12.鉱山地下
――やっぱり妙な感じがするな。
キールに頼まれた情報収集を五日程で終わらせたヴェンは、深夜、鉱山の中に忍び込んでいた。アルマ領を巡り情報収集をする中で、ヴェンは度々妙な胸騒ぎを感じることがあり、それがどうにも気になったからだ。
言葉にするのは難しいのだが、弱い電流が流されるような感覚とでも言えば良いだろうか。その度に身体が戦闘態勢に切り替わるものだから、ヴェンとしてはたまったものではない。
少なくとも、ヴェンが警戒しなければならない程の『何か』が居るらしいことは確かで。それこそ、下手をすれば鬼熊に比肩するような存在となれば放ってもおけない。あれに近い強さの相手に不意を打たれ、無事に切り抜けられると考えられるほど、ヴェンは自分の実力を過信してはいない。
とりあえず、『何か』の正体くらいは掴んでおこうと考えたのである。どうせすぐに戻ったところで、キールは村を巡って説得行脚をしてるだろうから、報告も出来ないだろう。そう考えたヴェンはこうして鉱山に忍び込んでいるわけだ。
――鉱山に何かいるのは、間違いない。
ヴェンが妙な感覚を得たのは主に鉱山周辺だった。その時は後のことも考えて奥深くまで潜るようなことはしなかったが、今回は違う。情報収集を終えている以上、アルマ領を離れても何ら問題はないのだ。逃走を選択肢に入れられるのなら、多少の無茶は許容出来る。
鬼が出るか蛇が出るか。
とはいえ、碌に食べ物のない鉱山に生き物が住み着いているというのは考え辛くはあるのだが。
「……行き止まり、か」
ずんずんと無遠慮に坑道を奥へ奥へと進んで来たヴェンだったが、あっさりと坑道の最奥まで辿り着いてしまい、どうしたものかと立ち止まる。
途中、坑道は幾つも枝分かれしていたが、ここが一番深く、感覚も強い。しかし、ヴェンがいかに非常識な力を持っているとはいえ、坑道を掘り進むのは悠長が過ぎる。
――この先。というか、下か。
むず痒い電流にも似た違和感。その源が下の方にあることをヴェンは感じ取っていた。
「そうは言ってもな……」
道がないしな、とヴェンは足下をコツコツと蹴って――
「これは……?」
――足に伝わって来る感覚に違和感を感じた。
それは僅かな違和感だったが、音が他の部分よりも響くようにヴェンは感じたのだった。それはつまり、下に空洞があるということで。その事実は、ヴェンにちょっとした気紛れを起こさせるには十分だった。
――少し、掘ってみるか。
力任せに殴り付ければ打ち抜けるだろうが、下手をすれば坑道そのものが崩れかねない。幸い、工具も放置されているため、やってやれないことはないだろうとヴェンは思った。
壁に立て掛けてあったツルハシを振り上げると、一歩下がってからヴェンは足元の岩盤目掛けて力任せに振り下ろす。この時、ヴェンは前世含め始めてツルハシを握った。そのためだろう。少し楽しくなって妙に気合が入ってしまったのだ。
殴るよりは触れる面積が少ない分マシだったが、それでも人間離れしたヴェンの腕力に、下に空洞があって弱っていた岩盤はあっさりと音を上げてしまう。
「げっ」
我ながら阿呆過ぎるだろうとヴェンは自分に呆れつつ、壁にツルハシを突き立てて落下を防ごうとして――ツルハシが折れていることに気が付いた。冷や汗がどっと浮かぶ。
――ちと、脆過ぎない?
品質管理がなってないんじゃないか、と冗談言いつつ、崩れた岩盤と共に落ちて行く。暗くてよく見えなかったが、幸いにして落下はそう長くは続かず、五メートル程落ちたところでヴェンの足裏が地面を掴んだ。
「何だ、ここ」
ヴェンは目を凝らして暗闇を見透かそうとする。持って来ていた松明が落下の際に消えてしまったこともあって、暫くはただ暗闇が広がっているだけだったが、ヴェンの高性能な肉体は殆ど光源の無い暗闇に適応して見せた。
当然、一切光源が無ければいかにヴェンが人間離れしているとはいえ暗闇で視界を得ることは不可能だ。岩壁の一部が淡く光っているのである。おそらくこちらの世界にしか存在しない鉱石の類なのだろうとあたりを付けて、ヴェンは周囲を見渡した。
高さ、幅共に五メートル程。その空洞が均一な幅で続いている。それも、かなりの距離を。少なくともヴェンに確認出来る数百メートルは続いているし、おそらくは、その先も。
――空洞っていうよりも、通路だな。
均一に続く空間を見て、ヴェンは思う。最初はキールから聞いたドワーフが作ったのかと考えたヴェンだったが、すぐさまそれを否定する。ドワーフという種族が三メートル以上の巨漢ならともあれ、そうでなければこの通路は広過ぎる。
これほどの空間を作ってしまえば、岩盤が弱くなり、崩れる可能性も高くなる。自虐趣味でもない限りそんな無謀な造りにはしないだろう。この通路を作った存在にとって、この広さは必須のものであり、かつ崩落を恐れる必要がないのだろう。
――嫌な予感がしてきた。
この空間に落ちてから、ヴェンの身体は常に戦闘態勢を維持していた。説明するのは難しいが、ヴェンの本能がそうさせたのだ。先ほどまで感じていた違和感は危機感となってヴェンに襲い掛かる。
ヴェンにとって馴染みのあるこの感覚は、常に鬼熊と共にあるものだった。それを今確かに感じているのだ。言語化出来ない経験と五感が虫の知らせとなってヴェンに危険を感じ取らせている。
――こりゃ、戻った方が良さそうだ。
慣れ親しんだ、ホームグラウンドとも言える森であるならばともかく、ここは見知らぬ場所で、その上慣れない環境。鬼熊クラスを相手取るのはさしものヴェンも遠慮したかった。
「ギャーッ」
「あー、そういう訳にもいかない訳ね」
普通なら聞き取れないような音だったが、ヴェンの鋭敏な感覚は洞窟に反響したそれを確かに感じ取ったのだった。ヴェンイヤーは地獄耳、と軽口を叩きつつ、ヴェンは駆け出す。
――ありゃ、悲鳴だった。
暗い視界、瓦礫の転がる悪路。そういった悪条件をヴェンはものともしない。暗闇は容易く見通し、瓦礫があれば踏み砕く。地上のそれと遜色ない動きでヴェンは地下に作られた道を往く。空洞の道がかなり急に下っていることもあって、駆けるというよりは半ば落下に近い。
飛ぶように数百メートルを駆け抜け、緩やかに曲がる通路の先を見たヴェンは焦りで表情を歪ませる。駆けながらも滑らかな動きで腰から剣鉈を取り出すと、父の形見でもあるそれを、何の躊躇いもなく投擲した。
速度を落とさぬままに投擲を行ったせいでヴェンはバランスを崩し、前方に一回転してしまうも、腕で身体を跳ね上げて見事に疾走の体勢に戻ってみせた。
――十点満点……って、そんな場合じゃない。
縦に回転しながら、空を切り裂く剣鉈。
その斬れ味はお察しだが、ヴェンの凄まじい腕力と全身のバネによって投げ放たれたそれは、人間の頭蓋であれば容易く砕いて見せるだろう。それだけの威力が投げられた剣鉈には宿っている。
剣鉈を追うように、ヴェンは駆ける。
――間に合ってくれよ。
ヴェンの視線の先には、開けた空間がある。天然のものか、作られたものかは分からなかったが、幅三十メートルはありそうな大空洞だ。高さもヴェンの目算で十メートル近い。
その空間のおおよそ半分が見たこともない化物――おそらくは、魔獣なのだろうが――によって占められている。巨大な蛇、或いは蚯蚓とでも言えばいいのか。
細長いとは言ってもその実体の太さは三メートル以上はあるのだが、ともあれその細長い身体は生物と言うには不自然さを覚える程無機質だ。
甲殻に覆われた鎧猪あたりも大概だが、眼前の魔獣はその上を行く。何せ、全身が岩に覆われているのだ。どのような生態からあんな生き物が生まれるのかヴェンには想像もつかない。
全長はとぐろを巻いているため分からないが、間違いなく長大だ。鬼熊が小柄に思える程の圧倒的な巨躯。そんな化物の、おそらくは頭部であろう部位目掛けてヴェンが放った剣鉈は、ヴェンの想像に反して深々と突き立った。
――ボオォォォォッ!
地下道に化物の悲鳴のような音が響き渡る。鼓膜が破れるわ、クソッタレと悪態をつきつつ、ヴェンは駆ける勢いそのままに化物に飛び蹴りをくれてやる。
「痛ってぇっ」
凄まじい勢いもあって、巨体の化物も横倒しに崩れた。当然その衝撃は蹴った側のヴェンにも伝わるわけで、ヴェンの足先から頭の天辺まで衝撃が貫いた。
「頭硬過ぎだろっ。そういう奴は嫌われるぞ! 少なくとも俺は大っ嫌いだ。畜生!」
文句を言いながらぴょんぴょんと右足を抱えて跳びはねるヴェンには余裕があるように見えて、その実一杯一杯である。衝撃のせいで身体は痺れがあるし、武器は失った。尤も、剣鉈が手元にあったところであの巨体に有効な攻撃が出来るのかと問われれば怪しくはあるのだが。
現に、深々と剣鉈が突き立っているというのに、化物は既にみを起こそうともがいている。
――元気一杯ですってか。勘弁して欲しいね。
溜息混じりにヴェンは最大の不安要素である存在に視線を落とす。おそらくは、ヴェンをここに呼び寄せた悲鳴の主なのだろう。先程の化物の絶叫で意識を失ってしまったらしい。
それは、少女だった。
酷く小柄で、一切無駄な肉が付いていない――胸も含め――肉体。浅黒い肌に、白い頭髪。顔もぱっと見整っていて、美少女だと言っても良いだろう。しかし、現状それをゆっくり鑑賞している余裕などヴェンにありはしない。
横抱きで少女を抱えると、ヴェンはそのまま踵を返して逃げ出した。身体が痺れ、少女を抱えた状態でありながら、危機感に背を押されているせいか中々の快速である。
「そいつは少し預けといてやるよ!」
大事なもんだから借りパクとかしないでくれよな、とヴェンは化物に捨て台詞を吐きながらチラリと後ろを振り返る。赤銅色に輝く柄に、心の内で御免と謝りながら、ヴェンは足を動かし続けるのだった。