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異世界戦記を猟師が行く!  作者: 矢田
辺境騒乱
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01.猟師ヴェン

 ――俺には、前世の記憶がある。


 なんて言ったら、頭がおかしくなったのかと言われるだろうな、とヴェンは溜息を吐き出す。ヴェンには生まれたその瞬間から自意識が存在していた。


 日本という国の、学生だった記憶が。


 ――まあ、俺の妄想だって言われれば、それまでだけど。


 胡蝶の夢、という言葉がある。ヴェンが前世だと思っているものは、ヴェンが見ている夢に過ぎないのかも知れない。もしくは、その逆か。


 尤も、ヴェンにとってはどうでもいいことではあったのだけれど。


 ――生まれ変わったら、もっと上手くやれる。


 誰だってそう思うだろう。何せ、前の人生の経験を引き継いでいるのだ。前より上手く出来ない理由はない。ヴェンも、初めはそう考えていた。しかしそれは――


 ――引き継いだ経験が、活かせればの話。


 ヴェンが生を受けたのは、貧しい農村だった。重税に苦しみ、一日一日を生き抜くのに精一杯。


 魔獣という生き物や、ヴェンは見たことは無いが魔術というファンタジーな技術も存在しているらしい。ヴェンの前世とは、全く異なる世界。常識の異なる世界での経験など、何の役にも立ちはしなかった。


 少しばかり人より成長は早かったけれど、それ以外は普通にこの世界に産まれた人と変わりなくヴェンは生きてきた。


 ――正直、記憶のあるデメリットの方が大きいかもな。


 この世界の人間にとっての当然は、ヴェンにとっての当然ではないのだ。日常生活一つをとっても、食事や衛生面が苦痛で仕方がなかった。重税という理不尽が納得出来なかった。


 日本の、いかに恵まれていたことか。何度となく嘆き、元の世界に戻りたいと涙を流した。


 尤も、十年経つ頃には慣れ切って、死んだように濁った目で日々を過ごすようになっていたが。


 ――ギリギリギリ。


 現実逃避を切り上げて、ヴェンは弓の弦を引き絞る。この世界の単位を未だにヴェンは知らないが、獲物は目算で百メートル程先で呑気に草を食んでいる。


 ガゼルによく似た、タバサと呼ばれる草食獣。気性は穏やかで、角や皮は使い勝手がいい。肉も美味く、ヴェンが主に狩っている獲物だった。


 ――よし、いい子だ。


 ヴェンは呼吸を整えてから、番えた矢を優しく放してやる。放たれた矢は、ヴェンが思い描いた通りの軌跡を駆け、タバサの首を横から貫いた。


「ふぅ、これで村に戻れる」


 ヴェンが狩猟のために森に入ってから、二日程経っていた。比較対象が数年前に亡くなった父しか居ないため、ヴェンは自分の腕前がどの程度のものなのかは分からないのだが、村の外を知っている村長の言を信じるなら凄腕、らしい。


 ヴェン自身、元の世界ではあり得ないような身体能力に自覚はあっても、この世界の平均が分からなければ誇れもしない。


 凄腕かどうかはともあれ、ヴェンが草食獣(タバサ)一頭を仕留めるのに日を跨ぐのは非常に珍しいかった。


 鎧猪(アーマード・ボア)や、鬼熊(オーガ・グリズリー)のような魔獣を狩る場合はまた話が違ってくるのだが。


 鎧猪(アーマード・ボア)は慎重に立ち回れば安定して狩れる相手ではあるが、鬼熊(オーガ・グリズリー)は万全の準備を整えていても厳しい狩り(たたかい)になる。数日どころか、一週間近く村に戻れなかったこともある程だ。


 ――さっさと捌いて、この場を離れないとな。


 血の臭いに惹かれて遠からず魔獣の類が寄ってくる。そうなると面倒だ。ヴェンは手早く済ませてとっとと村に戻ろう、と仕留めた獲物に向かって歩き出す。



 ――村に戻った後、魔獣よりも面倒な事態に巻き込まれていくことなど、この時のヴェンは知る由もなかった。



 ■ □ ■ □



 村に戻った時、妙に空気がざわめいているな、とヴェンは眉を潜めた。そして矛盾するような話だが、目に映る範囲に誰一人として人の姿が見えないのも気になった。


 元々、辺境の寂れた村で、住んでいる人の数など高が知れているが、それでも今は昼過ぎ。農作業に励む男衆の姿が見えていいはずなのだ。


 ――きな臭いな。


 まさか、徴税官でも来たのだろうか。まだ時期には少し早い筈なのだが、と思いつつ、ヴェンは村長の家を目指す。


 村長の家が見える位置まで来ると、ヴェンの視界に村長の家の前で睨み合っている二つの集団が目に入って来る。まだ遠いが、一つはヴェンの村の男衆。


 もう一つの集団は分からないが、こちらも全員男で、その手には農具、何人かは剣すら携えているのが分かった。


 ――徴税官、じゃないな。


 しかし、武装した集団だ。警告なしに射ってしまおうかとヴェンは思う。この距離からうち始めれば、半分以上を仕留められる自信がヴェンにはある。


 ヴェンの日本人らしい、殺人を忌避する倫理観などとっくに摩耗してしまっていた。野盗に身を落とした隣村の住人を撃ち殺したこともある。殺人に対する躊躇いは、ない。


 ヴェンは矢筒に手を伸ばし、僅かなの逡巡の後、手を引っ込めた。両者の間には緊迫した空気は、ある。


 しかし、村長と向かい合っている、おそらくは武装した集団の代表であろう人物は人の良さそうな顔をしていて、すぐさま力に訴えるとは思えなかった。


 ――とりあえず、話を聞こうか。


 ヴェンは大股で睨み合う集団へと近付いて行く。大分近付いたところで村長がヴェンの姿に気が付き、嬉しそうに笑った。さては相当な面倒事だな、とヴェンは溜息一つ肩を落とした。


「おお、よう戻ったの、ヴェン坊」


「ああ……ところで、このおっかない連中は?」


 武器なんて持ってまあ怖い、と戯けた様子で肩を竦めるヴェン。尤も、かく言うヴェンが革鎧を身に付け、狩猟用の剣鉈、弓に矢筒と一番重武装だったりするのだが。


「……隣村の男衆じゃよ」


 言う村長の様子は、酷く疲れているようで。ただでさえ高齢だというのに、余計年老いて見えた。


 隣村、隣村ね、とヴェンは独り言のように何度か呟く。同じ領地の、重税に苦しむお仲間ではあるが、この村と隣村では大分現状に差がある。ヴェンの村の方が遥かにましな状態なのだ。


 それは、他ならぬヴェンの存在によるもの。


 正確に言えば、森に入って狩りが出来る人間がいるためである。現在農作物に掛けられている税率は、想像を絶する程、重い。それこそ手元に残る収穫だけでは餓死者が出る程に。


 一部の作物だけに重税が課されているのなら他のものを作れば誤魔化しがきくが、これではそれもかなわない。


 森に囲まれているため木は豊富だが、魔獣の宝庫になっており、林業などとてもではないが成り立たない。辺境で他に産業もなく、農業が唯一の生きる道だというのに、巫山戯た税率。


 そんな中、魔獣が跋扈する森に入り、その豊かな恵みの恩恵を得ることが出来るヴェンの存在は、本当に大きなものなのだ。ヴェンの父も優れた猟師で、ヴェン以上に村に恵みをもたらしていた。


 腕利きの猟師を有するというだけではあるが、この税率の下にあって、ここ数年一人の餓死者も出していない事実がヴェンの影響力の大きさを示しているだろう。


「へぇ、そのお隣さんが雁首揃えて何の用だ? 物騒な出で立ちでさ」


 言葉の調子は軽いものの、返答次第では容赦はしない、という意思を込めてヴェンは言う。


「僕らに、協力して欲しい」


 ヴェンの問いに応えたのは、ヴェンと同じ年頃に見える青年だった。大方十代の後半から二十になるかならないか。線が細く、どうにも頼りないのだが、整った容貌は目を引くものがある。


「協力? 恫喝じゃなくて?」


 そんだけ頭数揃えて得物持って、協力だなんて笑わせるよ、とヴェンは皮肉る。ヴェンの挑発的な物言いに隣村の男達が苛立った様子でざわめくも、青年が手を挙げて抑えた。


 意外と信用されてるのな、と思うヴェン。


「大人数で押し掛けたことは、申し訳ないと思っています。武器を持ったままなのも」


「そう思うなら、アンタ一人で来れば良かったのに」


 それとも、大勢後ろに控えてなきゃお喋りも出来ない小心者かい? ヴェンは更に煽る。元々口が悪いというのもあるが、これに関しては意図して挑発している。


 襲い掛かって来られた時、敵意が全て自分に向いてくれるように。ヴェンには、隣村の男衆全員を相手に回しても勝てるという確信があった。根拠はないが、獅子が兎に負けることを疑わないのと同じように、ヴェンは確信していた。


 しかし、そうは言ったところで一度に対応できる人数には限りがある。もしも村人を人質に取られでもしたら、白旗を上げる他ないのだ。


 それ故の、この言動。


「ええ。僕は小心者ですよ。そうでなくてはならない理由もあります」


「へえ、その理由ってのを聞かせたくて、こんな大仰なことをしてるわけだ」


 御苦労なこって、とヴェンは嘲笑(ワラ)う。隣村の男衆の中でも気の短い者は今にも飛び掛かって来そうな目をしている。おお怖い怖い、と肩を竦ませるヴェン。その口調からは欠片の恐怖も感じ取れず、人を小馬鹿にするような調子であった。


「ヴェン坊」


「……分かったよ」


 村長に名を呼ばれ、ヴェンは気まずそうに頬を掻く。明確な言葉は無かったが、それこそ赤ん坊の頃から世話になっているのだ。声音だけで諌められていることは伝わった。


「それで? 何だってアンタ等大勢で押し掛けて来たんだよ。武器を持って、脅かして。食糧を分けろって話か? つい最近鎧猪(アーマード・ボア)の肉を一頭分送った筈だろ」


 そいつで足りないってのはちと贅沢だろうが、と言うヴェンに、青年は違いますよ、と首を横に振ってみせた。


「……この領の税は重過ぎると思いませんか?」


「……まあ、な」


 そう切り出した青年に、ヴェンは嫌な予感を覚えつつ、首肯を返す。


「とてもではないが、生きていけない。そうでしょう?」


「……俺が幽霊(ゴースト)に見えるって? アンタも幽霊(ゴースト)かい?」


 違うだろ、とヴェンは言う。苦しくとも、どうにか生きてはいるじゃないか、と。


「本当にそうですか? もし貴方が亡くなった時、村の人々が生きていけると本当に考えていますか」


「…………」


 青年の言葉に、ヴェンは黙り込む他無かった。自分が死んだ後、この村が干からびて行くのが易々と想像出来てしまったから。


「それが、答えです」


 獲物を追い立てるように言葉を重ねる青年に、ヴェンは舌を打つ。腹立たしい話だが、まるで反論出来ない。ヴェンよりも優れた猟師であった父も、死んだのだ。人間何時何処で、どんな形で命を落とすか分かったものではない。


「それが、どうしたってんだよ」


 生きていけねぇって泣き言吐いたところで、どうしようもないだろうが、とヴェンは言う。


「どうにか、しませんか?」


「何?」


 青年の言葉に、ヴェンは眉をピクリと上げる。正直、この先は聞きたくなかった。「どうにか」の部分が真っ当な手段であるはずがないと確信出来たから。


「私達の不満を、示してみませんか」


 青年は言葉巧みに、肝心な部分を出さぬままに場を盛り上げる。前世の知識なしなら確実に乗せられてたな、とヴェンは溜息を吐き、それと共に確信を突いた。


「……反乱でも、起こそうって腹かよ」


 もしくは、もう何かやらかした後か? とヴェンは冷めた口調で言う。青年は一瞬虚を突かれたような表情を見せるも、すぐさま取り繕って言葉を返す。


「ええ。その通りです。僕らはこの領地を解放するために立ち上がりました」


「……馬鹿か、テメェ」


 ヴェンはこの場で青年を殴り飛ばしたくなる衝動に駆られるも、ギリギリでそれを抑え込み、体内に生じた熱を排出するように、大きく深く息を吐き出した。


「反乱なんぞ上手く行く訳がない。まず、農民の集団が正規の兵士に勝てるとは思えない」


「基本的に徴兵で兵を贖っている以上、領主の私兵というのはそう多くないはずです。数は、こちらが優っています」


 ヴェンの言葉に、青年が返す。用意していた言葉なのだろう。滑らかで、説得力がある。


「……仮に、仮にだ。ここの領主を潰したとしても、結局はどうにもならない。周りの領主だって反乱は怖えんだ。成功の前例なんぞ認めない。確実に押し潰される」


「僕達の反乱が大きくなれば大きくなるほど、長引けば長引くほど喜ぶところがあります。恐らく協力が得られるでしょう」


 違う派閥の貴族や、隣国なんかね、と言う青年に、ヴェンは溜息を吐いた。これ以上突っついても無駄だと悟ったからだ。恐らく、考え得る状況に関しては、全て都合のいい回答を用意していることだろう。


 下らねえ、と負け惜しみのように吐き捨てるヴェンだったが、何より下らねえのは、と前に置いてから、心底苛立った様子で言った。


「アンタ自身が自分の言葉を少しも信じていねえことだ」


 胸糞悪ぃ、と睨んだ青年は一見平然とした表情ではあったが、その額には薄く汗が浮いていた。

 


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