好奇心の果てに
「おやすみ、うちは少しやる事があるからそれから寝るよ」
蝋の火を消し、扉を閉める。
ピルク君も、疲れていたんだろう。
ベッドに寝かせたら気絶するように寝た。
エルちゃんはまだ眠りにつけないようだけど、きっとすぐに眠れるはずだ。
さて、やる事とは何か。
それはこの家の調査だ、気になることがある。
あの魔物、意識がまだあった。
知能が普通の魔物と比べても高かったし、うちに何か伝えようとしていた。あれは間違いなく魔物特有の「うめき声」じゃなく「言葉」だった。
ガッケルの話では、魔物化の後にエリグハス王国内から何かしらの手段で逃げ出した魔物は異常に知性が高かったそうだ。
拳銃を使用して、言語まで使っていた。
つまり、魔物化によって魔物になった者には「知性」がある。普通の魔物であっても知性があるものはいるけど、ここまでの頻度で出現するのは稀だ。
それが本当なら、人間と魔物の均衡が崩れる。
知性の高い魔物が軍を成して襲えば、人間は終わる。
それを実践したのが魔王だ。
世界は壊滅寸前まで追い込まれた。勇者がいても、だ。
この家は魔物化の後から一度も扉が開いていない。
食器の数を見るに、一人暮らしというわけでもなさそうだ。
けど魔物として存在したのはあれだけ、他はどこに行ったんだろう。
食器の散乱具合から見るに、魔物化は市民からしたらやっぱり突然の事だったんだろう。
家はまだ探し切っていないし、もう少し探索してから寝よう。
そうして廊下を歩いていると、壁に掛けられた写真を見つけた。
家族写真のようだ。誠実で真面目そうな男の隣には、背の高い綺麗な女性が写っている。
その間には、小さな男の子が1人。
この家の家主だろうか。
奥さんと息子は一体どこに……
そのまま、廊下を歩き続けると一つのおかしな点に気づいた。石畳が続いているのに、ある所だけ木造になっている。
石の床の中に、一つだけ木造のタイルがある。
しゃがみ込んで、床をとんとんと叩く。
明らかな空洞が、そこにはあった。
「地下室……かな」
窪みに指をはめ込んで、力を入れて床を持ち上げた。
想定通り、中には空洞があった。
梯子もかけてある、非常用の逃げ道か何かだろうか?
魔物がいるかもしれない。危険だ、だけど。
うちは魔物化について、知りたい。
もしかしたら何かがあるかもしれない。
そんな思いで、エミリーは梯子を降りた。
灯りは消えていたので、魔法で下を照らしながら降りた。あまり深い穴ではないようだ。
3分ほど下ると、広い空間に着いた。
地下にあるせいか、空気はジメジメとしていて決して良いとは言えない環境であった。
なんで一般の家庭に、こんな地下空間があるのか。
それも、明らかに意図的に作られた空間だ。
これほどの空間を作るということは、それ相応の理由があるんだろう。
だけど、国はこれを知らなかったのかな。
知らなかったのだとしたら、この空間を意図的に作った誰かは犯罪者だということになる。
だけどもし、国がこれを知っていたのだとしたら?
この空間を認知していた上で、放置していたなら。
こんな大きな空間が地下にあれば、地面が緩くなって倒壊の危険性も大きくなる。
そんな問題点を、一般人が申請しただけで国が容認するだろうか。
いいや、しない。
これが公になれば、国は信用を失う。
そこまでの危険を冒してまでこの空間を作ることを認めた。
つまり、ここには国に関わる何かがある。
もしくは、この街全体に関わる何かだ。
地面を見ると、足跡があった。
小さい足跡が一つと、それより一回り大きいが、男性ではない。
写真の女性と子供だ。
ここに来た時点では、2人は魔物ではなかった。
父だけを置いてきてここに来たとは考えにくい。
ここから考えられるのは一つ。
魔物になるまでには、個体差があった。
父が魔物になり、二人は急いでこの地下室に逃げ込んだと考えるのが自然。
「にしても……何もないなー」
かなり広い空間だけど、何もない。
シェルターのような役割で作ったのかな。
だとしたら国が容認する理由も納得いくけど……なんでこんな民家なんかにシェルターの入り口を?
とりあえず、先へ進もう。
水が滴り落ちる音が、広い空間に鳴り響く。
普段は聞き逃すような小さな物音も、繊細に聞こえた。
心臓の高鳴る音も、鳴り止まらない。
これは未知に近づく事への高揚感なのか、それとも恐れているのか。
わからないけど、先へ進まなければ行けないのは確かだ。
人の気配も、魔物の気配もしない。
ただの避難場所だったのかな。
にしても、誰かいた痕跡が少なすぎるような……
その時、急な揺れがエミリーを襲った。
地面が揺れて、立つことすらままならない。
「地震……!?」
今うちは地下だ。こんな状態で、地下が崩壊すれば……死ぬ。
かと言って、この揺れの中梯子を登れるとも思えない。
もしもここがシェルターなのだとすると、どこかに避難用の空洞か何か、あるはず。
その可能性に賭けるしかない、うちはまだ死にたくない……!!
激しく揺れる中、必死に必死に前へ進んだ。
その姿は不格好で、かなり変な走り方だ。
だがそんな中走り続けた結果、一筋の希望が見えたのだ。
何もない地下に、一つの鉄箱がぽつんとあった。
一部屋分くらいの大きさの鉄箱には、戸が一つだけ付いていてそこに手をかけて全速力で中に入った。
扉にもたれかかって、息を思い切り吐いた。
鋼鉄の冷たさが、火照った身体を冷やしてくれていた。魔法で水を出して、勢い良く飲む。
水分が全身に染み渡る。
揺れがある程度落ち着いたので、部屋の中を見渡してみた。
部屋は一つ、簡易的なベッド。
そして保存食に、引き出し付きの机とパイプ椅子。
他には緊急魔法用スクロールが2枚、護身用の短剣が一つ壁に掛けてある。
まさに避難用の場所、という感じだ。
使った形跡は……ない。
保存食が開封された後もないし、短剣が使われた様子もない。
二人はここに到着できなかったのだろうか。
あと調べられそうな場所は、机の引き出しの中か。
1段目、何もない。
2段目も……何もない。
期待を込めた3段目、何もなかった。
どっと、疲れが襲ってきた。
岩崩れは起きていないだろうか、かなり大きな地震だった。
外に出てみようかとも思ったが、眠気がかなり溜まっている。少し、眠ろう。
ゆっくりと寝て、体力を回復させるんだ。
そうして引き出しを閉めようとした時、あることに気付いた。3段目だけが、二重底になっている。
最近開けられた形跡がある、蓋がきちんと閉まっていない。
……誰かが、ここに来た。
蓋を取って、中を再び見る。
そこにあったのは、日記と鍵だ。
一体誰がこんなものを……
エミリーはまず日記を手に取り、ページをめくった。
ここに、知りたい何かがある事を確信していた。
「ナレム・カタルホ……この日記の著者の名前かな」
1ページ目には、「ナレム・カタルホ」という名前と
その情報が事細かに書いてあった。
その情報の中には出身地も書かれており、そこには
【ザーバーム大陸北部 植物都市 ナクロ】と書かれていた。
この家がザーバーム系の建築方式だったのは、この著者の出身がザーバーム大陸だったからなのか。
植物都市ナクロ、かなり人気の少ない所にある、人口も少なめの都市だ。
うちの出身も、ナクロから近い。
じゃあ、次のページだ。
エミリーはそうして、ゆっくりとページをめくった。
◆ ◆ ◆
6月8日
今日から、日記を書くことにした。
理由はなんとなくだ。
すぐに終わらないように、継続していこうと思う。
さて、今日は息子の誕生会だ。
リンダが産まれてからもう7年、あっという間だった。このまま、健やかに育ってくれると良いな。
6月9日
昨日はとても良い日だった。
久々にお酒を飲んで、夫と共に今後について語り明かした。息子は誕生会のあとすぐに寝てしまっていた。
疲れていたんだろう。
今日は休日なので、家族みんなで出かけよう。
6月10日
最近、魔神軍がまた動き出しているらしい。
不安だ……リンダを、どうか傷つけないであげてください。
いざとなったら、私が守らなきゃな。
6月11日
家の地下にある空洞を、シェルターにすることが決まった。これは夫の考えで、もし何かがあったときに逃げ込める空間があればリンダを守ることができる。とのことだ。
とてもいい考えだと思ったので、協力することにした。
6月12日
今日は少し遠出をして、海まで行った。
久々に感じる潮風はどこか懐かしくて、昔を思い出した。
3人で魚を釣って、それを焼いてお昼ご飯にした。
リンダがとても喜んでいて、私も夫も満足だ。
それにしても、今日の魚は一段と美味しかった。
採れたてはやはり格別だ。
6月13日
何もない日。
リンダは魔法を学びに学屋に行ったけど、私は今日なんの用もない。
だけどこんな日もあっていいな、と実感した。
6月14日
今朝起きると、外が妙に騒がしかった。
夫がいち早く新聞を持ってきてこう言った。
暗黒龍が目覚めたと。
そういえば、空龍祭も開催される頃だ。
もうそんな時期か。
暗黒龍の目覚めなんて、いつぶりだろう。
勇者様の時代に現れたと聞くけど、本当なんだろうか。
まあ、暗黒龍などさして興味はない。
今日は以前釣った魚『パロコス』を煮てみた。
この魚はやはり美味しい。
何か変な成分でも入っているのかと疑うほどだ。
6月15日
まずい事態になった。
暗黒龍が、リムルダの闘技場を破壊したらしい。
このままだと私たちも危ない。
以前作ったシェルターに、家族皆で避難することにした。食料は保存が利くものを多く用意した。
パロコスがまだのこっていたので、凍らせて持ってきておいた。
リンダが強がっている、大丈夫。
私達がついている。
6月18日
リンダが高熱を出した。
以前から患っていた魔吸病だ。
魔力を深く取り込みすぎたんだ。
薬さえあれば、すぐに良くなるのに。
6月19日
夫が薬を探して渡してくれた。
だが薬だけが落ちてきて、夫の姿は見えない。
心配だ、上にいるはずなんだけれど。
とりあえず、リンダは安心だ。
熱も下がってきた、私も昨日からずっと寝ていない。
とにかく、眠ろう。
6月20日
起きても、夫は帰っていなかった。
恐らく、もう……
こんな事を考えても、先には進めない。
幸運な事にここは広いし食料だってある。
大丈夫、きっと助けが来る。
「……おかしい。2人がここにいたなら、なんで使われた形跡がないんだろう」
この日記によると、3人は暗黒龍がリムルダを破壊したニュースを聞いてここに避難してきた。
暗黒龍がエリグハス王国に襲来したのは、恐らく15〜19日の間。
つまり、魔物化には対策方法が存在する。
それは地下に居ること。
ここは、かなり街の地下深くにある。
外界との接触も全くない、魔物化が神術によるものであるとしたら……超広範囲に被害を及ぼしていても、地下にまでは到達させることができなかったのか。
あの絶大な力を持つ暗黒龍にも、弱点はある。
次のページをめくろうとした時、あることに気付いた。
急に日付が消えたのだ。
ただの書き忘れだろうか、字も心なしか汚くなっている。
もし、誰かこれを読む人がいるのなら伝えておきたいことがあります。
リンダは地下シェルター内にある小さな小屋にいるはずです。
助けてあげてください。
そしてもう一つ
この魔物になる何かは、空気を吸い込むことで、感染します、
わたしも、もう、ながく、ありません
外にものとりいくとき、空気すいまた。
こども、まもってあげてくださ
ゆうしゃ、さま
どうか、たさけて
ゆし
たけて
ここで日記は終わっている。
意識がある内に書いた、正真正銘最期の日記だったのだろうか。
リンダ……彼女の子供は、どこに??
てか、空気吸うことで感染するならうちらも危ないんじゃ。
けどうちは今感染してないし、外にいても感染しなかった……うーん、もしかしたら任意で切替ができるのかな?
そんな事よりまず、リンダを探さないとだよね。
ここにはいないけど……近くにいるのかな。
エミリーはそう思い、扉を開けて外に出る。
だがその時。
大きな揺れが再びエミリーを襲った、立つことすらできないほどの揺れに、エミリーは恐怖を感じていた。
「っ………これやばいかも」
揺れにより、地下は崩壊した。
上部から倒壊した建物の瓦礫が降ってきて、大きな岩の欠片に頭をぶつけて、うちは気絶した。
◯ 同時刻 エル達は
「にゃんにゃんだこの揺れ!? エミリーは大丈夫なのかニャ?」
揺れによって、皆は目覚めた。
ピルクもまた、大きな揺れで体を起こした。
「地震ですかね? エルさん、ここは安全なんでしょうか」
「分からないニャ。けど何か、嫌な予感がするにゃ……」
エルは鼻を研ぎ澄ませて、大きく匂いを吸った。
冷めた空気に混じって漂う匂いに、エルは嗅ぎ覚えがあった。
「魔物の大群が……こっちに向かってきてるにゃ」




