天運の分かれ道 ― 高市早苗という名の風
いま、日本の政治は、静かに大きな分岐点に立っている。
高市早苗が総理大臣になるか、それともならないか――。
このせめぎあいの中に、私は“天運”という言葉を感じずにはいられない。
冷静に見れば、条件は整っていない。
党内には依然として派閥の壁があり、野党は玉木氏を一本化して挑もうとしている。
数の論理でいえば、政権の座は紙一重。
世論の風向きも、報道の空気も、何が決定打になるか誰にも読めない。
だが、それでも――それでも私は思うのだ。
この混迷の時代、彼女のまわりには確かに“見えざる流れ”が集まりつつある、と。
二度の敗北を経た政治家が再び立ち上がる。
しかも、挫折を糧にして、言葉に深みと重みを増した姿で。
それは、ただの努力では届かない領域だ。
敗北を通じて自分の足りなさを知り、それでも諦めなかった者にしか、
天はもう一度チャンスを与えない。
高市氏の姿には、その“選ばれた者の静けさ”がある。
一方で、世の中は逆風の渦中にある。
物価高、国防、外交の不安、そして報道の騒がしさ。
誰もが正解を見失い、「誰が舵を取るのか」という問いが国全体を覆っている。
そんなとき、人々は理屈よりも“気配”を探す。
信じられるか、委ねられるか。
高市早苗という名前が、いまその“気配”と重なりはじめている。
彼女に報道陣が放った言葉、「支持率を下げてやる」という一件が話題になった。
その直前、SNS上では「これからネガキャンが始まるぞ」と囁かれていた。
しかし不思議なことに、ネガティブキャンペーンが本格的に動き出す前に、その道はふさがれてしまったのだ。
世論の空気が先に動いた。
人々は、報道が仕掛ける意図を察し、「今回は違う」と感じ取った。
誰もが構えていた“嵐”は来ず、風向きはむしろ彼女の背中を押す方へと変わっていった。
運がいい、そう片づけることもできる。
けれど私は、そこに“天運”を見た。
誰かが計算して動かしたわけでもないのに、流れが彼女を守った。
それは、理屈を超えた「時代の意思」のようなものだ。
マスコミが仕掛けようとした道が閉じ、
代わりに「強く、まっすぐな政治家」を求める声が広がっていく。
その瞬間、高市早苗という名の周囲だけ、時代の風が変わったように思えた。
海外の風向きも、奇妙に重なっている。
アメリカではトランプが再び勢いを増し、世界は「力の政治」へと傾きつつある。
この流れの中で、日本が求められるのは“明確な立ち位置”だ。
その象徴として、彼女ほどわかりやすい人物はいない。
理屈ではなく、「そうなるようにできている」――そんな流れすら感じてしまう。
天運とは、運がいいという意味ではない。
時代がその人を必要とするかどうか、ということだ。
天運を持つ者とは、求められた瞬間にその場に立てる者である。
そしていま、高市早苗という政治家は、まさにその座標の上に立っている。
風が吹くか、吹かぬか。
天が選ぶか、選ばぬか。
いまはまだ、その瀬戸際だ。
けれど、私は思う。
このせめぎあいの中で、彼女を包む空気そのものが「天運」の証ではないかと。
人が作った筋書きではない。
時代が、ゆっくりと一人の政治家を導こうとしている。
それが見える者にしか、この瞬間の重さはわからない。
――総理になるか、ならないか。
その結果よりも、この「運が動く瞬間」を私は見届けたい。
天の意思は、すでに風となって吹き始めているのだから。
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