のじゃないよな、と念のため胸に手を当てるヴェン。聞き取ったそれとはずれた感触に、オーケー、とヴェンは満足気に笑うと、心音のする方向へと視線を投げた。
上方、別の場所と変わらず歯に覆われた場所。
確実を期すならあの場所まで飛び上がり、歯を斬り裂き、その上で剣を突き立てるべきなのだが、生憎とヴェンの体力も残り少ない。
ちと分は悪いが、とヴェンは腰に差した剣の内一本を引き抜いて、肩の上に構える。左手一本で突き立てた剣に掴まった、態勢の定まらない状態での投擲。その上、大凡の位置しか分からない。
――チャンスは最大四回、か。
腰の剣二本に、突き刺して支えにしている剣二本。ただ、四本目を投げる時には支えもなくなるのだ。暴れ回る岩食みの体内で、支えもなしに投擲を成功させるのはほぼ不可能だといっていい。実質、三回と考えた方がいいだろう。
さあて、まず第一投。
痛む身体に無理を言って全身の筋肉を引き絞る。揺れが穏やかになった一瞬を捉え、ヴェンは腕を振り抜いた。空を切り裂いて進む剣。それは、ヴェンの身体を弓とし、剣を矢にした射撃であった。
凄まじい速度と威力を秘めた剣は、僅かに狙いが逸れて岩食み《アース・イーター》の歯に当たってしまう。ドワーフ製の斬れ味のいい刃にヴェンの膂力が乗った一閃は、岩食み《アース・イーター》の歯を斬り裂き、目標のやや右に突き刺さる。
――外れたか。
痛みに激しく暴れ回っているのだろう。激しい揺れに、ヴェンは突き立てた剣にしがみつく。チャンスは、あと三回。揺れが僅かに収まったのを見計らって、ヴェンは二本目の剣を構えて、第一投目と同じように投げ放つ。
――やべ、少し目が霞みやがる。
血を流し過ぎたせいか、投げる瞬間、揺らぐ視界。正確に投げられる筈もなく、今度は狙いのやや左に突き刺さった。眩暈と、岩食み《アース・イーター》が暴れることによる揺れ。その二つが合わさって、ヴェンの瞳が映す世界では地面が近付いて来たり遠退いたりと忙しい。
「……こりゃ、まずいかな」
ドロドロに溶けた視界の中で剣を投げて当てるなんて不可能だろうから、とヴェンは息を吐く。当てずっぽうに投げて当たる可能性はゼロではないが、望みは薄い。
――残念だが、ここが退き時だろう。
これ以上は逃げる体力も失ってしまいかねない。一応、重要な臓器の近くに傷を負わせたのだから、あわよくば岩食みも逃げてくれるといいんだけど、とヴェンは呟く。
次に揺れが収まったら尻尾巻かせてもらおう、と決めたヴェン。大きな揺れは段々と収まっていき、遂には動かなくなる。
――今だっ。
残る力の全てを込めて、足を蹴り出す。ヴェンの身体は弾丸のように真っ直ぐ進んで行き、一呼吸の後には生臭くない新鮮な空気を肺に取り込んでいた。
腹から口ってことは、吐瀉物的なものになって出てきたようなもんかね、と考えたヴェンは、我ながら下らなさ過ぎるなと笑う。口にする気にもならないというものだ。
受け身も取れずに勢いのまま転がるヴェン。ただでさえ出血と返り血、岩食みの体液で酷い有様だったにもかかわらず、地面を転がった為、体液で濡れた身体に土やら礫やらが張り付いて見るに耐えない状態になっていた。
「おい、無事か!?」
「……悪い、しくじった。逃げ……ないんだったな。岩食みが逃げてくれることを祈ってくれ」
俺も祈るくらいはするからさ、と言うヴェンに、何を言っとるんだと、族長はヴェンを抱き起こした。
「お主が仕留めたのだろうが」
「……え、あれ死んでたのか」
そういや、揺れが収まった後、殆ど動いてなかったような気もするなとヴェンは岩食みに視線を向ける。確かに地に伏したままピクリとも動かない様からは生気を感じず、ヴェンの直感も戦いが終わったことを告げていた。
感覚的に心臓部に直撃はしなかった筈だが、と思った後、冷静に考えれば、心臓周辺の血管なんて傷付いたらまずいものばかりじゃないかとヴェンは自分の間抜けさに呆れの吐息を漏らす。心臓周辺に二箇所も深い傷を負わされれば、いかに頑丈な魔獣といえど、生きてはいられない筈で。
そうなると、焦っていたのがバカらしくなって、ヴェンは大きく溜息を吐きながら疲れた様子で首を振る。身体が疲れているというのに気疲れまでさせてくるのだから岩食みは強敵である上に、ヴェンとの相性は最悪だったと言えるだろう。
「はぁ……まったく、締まらないな。ま、俺らしいっちゃ俺らしいかね」
ぼやきながら立ち上がるヴェン。
「無茶はしない方が良いと思うがのう?」
「死にやしないさ」
本来なら「男の腕に抱かれる趣味もないんでね」とでも言うところだが、酷い格好の自分を案じて汚れることを厭わずしてくれた好意に減らず口を叩くのも如何なものかと思ったから。
フラフラと今ひとつおぼつかない足取りで、ヴェンは岩食みに近付いていく。今度は急に動き出したりしてくれるなよと念じながら、その身体をよじ登る。普段なら一跳びだってのに、と愚痴をこぼしながら、ヴェンはどうにか目的の場所まで辿り着いた。
「はぁ、はぁ……やれ、ぱっと見、大丈夫そうだな」
鈍い赤の輝きを見て、ヴェンは安心した様子で呟いた。剣鉈の柄にはぱっと見たところ傷らしい傷もない様子だったからだ。
――いい加減これも滅茶苦茶だな。
おそらく、何度も何度も岩に叩きつけられた筈だというのに、傷一つないというのはおかしな話だ。並の武器ならまず折れているだろう。だというのに、無傷。
――ドワーフ族ってのは、鍛治に長けてるって話だ。
この奇妙な武器についても何か聞けるかもしれないな、と思いながら、ヴェンは深々と突き刺さった剣鉈の柄に手をかける。元々そこそこ深く刺さっていたというのに、岩食みが暴れた時に、釘の頭を打たれるような要領で更に深々と埋まってしまったらしい。
弱ったヴェンの力では中々抜くことが出来ず、こうなりゃヤケだと一端力を緩めた後、全身の力を余さず吐き出す覚悟で剣鉈の柄を引く。全身に痛みが走った。
一瞬の抵抗の後、何の弾みか剣鉈はあっさりと抜けた――抜けてしまった。すると、全力を込めていたヴェンはどうなるか。
「げっ……のああっ」
間の抜けた悲鳴と共にバランスを崩して岩食みの身体から転がり落ちたヴェンは、態勢を整えることも出来ずに頭から落ちることになる。
「あがっ……」
頭を打ち付け、ヴェンの意識が身体の外に吹き飛んでいく。消え行く意識の中――
――やっぱり、締まらねぇなあ……。
溜息のように、思うのだった。