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HALTO  作者: daisuke2025.6
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第8話 青潮の前触れ

 黎明の鐘が〈カデンツァ・デルヴァ〉の峡谷に三度、低く響いた。水路を包む朝霧が淡い群青を帯び、露店の帆布がまだ眠たげに揺れている。

 西縁郵政支局の格納庫では、ハルト・レンが愛機(あいき)リトル・ルーバの気嚢(きのう)を点検していた。昨夜の巡回で付着した石粉を払い落とし、亀裂がないかランプで透かす。

「師匠、底材(そこざい)OKです!」

 跳躍脚にスパナを挟んだキオ・ホップが駆け寄る。うさ耳が元気よく立ち、ガス圧計を読み上げた。

「昨日のチル・スライム戦で圧力弁が少し緩んでたから締め直したよ。これで乱気流でも漏れないはず!」

「助かる。──今日は市場通りの修繕確認と、光苔ランプの再点灯だ」

 ハルトは工具箱を閉じ、肩にかけた鞄を軽く叩く。


 格納庫を出ると、峡谷を渡る風が少し塩気を帯びていた。遠く海上層(かいじょうそう)を洗う潮霧(しおぎり)が今夜にも流れ込むと、昨晩の気象板が示していた。

 青潮(あおしお)。年に数度だけ起こる海面上昇と潮気の逆流だ。浮遊索の下を青白い波霧が走り、光苔が揺らいで街灯の色調が変わる。

「今日のランプ確認は、青潮の前触れを測る目的もある。感度を1ステップ上げて点検だ」

 ハルトが言うと、キオは頷き跳躍脚のロックを解除した。


 市場通りはまだ開店前だったが、昨夜凍りついた石畳は修繕班が敷いた新しいブロックに替えられていた。

「おかえり、郵便屋さん!」

 露店の老婆がリソナ・オレンジの箱を積み直しながら笑う。

「凍傷になった大根は酢漬けにしたよ。意外といけたんだ」

 ハルトは礼を言い、光苔ランプの支柱を外して導式石英(どうしきせきえい)を交換した。ランプが点ると、早朝の霧に淡い青白い輪が広がる。


 その頃、支局屋上ではドワーフ局長サルバが対流図を眺め渋い顔をしていた。

「北東海面で潮霧が濃い。青潮本番が夜半なら上空航路は一時封鎖かもしれん」

 横でメカニックのカーラが頷く。

「補助浮袋を増設した艇しか飛ばせませんね。定刻便が遅れれば上層銀行筋が騒ぎます」

 そこへハルトが戻り、ランプ三基の交換完了を報告した。青潮警戒のため追加で気嚢フィルタを搭載したいと提案すると、サルバは即決で許可した。


 午後、キオは新人配達員のミント(ぞく)双子に跳躍脚のブレーキ操作を教えていた。

「踏み込みは十度。バネが戻る前に腰を落として衝撃を逃すんだ」

 双子が同時に跳ね、耳毛を揺らして着地すると、石床にほとんど音を残さなかった。キオは思わず拍手しハルト講師の指導法を誇らしげに語る。


 夕刻。峡谷を薄い青潮霧(ぎり)が這うように昇り始めた。ランプの光は霧に散り、通りが幻想的な蒼光(そうこう)を帯びる。ハルトは支局テラスでコーヒーを淹れ、蒸気に含まれた潮の匂いを感じていた。

「海の呼吸みたいだね」

 キオがマグを受け取り、青白い霧を見下ろす。

「潮霧が上がり切る前に、夜間航路を点検しておく。青潮が強ければ明朝の便は手渡しに切り替えだ」

 ハルトは静かに告げ、リトル・ルーバの影が霧に溶け込む浮遊桟橋を見つめた。


 その背後──支局の古い水銀鏡(すいぎんきょう)通信機が、一瞬だけ波打つ歪みを映した。

 UNKNOWN-37。誰にも聞こえない無音の余韻が、青潮の底でかすかに脈動していることを、まだ誰も知らない。



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