13.ファティア
「……割とへこむな」
化物とは逆方向にひた走ったヴェンは座り込み、空になった鞘を見て、溜息と共に言葉を吐き出す。咄嗟の判断としては上出来だったとは思うのだが、父の形見だ。武器である以上、失われることは考えていたが、いざ失ってみると胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感がある。
取り戻したいとは思うのだが、かなり深々とあの怪物の頭に突き刺さってしまっている。戦闘中にあれを引き抜くのは難しい。となるとあの怪物を倒さなければならないわけだが、その為の武器が無い。
ヴェンの感覚は鬼熊よりは格下だと判じていたが、相性というものがある。ヴェンと鬼熊の相性は比較的良く、岩の怪物との相性は最悪に近いのだ。斬ったり突いたりで死んでくれるなら幾らでもやり様はあるのだが、あの岩の身体がそれでどうこう出来るとは考え辛い。
そうなるとヴェンが思いつく手段はプロジェクト一寸法師――要は口に飛び込んで腹の中から攻略法する、といったところなのだが、これも難しいだろうとヴェンは溜息を吐く。
目や鼻がぱっと見確認出来ず、頭部の先端に食虫植物のような口がぽっかりと穴を広げている。食虫植物と違うのは、その口の中が細かい歯にびっしりと覆われていることだ。察するにその口で岩盤を掘り抜いていたのだろう。弓で口の中を狙う案はこの口の構造によって断念せざるを得なかった。
いかにヴェンが頑丈でも、削岩機に飛び込んで無事で済む自信はなかった。幸い動きは遅く、逃げに徹すればまず追いつかれないのが救いではあったが。
「しかも、かなり硬いんだよな」
単に岩だという以上にあの怪物の身体は硬い。普通の岩であればヴェンは素手で砕けるのだ。にもかかわらず、凄まじい加速度で放たれた飛び蹴りは、奴の身体に僅かに罅を入れるにとどまった。
負けることは無いだろうが、勝つこともまた難しいというのがヴェンの評価である。
しかも、鬼熊と違ってどうやら人を襲うらしいとヴェンは地面に寝かせた少女に視線を落とす。鬼熊はこちらから手を出さない限り襲って来ない魔獣である。
それ故、ヴェンも余程村の財政面に不安がある時以外は狩らないようにしている。尤も、死の危険を考えて手を出しづらいという面もあるのだが、ともあれ。
あの野槌モドキはこの少女を襲っていた。原因は分からない為、もしかすると少女の方から手を出して、あの魔獣は温厚な可能性もあるが、しかし。
――あれは、多分狩らないと不味いな。
仮にあの怪物が温厚な性質だったとしても、あの巨体で地面の中を動き回られては何時何処で地崩れが起きてもおかしくはないのだ。
「どうしたもんかね」
剣鉈のこともあり、どうにかあの野槌モドキを倒してしまいたいところなのだが、ヴェンには方法が思いつかない。せめてあれに通用するような得物があれば別なのだが、ヴェンの腕力に耐え得る得物などそうそう無いだろうから。
「う〜ん……」
「おっと、眠り姫のお目覚めか」
まあ、お姫様っていう感じでもないけどな、とヴェンは疲れたように言う。可愛らしい女の子だとは思うのだが、おしとやかというよりは、活発な印象を受ける。
ついでに言えば、ヴェンの好みからも外れている。ちなみに、ヴェンの好みは黒髪で、気立てとスタイルの良い幼馴染である。特定の人物が好みのど真ん中――というよりは、特定の人物が好みになったという方が近いだろうが。
「何処か痛む所はあるか?」
「……あー、大丈夫大丈夫。アタシ頑丈さは凄ぇからさ」
一瞬驚いたように目を瞬かせた少女だったが、ヴェンが友好的な態度を取ったからか、はたまた寝惚けているのか、あっさりと言葉を返して来る。男勝りというか、少年のような口調だなとヴェンは思いつつ、これなら話もすんなり聞けそうだと安堵した瞬間――
「って、お前人間じゃねーか!」
――耳に痛い程の大きさで少女が声を上げた。
どうやら後者だったらしいなと思いつつ、ヴェンは耳を塞ぐポーズをしながら口を開く。
「正真正銘人間。文句があっても作られて十七年も経ってるんだ。保証期間は終わってるよ」
電化製品じゃあないけどさ、とヴェンは言いつつ、少女に改めて視線を向ける。胸から腹まで大平原が広がっている。露出の多い褐色の肌は瑞々しく健康的。銀にも見える白の頭髪は見ようによっては幻想的にも捉えられる。少女の性格がそう思わせはしないが。
背の丈は低い。ヴェンと比して頭二つ分は小さいだろう。茶色の大きな瞳で睨み付けてくる様は小動物のようで、ヴェンは思わず笑ってしまった。
「何わけのわかんねーこと言って……って、何で笑ってんだ!」
「何だろうな、この、リスに睨まれてるような感覚」
敵意を向けられているにもかかわらず、気が緩む。爪牙を持たない小動物が威嚇して来るような感覚だ。実に微笑ましかった。
「てめぇ……」
「オーライ、巫山戯過ぎたよ。それで、尖ったお耳のお嬢さんは何だってあんな場所で遊んでたんだ?」
ヴェンは言いながら少女の人間のそれよりも僅かに尖った耳を見つめる。僅かな差であるため、今までヴェンは特徴的だな、という程度にしか思っていなかったのだが、少女の言葉から察するにこの少女は人間ではないらしい。
となると、出立前にキールから聞いた――
「お嬢さんじゃねぇ! アタシはオブシディアン氏族のファティアだ!」
「――ドワーフって奴じゃないのか?」
オブシディアンって言うのな、キールの奴適当なこと言いやがって、とぼやくヴェン。
「そうだ。誇り高きドワーフの一族だ!」
どうだ、凄いだろうとばかりに薄い胸を張る少女――ファティア。やっぱりキールの言ったことは適当だったな。最初っから信じてたよ、と心の中で掌を返すヴェン。名乗られたなら、返さないとな、とヴェンは口を開く。
「俺は、ヴェンリット。タテノ村で猟師をやってる」
よろしくな、と差し出した手は、誰が宜しくなんてしてやるかっ、とファティアに叩かれた。
「おいおい、随分トゲトゲしてるな……というか手、大丈夫か?」
手首を抑えて涙目になっているファティアを見て、文句の一つも言おうかと思ったヴェンは、思わず少女を案ずるような言葉を口にしていた。素手で岩をも砕くヴェンの肉体はそのまま武器になるような代物だ。かなりの勢いで叩いたファティアの手は、さぞかし痛かったことだろう。
「……何だ、お前の手……何で出来てんだよぉ」
「筋肉だ。あと骨」
涙目で、声まで涙ぐんでいるファティアに、ヴェンはあっさり返す。
「ンな訳あるかぁ! 折れるかと思ったぞ」
「……鍛え方が足りてないんでない?」
「お前が異常なだけだ!」
そりゃごもっともで、とヴェンは肩を竦め、その後今までの戯けた仮面を一瞬で脱ぎ捨てるとファティアと視線を重ねた。まあ、茶番はこの辺にしておいて、と前に置いてヴェンは真剣な声音で喉を震わせる。
「さっきの化物は何なんだ? 悪いけど、俺には学が無くてね。良ければ教えて欲しいんだけど」
「化物って……あれっ?」
ファティアは少し考えるように目をつぶった後、先程までとは違う種類の視線をヴェンに向けて来た。
「あのさ……それって岩のミミズみたいな奴?」
「ああ。地面を耕すっていうよりは、食い散らかしているような奴だったけどな」
あいつが居れば農家の仕事はさぞ楽になるだろうさ、何せ耕す畑が無くなるんだからさ、と冗談めかして言ってみるヴェンだったが、ファティアは少し俯いて今ひとつ反応が悪い。
「その、なんだ、あのさ……」
「お、おう」
先程までの調子は何処へ行ってしまったのか、少女は妙に緊張した様子で口を開いた。その緊張が移ってしまったようで、ヴェンまで妙に固い調子になってしまう。
「……もしかしてアタシ、お前に助けられた、とか?」
「まあ、一応そうなるのかね。別に気にしなくてもいい。こんな場所で通りすがりってのも妙な話だが、通りすがりの気紛れって奴だ」
幸運だったと思っておけばいいんだよ、と何の気負いも無く言うヴェン。この言葉はヴェンの心からのもので、偽りはない。助ける助けないを選択する自由はあった。それを勝手に首を突っ込んで、結果的に助けただけなのだから。
「そういうわけにもいかねぇだろ」
「俺は気にしないけどな……」
「アタシが気にするんだよ!」
なら、好きにすればいいさ、とヴェンは笑う。自分が身勝手に振る舞うように、誰にだって好き勝手に振る舞う権利はあるのだから、と。尤も、自分で責任を取れる範囲で、ではあるが。度が過ぎれば徴税官のようになってしまう。大方、今頃晒し首にでもなっていることだろうから。
「なら、まず悪かった。助けて貰ったのに、色々言っちまってさ」
「ああ。気にしてないよ」
基本的に、ヴェンは自分が何か言われる分には無頓着だ。これが村の人々を罵倒するような言葉を吐いていれば、燃え盛る炎のような怒気を発しただろうが。
「命を救って貰ったんだ。アタシに出来ることなら何でもするよ」
何かして欲しいことはあるか、と言うファティアに、ヴェンはそうだな、と考え込む。別段見返りを求めてやったことではないが、この状況は非常に幸運だと言えた。
「まず、あの化物の情報が欲しい。後、ドワーフ族……オブシディアン氏族、だったか。その代表者と会いたいってのは可能か?」
「岩食み……あのミミズ野郎な。あいつのことを教えるのは問題ないな。族長に会わせるのは……難しいかもしれない」
頑張って説得はしてみるけどよ、と言うファティアに、それで十分過ぎるとヴェンは笑った。ドワーフと交渉出来れば儲け物だが、キールから頼まれた最低限の情報収集は終えているのだ。あの野槌モドキ――岩食みさえ狩って剣鉈を取り戻せればプラマイゼロになるのだから。
他には特にない、と言おうとしたヴェンの腹が大きく声を上げた。そういえば夕飯は食べてなかったなとヴェンは思い、もう一つ追加で、と口を開いた。
「美味い飯、食わせてくれるかい?」
「アハハッ、ああ、とびっきりのを食わせてやるよ」
ヴェンの言葉に一瞬呆気に取られたようなファティアだったが、その後カラカラと笑って応えた。薄暗い地下であったが、その場に流れる雰囲気は真昼のように明るく暖かいものであった。