『弟』を演じ切る覚悟
「え……えぇっ!?」
円樹先輩の答えを聞いた瞬間、僕は驚きの声を上げた。
――泊まりのことなんて、もちろん聞いていない。
「ほら、明日は土曜日だし、一泊するには持ってこいの日だよね」
「あ、あの……僕、初耳なんですけれど!」
僕はそう言うと、円樹先輩は目を丸くした。
「えー、嘘! アタシのお母さん、守のお父さんに伝えとくって言ってたけどなぁ」
「…………」
――父さんに……? 僕はなんにも聞かされてないぞ。
だが、父さんのことだ……伝えるのを忘れていたというのは、十分考えられる話だ。
「あのね、アタシ……実はこのあいだ、お母さんに相談したの」
「……相談?」
「お父さんの顔を見てみたい……って」
円樹先輩は続けて、こう話す。
「それでね、守とも……弟とも一日家で過ごしてみたいって話したんだ。家族と過ごしたいって、そう話したの」
「そう……だったんですか」
「うん。お母さん、最初はアタシのこと疑ってたけれど……」
僕はそこで「疑っていた?」と、引っかかりを口にすると、円樹先輩はなんでもないというふうに首を横に振ってから、再び話を続けた。
「アタシが『ただ弟とお父さんと……家族と、過ごしてみたい』って話したら、渋々だけれど納得してくれた。お母さん、あんまりお父さんと話したくなかったみたいだったけれど……アタシが頼み込んだら、伝えてくれたの。……それでね、お泊まりしておいでって話になったんだよ!」
まさか円樹先輩のほうでそんな話があったなんて……。確かに円樹先輩、父さんのことはちょっと気になるって、前にも話していたけれど。
「なんか……急ですね」
「思い立ったらすぐ行動! ……が、アタシのモットーだから」
それは初めて聞いたな……と思っていると、ちょうど僕の家に辿り着いていた――二人にしては少し広い一軒家の前に。
「わ! ここが守の家だね! 広いねー」
円樹先輩は家を見上げて、もう楽しそうだ。
「もうお父さん、いるの?」
「いや、いつもどおりならまだ仕事……だから、いないと思います」
「そうなんだ」
僕は玄関の前に立ち、扉の鍵を開けた。そこで一度振り返り、円樹先輩を一瞥する。
流れに任せてここまで来ているけれど……本当に円樹先輩、僕の家に泊まる気なんだろうか。
「あの、円樹先輩……本気で家に泊まる気、ですか?」
「そりゃあもちろん! アポは取ってるよ!」
僕のアポは取れていないんだが……という小言はぐっと飲み込み、代わりにこう言う。
「ほら、僕一応……彼女がいる身、じゃないですか。それなのに女の人を泊めるなんて……ましてや、『学園一の美少女』である円樹先輩を……」
「何言ってるの! それよりもまず、アタシは守のお姉ちゃんじゃない! いっしょに家で過ごして何か変なことでもある?」
「いや……まあ……ないといえばないんですけれど、ほら、僕らってちょっと特殊というか……」
「聞こえないよ! アタシは守のお姉ちゃん! 守はアタシの弟! 問題なしじゃない!」
ぐぬぬ……無理矢理丸め込まれてしまった。
本当、都合のいいときだけ『お姉ちゃん』になるよな……。
「あ。言っとくけれど守、家にいる間は、全然アタシに敬語なんて使わなくていいからね」
「……え?」
「だってアタシたち姉弟だから! 姉弟同士なのに先輩呼びとか敬語とか……違和感? あるでしょ。だから、アタシのことは『円』って呼んで」
「……『お姉ちゃん』、とかじゃなくて?」
僕がそう言うと、ギロリと円樹先輩から睨みつけられてしまった。……どうやら、下の名前で呼ばれることがご所望のようだ。
(やれやれ……めんどうなことになった)
父さんが初めから僕に伝えてくれれば……こんなことにはならなかったのに。
ここまで来てしまったらしかたない、と覚悟を決め、戸を開けた。
「じゃあどうぞ、上がってください」
円樹先輩はパァっと顔を明るくさせ、ついに自宅へと上がった。
玄関で靴を脱ぎ、きれいに揃えて家へと上がっていく円樹先輩。礼儀正しいその所作に、結局見蕩れてしまう僕。
「男所帯の家って、もっと荒れ狂ってるイメージあったけれど、守の家はすごくきれいだね」
円樹先輩は家の中を見回しながらそう言った。
「これでも掃除はしていますから。……父さんの部屋はアレですけれど」
僕は適当に答えながら、玄関の戸を閉め家へと上がった。
「へー。お父さんって掃除できないんだ」
円樹先輩は言って、クルリと回って僕に向き直った。
「あのさ守、前に瑠璃ちゃん、『どうか全力でかかってきてください』って話してたじゃん?」
その言葉は、確かに僕も聞いていた――あの日、図書室で瑠璃のお兄さんもいっしょにいたタイミングで、だ。
それがどうかしたのかと思っていると、円樹先輩は言う。
「だからね、今日は全力でぶつかっていくつもりだから――よろしくね」
イタズラじみた笑顔を浮かべる円樹先輩。この瞬間、彼女の狙いは家族に会うためではないと、ハッキリ確信した。
彼女は――円樹先輩は、自分自身の『恋』のためにここに来ている。
僕を完全に自分のほうへ振り向かせてやろうという気概が、垣間見えたのだ。
(ま……マズイな)
僕は、円樹先輩の想いに応えるわけにはいかない。
いくら円樹先輩の『恋』が本気だとしても、受け取るわけにはいかない。本気だからこそ、拒絶しなければならないのだ。
(……だけれど)
このあと一日円樹先輩と過ごして……果たして僕は、ちゃんと理性を保てるだろうか。
(……何考えてるんだ、僕にはもう瑠璃がいる)
――僕は絶対に、『弟』を演じ切らなければならない。




