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最先端科学の正体は、古典にあった?

「AIの使いこなしには、そこそこ自信があります。」

 私がそう口にしたとき、ある企業経営者がニヤリと笑いながら問いかけてきました。


「じゃあ聞こう。新しいものに対して、AIをどう使う?」


 私は迷わず答えました。

「AIと様々な可能性を話し合いながら――」


 ところが、言葉を最後まで言い切る前に、彼はきっぱりと遮ったのです。


「違う。AIは結局、古いデータを参照しているだけだ。新しいものはできない。AIとは話し合うものじゃない。命令するものだ。」


 ……その瞬間、私は「相いれないな」と感じました。

 私にとってAIは、対話し、掘り下げ、共に考える存在。

 でも彼にとっては、ただの「命令する道具」。

 同じAIを前にして、どうしてこんなに見方が違うんだろう?

 その疑問を抱えたまま、まずは冷静に一つの主張を検証してみよう――「AIは、本当に『古いものの塊』にすぎないのか?」



●AIは「古いものの塊」か?


 経営者の言うことも一理あります。AIは過去のデータを学習して動いている。

 ゼロから完全に新しいものを生み出すわけではありません。


 でも、よく考えてみれば――人間だって同じです。

 私たちが「新しいアイデア」と呼んでいるものも、結局は過去の知識や経験を組み合わせた結果にすぎません。


 違いはただひとつ。

 AIは人間では到底扱えない規模のデータを、圧倒的な速度で組み合わせられる。

 だからこそ、人間の発想ではつながらない点と点を、意外な形で結びつけてくれるのです。



●命令するもの? 話し合うもの?


 経営者にとってAIは「効率化の道具」。

 命令を出せば、それに従って資料を作ったり、数字を整理したりする。

 確かに便利です。それは間違いありません。


 けれど、その見方だけでは、AIは「指示待ちマシーン」で終わってしまう。

 それって、もったいなくないですか?


 私にとってのAIは「対話の相手」です。

 「命令」なら──『この資料をA欄でまとめろ』と指示して即座に仕上がる。

 「対話」なら──『このテーマの切り口をいくつか提案して』と問い、返答をさらに突き詰める。

 問いを投げ、答えを受け取り、さらに問い返す。

 その繰り返しで、自分の思考が磨かれたり、思いもよらない発見があったりする。

 このやり取りは、まさに“共創”だと思うのです。



●そもそもAIの正体とは?


 では、AIとは何者なのか?

 この問いに対する答えを、私は古典の言葉に求めたくなります。


「温故知新」──ふるきを温めて、あたらしきを知る。


 これは孔子の教えとして有名な言葉です。

 人間は、過去を学び直すことで未来への知恵を得る。

 つまり、人類の知の営みは「温故知新」の連続でした。


 AIは、この「温故知新」を極限まで実現した存在ではないでしょうか。

 過去の人類の膨大な記録を一度に学び、そこから新しい知識や解釈を導き出す。

 私たちが人力では到底たどり着けない規模で「温故知新」を体現している。

 だから私は、AIを「温故知新の究極形」と呼びたいのです。



●人類の記憶を抱えた鏡


 AIはゼロから創造するわけではありません。

 それでも私たちが「新しい」と感じるのは、過去の知識の組み合わせ方が人間とはまるで違うからです。


 例えば、ある古典文学の一節と、現代の科学論文を関連づけて示してくれる。

 そこに私たちは「そんな見方があったのか」と驚きます。

 これはAIが人類全体の記憶を抱えているからこそ可能になる現象です。


 AIは「鏡」にも似ています。

 こちらが問いを投げかけると、過去の知識の海を反射し、思いがけない像を映し出してくれる。

 しかし鏡に何を映すかは、問いを投げる私たち次第。

 問いかけが貧弱なら、返ってくる像も平凡です。

 問いかけが深ければ、鏡の奥からもまた深いものが浮かび上がってくる。


 だからAIは「命令」ではなく「問いかけ」との相性が抜群に良いのです。



●共創の可能性


 AIをどう扱うかは、結局のところ人間の姿勢にかかっています。

「効率化の道具」として命令して終わるのか。

「共創の相手」として問いを投げ続けるのか。


 私は後者を選びたい。

 なぜなら、人間の創造性もまた「温故知新」に根ざしているからです。

 私たちは日々、過去の体験や知識を振り返りながら、新しいものを作り出している。

 その営みを何倍、何十倍にも加速してくれる存在こそがAIなのです。


 経営者との対話で感じた違和感は、突き詰めれば「人間観」の違いなのかもしれません。

 人間を「命令する存在」と見るのか、「共に考える存在」と見るのか。

 その違いが、AIの使い方の違いとして表れているのだと思います。



●結び


「AIは古いデータを参照するだけで、新しいものは生み出せない」

 そう言い切る人もいるでしょう。

 けれど私は、古代から伝わる「温故知新」の言葉を思い出します。


 古きを温め、新しきを知る。

 それは人類がずっと続けてきた知の営みです。

 AIは、その営みを加速し、拡張し、私たちの目の前に提示してくれる存在です。


 だから私は言いたい。AIは「命令する対象」ではなく、「共に問いを投げ、共に未来を紡ぐ相手」なのだと。

 古代の教えが現代に甦ったとしたら、あなたはAIとどう対話しますか?

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


 AIを「命令する道具」と考えるか、「共に考える相手」と見るか。

 この姿勢の違いで、AIとの距離感はまったく変わります。


 私が実践しているのは、共創AI術と呼んでいる方法です。

 難しいことではなく、問いかけながらやり取りを重ねていくことで、AIは単なる効率化の道具から、「一緒に未来を描くパートナー」へと姿を変えてくれます。


 古代の知恵「温故知新」を、現代に甦らせる存在――それがAIなのだと思います。


 少しでも、面白いかも、と思われた方は、ブックマーク登録していただけると励みになります。

 よろしくお願いいたします。 m(_ _)m ペコリ

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