九話
ちょっと短いですが、きりがいいのでここで投稿しちゃいます。
香苗が去った方向は森の中、大丈夫なのだろうか?柳は少し心配になったが、あの様子では自分が行ったら事態を悪化させかねないと思いなおし、再び演説を行っている帰還派の男性に目を向ける。
「薄情な人ですねぇ」
そんな柳に、突然後ろから声をかける人間がいた。むろん姙である。
「……何が」
柳が多少むきになって聞いた。
「流石ですね。柳さん。普通は女性に逃げられたら、多少は動揺してもいいと思うんですけどねぇ」
「……それで?」
「行かなくていいんですか?」
「どこに?」
「香苗さんのところですよ。彼女は一人で行ってしまいましたよ。香苗さんのレベルでは多少以上に危険だと思いますが」
「そんな無鉄砲なことするかな?」
「彼女は柳さんとは違いますからね、あんな風に言われたら動揺もしますよ。それに彼女は動揺すると、よく我を忘れますからねぇ。我を忘れたときの彼女は、しばしば命をお粗末にしますから」
「……そうなのか?」
「そうですよ」
「……なぜ俺が行かなきゃならない」
「そもそもの原因はあなたです。ぐずぐず言ってないで探してきなさい」
「……はい」
姙の押しの強さに負けて、柳はしぶしぶと香苗が向かった方に歩き始めた。
「走った方がいいと思いますよ」
柳はやれやれといった感じで、加速した。レベル上昇により、脚力はすでに人間離れしているが、そもそもレンジャーの脚力はやたらと高い。しかも柳は決して走るのが得意な方ではないので、筋力を十分には使いこなせていない。香苗を見つけるのには時間がかかりそうだと、柳はうんざりしながら足を速めた。
香苗が我に返ったのは、彼女の矢が、誤ってレベル三十を明らかに超えている泥人形に突き刺さった時だった。
加熱していた思考が、一気に冷え込み、すぐさま現状のまずさに気がつく。
レベル不明の泥人形は、明らかに先ほどまで香苗が射っていた泥人形たちよりも速い動きで、香苗の登っている木に走りこんで来る。あせった香苗は、わずかに反応が遅れ、隣の木に飛び移るのが間に合わなかった。
泥人形が、すさまじい跳躍を見せ、木の低いところにある枝に飛び乗った。衝撃が香苗の乗っている枝にまで伝わってきて、香苗のバランスを崩す。しかしレンジャーたるもの、そのままあっさりと墜落するわけにはいかない。香苗は何とかバランスを立て直し、しっかりと両足で枝を捉え、泥人形を見据えた。
と思ったら、泥人形はすでに香苗の目の前まで迫っていた。
泥人形の腕が勢いよく振り上げられ、香苗の腹に突き刺さる。見事に鳩尾に当たっていた。大量のライフが失われる。それと同時に、今度こそバランスを崩した香苗が、足場を失った。
二メートル以上の高さから、香苗の体が真っ直ぐに落ちてゆく。
地面に激突したことで、さらに大量のライフが失われる。この時点で、香苗のライフは七割を切ってしまった。さらに、泥人形が木の上から飛び込んできた。明らかに捨て身の攻撃だが、重力の加速を受けた攻撃を受ければ、致命的なダメージになるだろう。香苗は何とか回避すべく、落下の衝撃による硬直を振り払って横に転がった。
しかし泥人形は人間ではない。こいつは平気で体の一部を取り外せるのだ。何と泥人形は、香苗が攻撃範囲から逃れたと見るや、空中で腕を外し、香苗めがけて投げつけた。
妙に密度の高い泥人形の腕は、重力の加速を受けて威力を増して、香苗に直撃した。またしてもライフが光の粉となって舞い散った。
「う……」
香苗はうめき声を上げながらも、急いで泥人形と距離をとる。そこで香苗は自分の失態に気がついた。
他の敵キャラ、リノウスの索敵範囲に入ってしまったのである。
サイ型の巨体は、視界に香苗を捉えるや、すぐさま突進の体制に入った。
香苗は泥人形を視界の中央に据えながらも、ほぼ真横から突進してくるリノウスに対処しなければいけなくなった。
幸いなことに、リノウスの戦闘用プログラムは、レベルが低く設定されているため、高度な作戦は取ってこない。泥人形との連携は心配する必要がないだろうが、それでも二匹を同時に相手取るのは、香苗には出来そうもなかった。
最初のリノウスの突進は、割と楽にかわすことが出来た。さらに通過するリノウスが、泥人形と香苗の間の壁となってくれたおかげで、泥人形からの攻撃を受けずに済んだ。そのすきに香苗は離脱を試みたが、そもそもリノウスは香苗よりもはるかに速いし、泥人形も意外とそこそこ早い。香苗と同程度だろうか。
逃げる方の香苗は、常にリノウスの突進を意識しなければいけなかったので、泥人形との距離は瞬く間に縮まり、香苗の離脱は失敗に終わった。
泥人形の的確な攻撃を、リノウスを意識しながらかわしきることは香苗には出来なかった。離脱もできず、戦って勝つこともできそうにない。香苗は弓を捨て、接近戦用の武器であるナイフを腰から外して戦った。
泥人形のライフはほとんど減ってゆかず、ただただ香苗のライフが減ってゆく。
このままでは「死亡」する。
その焦りがさらに香苗の動きから正確さを奪い、もともと接近戦が苦手な香苗の不利がさらに顕著になってゆく。
残りライフが一割を切ったところで、香苗の中にはあきらめの感情が浮かんできた。
――――どうせ死ぬわけではない。
思考がどこまでも冷めてゆき、逆に思い切りが生まれてくる。
後、一撃。それだけ食らえば香苗のライフは無くなり、香苗のアバターはこの世界から抹消され、香苗の意識は別の世界へとシフトする。
最後に目の前の憎い泥人形に一矢報いてやろうと、思い切り懐に潜り込んで横に蹴り飛ばし、突進してきたリノウスに激突させてやる。しかしそのままリノウスは勢いを殺すことなく突っ込んできて、香苗のライフを奪って――――
――――いかなかった。
香苗の目の前に転がるリノウスの巨体。
その横に立つのは――――
「また柳に助けられちゃった」
果てしなく不機嫌な顔で剣を振りぬいた少年だった。
「……危なかった」
柳は肩を上下させながら、かがんでアイテムを回収した。
香苗は急いで回復アイテムであるポーションを取り出し、一気に飲み干した。
「ありがと、柳」
「なんでこんな自殺行為をしてるんだよ」
「……………………」
香苗はひとつ溜息をつくと、柳に言った。
「じゃ、戻ろうか」
柳達が野営地に戻ると、そこは驚くほど規模が縮小していた。
半径五十メートルはあった野営地には、百を超えるテントが乱立していたのだが、今やその見る影もなく、立っているテントの数は半分以下になり、それらが寄せ集まっていた。多分広いスペースを守りきることができなくなったのだろう。
「いつの間にやら随分な有様ね……」
香苗が淋しそうにつぶやいた。
柳は香苗が戻っていないか確認するために何度か戻ってきていたために、野営地が縮んだのは知っていたが、見るたびに虚しさがこみ上げてくる。
「お、柳君に香苗さんか、近郊のモンスターの討伐御苦労さま。無事で何よりだよ」
たまたま野営地の周りに現れるモンスターを狩っていた裕が声をかけた。
「近郊とは言い難いほど遠くまで行ってきましたけどね」
柳がぼそっと皮肉めいたことを言ったが、香苗は聞こえなかったことにした。
「マスター、一体どうしたらこんな事になってしまったんですか」
「帰還派のメンバーが我々から離れることを宣言してね。何所か別のところに野営地を構えることにしたらしい。さらに他にも行動派なる組織が突然形成されてね、実力者がごっそりとそちらにとられてしまったのだよ。おかげで残念ながら我々の規模は著しく低下してしまった」
裕はさらりと言ってのけたが、実際のところ、裕達『正統派』の規模は著しく低下し、食料の調達はおろか、野営地の防衛すら厳しくなってしまっていた。そのため、裕のようなある程度実力のある者はほとんど休みなしで野営地の防衛にあたらざるを得なくなっているのである。
「ということだから、早速だが、二人とも、野営地の防衛を手伝ってくれ。もうしばらくしたら他の場所に野営地を張っているメンバーもやってくるはずだから、それまで守り抜けば、もう少し行動が楽になると思うからね」
柳達はしばらく勝手に野営地から抜けていた後ろめたさもあり、すぐに野営地の防衛を始めた。
香苗は、自分が未だに昼食すらとっていないことを思い出して、見張りをしながらも簡単な昼食を食べることにした。いずれにせよ、香苗は単独では戦闘していない。ただでさえレベルが低いのに、主力武器である弓を捨ててしまったために、戦力が低下しているのだ。
幸い、食材は先程までの戦いで、大量に手に入れていた。我を忘れても、しっかりとアイテムの回収は行っていたらしい。
アイテムを整理して、食材アイテムを適当に選ぼうとして、香苗はとんでもないものを見た。
「え、なんでこれが私のインベントリに?」
香苗の視線の先には、所有アイテム欄に一つのアイテム名が記載されていた。
『転移魔法陣』
レアアイテムを示す黄緑色の文字で記載されたそのアイテムは、今この状況で最も欲しいアイテムの一つ。今すぐ使えば、自分の身に降りかかる危険をかなり減らすことができる。既に、この島から転移魔法陣を使って脱出したプレイヤーは六人ほどいた。他にこの島で、このアイテムを保持していると言われているのは、裕だけである。
香苗はしばし呆然とした後、カーソルを恐る恐る転移魔法陣に合わせ、選択。現れた選択肢の中から、『使う』を選択しようとして、手を止めた。
結局、香苗はこの段階でこのアイテムを使うことをしなかった。
改めて食材を探し、調理を開始する。見張りを続けながら、香苗は片手間でできるような簡単な食事を作る。
香苗は黙々と作業をしながらも、意識は何所か別のところにあった。
漢字の修正をしました。
毎度すみません。