参政党に送る言葉
第二次世界大戦の灰燼の中から、日本は奇跡的な復興を遂げた。憲法の制約下で最小限の防衛力しか持たない、平和を愛する国家として、ひたすらに豊かさを追い求めることで、世界第三位の経済大国の地位を築き上げた。その姿は、一時は世界の模範とさえ映ったかもしれない。
しかし、時代は大きく変わった。
地政学的な嵐が吹き荒れる21世紀の今日、繁栄だけを享受し続けることは、もはや許されない。私たち日本人は、自らの国家のあり方を根本から問い直し、一つの結論へと向かうべき時が来た。今こそ、「真の普通の国」になるべきだ。
振り返れば、私たちの平和と繁栄は、冷戦という特殊な環境下で、アメリカという同盟国の圧倒的な力に守られることで成り立っていた。
その庇護の下、私たちは国家の安全保障という根幹の部分をある意味で他者に委ね、経済活動に専心することができた。
その結果として築かれたのが、経済的には一流だが、安全保障や諜報の世界では「スパイ天国」と揶揄され、諸外国の報告書にもそう記され、自らの意思で未来を切り拓く力を持ち得ない、いびつな国家の姿であった。
その「眠り」を揺り覚ましたのが、隣国・中国の台頭である。
私たちが対峙しているのは、国軍ではなく党の軍隊を持ち、憲法より党則が優位に立ち、司法の自浄作用も期待できない、近代国家の常識が通用しない巨大な隣人だ。彼らは、経済的な相互依存を巧みに利用し、日本のサプライチェーンを深く浸食し、私たちの生命線である医薬品の原薬からハイテク製品に不可欠な鉱物まで、その手中に収めつつある。
これは、単なる経済問題ではない。私たちの主権そのものが脅かされる、安全保障の危機である。
かつて、政治家・小沢一郎氏は「普通の国」という言葉を提唱した。
それは、経済力に見合った国際貢献、特に安全保障面での役割を果たす国を目指すという、歴史的な問題提起であった。
しかし、私たちが今日目指すべきは、その概念をさらに超えた地点にある。単に海外での役割を増やすだけでなく、国家としての骨格そのものを再構築すること。それが「真の普通の国」への道である。
「真の普通の国」とは何か。
ここで言う「普通の国」とは、経済・外交・安全保障のすべてを自立的に運営できる国家のことだ。
第一に、自国の重要技術や産業基盤を、外国の不当な圧力や窃取から守り抜くための法と体制を持つ国である。スパイ防止法を制定し、経済安全保障を国家戦略の中心に据え、サプライチェーンの脆弱性を官民一体で克服する。
第二に、価値観を共有する同盟国と対等なパートナーとして連携し、地域の平和と安定に主体的に貢献できる国である。憲法の制約を乗り越え、自衛のための十分な能力と、それを行使する明確な国家意思を持つ。
第三に、他国の顔色を伺い、短期的な経済利益のために国家の誇りや長期的な国益を犠牲にする「甘い顔」をしない国である。自らの歴史と文化に自信を持ち、国際社会において堂々と国益を主張し、尊重される独立国家である。
戦後の特殊な時代は終わった。もはや経済的な豊かさだけでは、国民の生命も、財産も、そして未来も守ることはできない。
痛みを伴う改革かもしれない。しかし、この厳しい現実から目を背けていては、私たちは歴史の荒波の中で漂流するだけの存在になってしまうだろう。
参政党、そして広く保守の志を持つ者たちへ。
「真の普通の国になろう!」この言葉を送りたい。
最後に、この文章の立ち位置について少し補足しておきたいと思います。
私はここで極端なイデオロギーを語ったつもりはありません。書いた内容は、日本が直面している現実的な課題――安全保障、経済の自立、国益の主張――をどう乗り越えるかという問題提起に過ぎません。
政治的な分類で言えば、これは「センターライト(中道右派)」にあたります。
センターライトとは、伝統や国益を重んじつつも、民主主義や自由を尊重し、極端な排外主義や独裁主義とは一線を画す立場のことです。要するに「現実的な保守」と言えば分かりやすいかもしれません。
私は、右や左というラベルで議論を閉ざすのではなく、日本という国がどうすれば自立し、尊敬される存在であり続けられるかを考えたいのです。
このエッセイも、そうした問題意識の一助になれば幸いです。
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よろしくお願いいたします。 m(_ _)m ペコリ




