あずさウルフ 其ノ貳
それからボクは、学校帰りにあの住宅街で出会った『イヌ』についての詳細を話した。錦野さんは話を聞き終えると、腕を組み自分の足下を見て何やら考え事をしている。そして全てを理解したような表情で顔をあげる。
「なるほど…ね…。まずは訂正をしておこう。東雲くんが見たというその生物は『イヌ』じゃない。種類から言えば『オオカミ』だよ」
「でも、日本に『オオカミ』ってそもそもいるんですか?…確か絶滅動物の一種じゃ…」
「東雲くん。キミ言ったよね?『自分以外の人には見えていなかった』『鏡に写らなかった』って。つまり『イヌ』か『オオカミ』かの問題はこの際どうでもいいことなんだ。でも、種類的に言えば『オオカミ』で間違いない」
そう語りながら錦野さんは机に飛び乗り、ボクの顔を見る。
「ただ、その『オオカミ』は、キミが考えている『オオカミ』とは違うって訳さ」
話についていけない。『イヌ』じゃなくて『オオカミ』。『オオカミ』じゃない『オオカミ』。………やはり理解不能だ。
「それじゃあ…ボクが見たモノはいったい何なんですか?」
「『妖怪』だよ」
「は?」
速答だった。しかし、あまりに突拍子のない返答だったため、只々驚くしかなかった。
「いや…錦野さん…何を言って…」
「東雲くん。キミは言った。『見えないものは信じない』つまり『見えるものは信じる』ってことだよね?」
「だけど…『妖怪』なんて…」
「キミだけに見える『オオカミ』。それをどう説明するんだい?目の錯覚にしても、キミはその『オオカミ』に噛みつかれた。歯形が残らず痛みだけが残ったのも、全て『妖怪』の仕業さ」
確かにボクも初めて出会った時から、この世のモノではないと思っていた。だけど、それが『妖怪』だなんて何で判るんだ。
すると錦野さんは、ポケットからカードらしきものをボクに差し出した。名刺だ。名前と職業のみが書かれたとてもシンプルなものだった。
「よう…何て読むんですか…これ?」
「『ようふつし』。つまり、妖怪をお祓いするのがボクの、『妖祓師』の仕事なのさ」
『妖怪』の存在さえもまだ信じ切れていないのに、それを祓う人まで現れ、ボクの頭は混乱する一方だった。
「これで信じてくれる?」
「……えぇ…」
ボクは、ありのままを受け止めることにした。考えるのを諦めた訳ではない。ボクは、それらを実際に見てしまった。だから信じるしかないと思った、ただそれだけだ。
「つまり『オオカミの妖怪』ってことでいいんですよね」
「ごめん、東雲くん。『妖怪』って言ってたけど、実際は『妖怪』とはちょっと違うんだ。ヤツらは『動物の姿をした妖怪』、それを妖祓師はこう呼ぶんだ。『妖化獣〈あやかし〉』ってね。だから、正式に言えば『オオカミの姿をした妖怪』だね」
またややこしくなってきた。
「具体的な名前を教えておこう」
すると机に向かい何かを書き始める。書き終えると開いてボクに見せつけた。
『透狼』
「まあ、読めるよね。『透ける狼』と書いて『とうろう』だ。そのままだね」
ここでボクは、今までの会話を総じて最大の謎を問うことにした。
「何故、ボクは『透狼』を見ることができたんですかね…?」
「そこなんだよ、東雲くん」
錦野さんは、その言葉を待っていたかのような口調で淡々と言った。
「実は『妖化獣』は、人に危害を加えるどころか、人前に出てくることは早々ないんだ。…ただ、1つだけを除けば…ね…」
「…1つ…?」
スーッと息を吐く錦野さん。
「東雲くん…」
冷たい視線を受けるボク。
「キミ…今、ハッピーかい?」
今後、ボクと錦野リリとの間で合言葉のように使われるこの言葉。それを初めて聞いた瞬間は、この時だった。
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「ハッ…ピー…?」
「そう、ハッピー。つまりキミは今、幸せかい?と聞いているんだよ」
果たして、それが『透狼』が見えたのといったい何の関係があるのかは、今のボクには全く検討がつかなかった。
「質問があまりにも大雑把すぎて…」
「…じゃあ、質問の仕方を変えよう。ご家族とは仲良しかい?」
「まあ、普通です」
「もうちょっと具体的に」
「…父母ともに仲が良いですし、妹たちとも比較的うまくいっている方だと思います」
「なるほど…家庭には異常ないと…」
異常?
「じゃあ、学校はどうかな?その制服からすると東雲くん、尚江津高校の生徒さんとお見受けするけど」
何で、尚高の制服を知ってるんだ?という質問は割愛する。
「まだ始まったばかりで、右も左も分からない感じですけど、友達も割と簡単にできて今のところは充実しています」
「そうか…。東雲くん、他に人と交流する場を持っているかい?例えば、バイトとか学習塾とかスポーツジムに通っているとか…」
「ないです」
そう答えると、錦野さんは頭を抱えた。曇った表情を浮かべている。ボクは、問いかける。
「あの、錦野さん。今までの質問は『透狼』の件と何の関係があるんですか?」
すると錦野さんは、肘を膝につけ手を組みその上に顎を乗せ、ボクの方を見て話始めた。
「いいかい、東雲くん。『妖化獣』が人前に姿を現す条件は『弱み』。ヤツらは、自分好みの『弱み』を嗅ぎつけ姿を現すんだよ。そして、東雲くん。キミの前に現れたのは『透狼』。ヤツが好む『弱み』は『怨恨』つまり「うらみ」なんだ。だから、ボクは勝手な推測で、キミが家で家庭内暴力、もしくは学校でいじめにあっているんじゃないかと思ったんだよ。…でも、宛は外れたみたいだね」
『うらみ』?そんな感情、今までの人生の中で抱いたことはない。家族、友達、学校の先生…、どれをとっても不満を言える者はない。恵まれている。逆に言えば、ボクの今までの人生は恵まれ過ぎている。ボクの周りに悪い人間なんていなかった。
それじゃあ何故『透狼』は、ボクの前に姿を現したのだろうか。
「参ったなぁ~…。これじゃあ『準備』に取り掛かろうにも取り掛かれないよ…」
『準備』?いったい何の『準備』だ?
「…錦野さん…『準備』って…?」
「え?…あぁ、まだ言ってなかったっけ?いやはや、ボクもせっかちさんだねぇ~。重要なことをいい忘れるなんて…」
ボクに指を突き出し言う。
「『透狼』ね…今、キミの中に住み憑いてる」
「…はい?」
「つまり…『憑依』しちゃってるんだよ」
な、な、な……
「何とんでもないこと呑気に言っちゃってんだ、この人は!!!?」
「うわ、本日初のタメ語!」
「だから、そんな呑気に言ってる場合じゃないでしょ!?いったいどういうことですか!!?」
ボクは、錦野さんの胸ぐらを掴む勢いで問う。ちなみに、実際には胸ぐらは掴んでいない。
「とりあえず落ち着いて、東雲くん。『憑依』されたのは、おそらく噛まれた時だよ。つまり、噛まれたのに歯形がなかったのは、『憑依』したことで、キミの右腕が『透狼』と一体化したからなんだよ」
相変わらず冷静に、とんでもない解説をする錦野さん。
しかし、こうなってしまった以上『妖化獣』を専門とする『妖祓師』である錦野さんだけが頼みの綱である。とにかくボクは、一旦冷静さを取り戻し、錦野さんに問いかける。
「『憑依』を解くことはできるんですか?」
「できるけど、原因が判らないと対処しようがないんだよ。『透狼』が、東雲くんの何の『弱み』に引き寄せられたのか…。東雲くん、本当に心当たりないかい?」
「…はい。…ちなみになんですけど、『憑依』を解かないと…どうなるんですか?」
錦野さんの顔がより一層曇り出す。
「それは、かなりマズイね…」
その答えが返ってくるのは重々承知だった。ボクは、固唾を飲み込む。
「まあ早い話、ヤツが活動を始める。危害がキミだけで済めば最善だが、それは無理だろうね」
「…まさか…」
「そう、その『まさか』さ」
ボクの頭によぎる、満月の夜。
「東雲くん、キミ…」
それを見上げる、1匹の獣。
「『オオカミ男』になってしまうよ」
―――続
~キャラクタープロフィール~
其ノ貳時点〈追加〉
錦野リリ
概要 / 『妖化獣〈あやかし〉』専門の妖祓師。とある廃病院に住む。
透狼 / とうろう
概要 / 『妖化獣』の1種。オオカミの姿をした妖怪。普通の人間には見えないが、ある特殊な人間には見える。
~キーワード~
其ノ貳時点
妖祓師 / ようふつし
・妖怪を祓う者また集団。
・舞台である日本には、リリを含め3人いる。
妖化獣 / あやかし
・妖怪の中でも、動物及び生物の姿をした特殊な妖怪。
・とても臆病な性格で、普通は人に危害を加えたり、人前に姿を現さない。
・現在確認されてるだけでも150種以上。
・中には人に憑依してしまう種類もある。