11.アルマ領へ
「……最近、走ってばっかりだ」
サメやマグロじゃないんだ。止まったら死ぬわけでもないのに、いい加減動き過ぎたとヴェンはぼやく。人が動くと書いて働く。なら俺は働き過ぎだって話だ、とぼやき続けるヴェンだったが――
――止めよう。軽口も聞いてくれる人が居なきゃ何の慰めにもならない。
虚しくなってきたヴェンは溜息を吐き、無心に足を動かし続ける。体力的には大して疲れもしないのだが、精神的な疲れは大きい。大体、一人でってのが精神衛生上よろしくないんだよ、と心の中で文句を垂れ流しながら、ヴェンはこうなった原因を思うのだった。
■ □ ■ □
「労働基準法をぶっちぎり過ぎじゃないか、おい」
キールの頼みを聞いたヴェンの第一声。尤も、日本ではないどころか世界が異なっているわけで、その言葉には軽口以上の価値はないのだが。
「基本的人権も無い世界ですからね」
おそらくですが、人権の類が規定されているかどうかも怪しいと思いますよと言うキール。領主が領民に課している重税を思えば、その予想は正しいだろうとヴェンは頷き、しかし口を開く。
「そりゃごもっとも。ただ、文句くらい言ったって良いだろうが」
「幾らでもどうぞ。無理を言っている自覚はありますから」
そう返して来るキールに、ヴェンは止めた、と溜息混じりに言って、続ける。
「開き直ってる奴に文句言っても仕方ないだろうが……はぁ、それで? 何がどうして俺はそれをしなくちゃならないんだ?」
理由も分からずってのはやる気が出ないし、大体何をすれば良いんだかも分かりゃしないからな、と言うヴェン。キールは勿論ですと前に置いた上で口を開く。
「まず、貴方はアルマ領を知っていますか?」
「名前だけは、な。ウチの領のお隣さんだろ」
ヴェン達の領、ルガール領の隣にある領地。ただし、隣といいつつ森を挟んでおり、まともな道は繋がっていないため、交流は殆どない。そのため、ヴェンはアルマ領の内情についてまるきり無知であった。
「ええ。アルマ領はうちとは違ってまともな産業――鉱山の採掘があります」
「そりゃ羨ましい……のか?」
普通なら羨んでも良いのだろうが、上が腐っていれば話は別。鉱山の採掘には危険も多いことだろうし、まともな安全管理が出来ていなければ死の危険は大きい。
そして、危険に曝されるのは常に立場の弱い人間だ。
「見る地獄の種類が違うだけでしょうね」
「ああ、そう」
嫌だね全く、とヴェンは溜息を吐いた。この辺りにはまともな領主が居ないのかよと思い、そんな領主が居れば移り住んでいるか、と更に深く息を吐き出す。
「それで、何だって俺はそのアルマ領に行かなくちゃならないんだ?」
地獄仲間にご挨拶ってわけじゃないだろう、とヴェンは言う。キールに呼び付けられたヴェンが言われたのは、アルマ領に向かってくれという指示である。
直線距離こそ近いが森を挟んでいることと、丸一日も休めず次の仕事を言い渡すキールの鬼畜ぶりにヴェンは文句を言っていたわけである。
「理由は幾つかありますが、端的に言えばアルマ領を落とす足掛かりを作って来てほしいのです」
「……とりあえず、詳細を聞こうか」
文句は詳しい話を聞いてからにする、とヴェンは疲れた声で言う。正直、ヴェンにはこの時点でキールに上手いこと丸め込まれる結果が見えた。
ヴェンは、あまり頭がいい方ではない。前世よりも間違いなく悪くなっているという自覚すらある。
――頭、使わないからなぁ。
狩りの時、罠や追い込み方などに思考を巡らせることはあるが、それも半ば経験則からくる感覚任せの部分が大きい。
物心ついた頃は弓や剣鉈の扱いを学んだり、農作業の手伝いをしてばかりいた。少し成長すると、今度は連日父の狩りに同行していた。魔獣の生態や野草の効能など知識を蓄えることこそすれ、頭を使う機会など殆どなかったのだ。
当然、使わない能力は劣化していく。
結果、ヴェンの頭の出来は良いとは言えないものになっていた。
「我々は、国が介入して来る前にできる限り反乱の規模を大きくしなければなりません」
「そうだな。次が隣のアルマ領だってのも納得はいく。だが、足掛かりってのは何だ? 俺一人で何をしろって話だよ」
そんな頭の良くないヴェンでも、アルマ領を次に落とさなければならないことは分かる。分かるのだが、足掛かりを作るといってもどうすればいいのか分からない。大体、と前に置いて、ヴェンは続ける。
「ルガール領は大丈夫なのかよ。領内の村を説得しなくちゃならないんだろ?」
「ええ。そちらは僕が周りますよ」
正直、移動を思うだけで気が重いんですが、と言うキールをヴェンは俺と代わるかい、と言ってからかう。農作業等で身体を動かしているだろうに、体質的に筋肉が付きづらいのだろう。もやし青年のキールがヴェンと同じことをしようものなら、無事で済む筈がない。
尤も、それは常人でも同じことではあるが。
「勘弁して下さい……おっと、話が逸れましたね」
「ああ。下準備って奴のこと、教えて貰わないとな」
それでやるかやらないかを決めるからさ、と言うヴェンに、キールはきっと行きたくなりますよ、と笑う。
「まさか。納得するならともかく行きたくなるって何だよ」
行ったらこの世の楽園があるってんなら話は別だけど、あるのは似たり寄ったりの地獄だろ。そう肩を竦めるヴェン。そんな態度にしかし、キールは笑みを崩さない。
「ドワーフ、という種族を知っていますか?」
「……あれか。背が低くて髭がモジャモジャで鍛治が上手いっていう奴。居るのかよ?」
「そのようですよ」
おいおい、とヴェンは溜息を吐きながら天を仰ぐ。仰いだ先にあるのが低い天井で、余計疲れが増したような気がしたヴェンは力無く首を横に振った。
「いよいよファンタジーって話だな。魔術も人間以外の種族も実在するってんだから。まあ、どっちも見たことないけどさ」
唯一、鬼熊が口から吐き出す衝撃波がそれにあたるだろうか。そも、像にも見紛うような巨体の熊はファンタジーではないのかと言われれば、ヴェンは黙る他ないのだが。
「そのドワーフがアルマ領の鉱山に身を潜めている……という噂です」
「おい、後半随分声が弱くなったぞ」
噂で人を動かそうとしてるのか、お前は、と瞳を鋭く眇め、詰め寄るヴェン。
「……これから話すことは、僕の希望的観測――というか妄想の類ですが、聞いて貰えますか?」
「構わない。後で笑いものになる覚悟は出来てるよな?」
ニヤリと笑うヴェンに、勘弁して欲しいんですけどね、とキールも苦笑いを浮かべる。
「アルマ領の鉱山は元々ドワーフ達のものでした。ところが随分前の代のアルマ領領主が鉱山を奪い取ったのです」
キールはここで一拍置いて、ヴェンの反応を見た。思いのほかしっかりと耳を傾けているヴェンの姿は、良くも悪くも素直な男だという印象をキールに与える。
――詐欺師か何かに騙されないか心配ですね。
いえ、現行僕に騙されているようなものですか。キールはそう思い、我ながら度し難いと自嘲する。尤も、ヴェンはおろか反乱が成し遂げられるその日まで、全てを欺く覚悟がキールには必要なのだが。
「ドワーフ達は当然鉱山を奪い返す為に幾度も戦いを挑みました。激しい戦いではありましたが、国が兵を出したこともあって鉱山を奪い返すことは叶わなかったそうです」
ここまでは、事実です。そう言ってキールは言葉を切った。
「それで、お前さんの妄想話はまだかい?」
愉快な奴を頼むよとヴェンは茶々を入れる。一見巫山戯ているようにしか見えない態度だったが、瞳の奥に真剣な色があるのをキールは見逃さない。
「そこで、僕は思ったんです。ドワーフ達がまだ生き残っているのなら、アルマ領を恨んでいるかもしれない。利害が一致すれば、力を貸してもらえるかもしれない、と」
「ねえよ」
ヴェンの言葉に、ですよね、とキールが笑う。
「お前が言い出したんだろうが」
「ええ、まあ、そうなんですけどね」
おいおいと呆れたように首を振るヴェンに、キールは正直に言いましょう、と言ってから続ける。
「ドワーフの件は、貴方への餌に近い。生き残りが居る可能性は高いですが、アルマ領以前に人間を恨んでいるかもしれませんし、不確定要素にばかり頼ってもいられません」
本人の前でそれを言うかよ、と疲れた様子で言うヴェンに、キールは、貴方には正直に全部話した方が効率が良さそうですから、と悪びれのない様で笑った。
「貴方にして貰いたいのは、情報収集です。貴方ほど素早く、確実に情報を持ち帰れる人は居ませんから」
アルマ領の施政や、領民の感情、地理等を。欲を言えば、さりげなく反体制の感情を煽って欲しいですねと言うキールに、無茶言うなよと溜息を零すヴェン。
「はぁ、最初からそう言ってくれれば良いだろうが」
それはそうなんですけどね、と言った上で、キールは喉を震わせる。
「或いは、万が一があるかもしれません。ドワーフの件は、宝くじを買うようなものですよ」
頭の片隅にでも入れておいて欲しかったんです、と言うキール。当たるわけないだろうが、とヴェンは苦虫を噛み潰したような表情を向けた後、だが、と口を開く。
「まともな鍛冶師が居たら、とは思うよ」
弓や矢を自作しているヴェンからすれば、信用ならない精度の武器よりもしっかりとした武器を使いたいという欲は捨てきれない。幸い、ドワーフが居なくともアルマ領は鉱山で栄えているのだ。ルガール領に比べれば冶金の技術は遥かに高い筈で。
「仕方ないから、ひとっ走り行ってくる。貸し一な」
「もう既に一生掛かっても借りが返せそうにないんですけどね」
――反乱が成功すりゃ、全部チャラにしてやるさ。
そう言い残して去って行くヴェン。その姿を見送りながら、キールは思う。
――どちらにせよ、借りは踏み倒すことになりそうですね。
反乱が成功すれば、借りはチャラになる。反乱が失敗すれば――
――自分はこの世に居ないだろうから。