冷水
背筋が、凍った。
顔に滴る、冷たい水。
静かな図書室に響く、低い男の声。
動揺を隠せない。
我々がいることは、隠し通す事ができない。
恐らくは父もこの機を狙っていた、だが何故だ? 殺すだけなら、エルフォンスが魔法を習得する前で良かったはずだ。
何故反逆の刃を手に入れてから行動に移った……?
読めない、父の考えが。
だが、唯一分かること―――
それは父が我々を殺そうとしている事だ。
果物ナイフと、付け焼き刃の魔法。
この2つで銃を持った成人男性とやり合えるのか?
拳銃は実用化はされなかったものの、人同士であれば効果は絶大だ。魔法よりも手軽に発射することが出来て、体力を削ることもない。だが入手難易度は高い。
父の権力があって手に入れる事ができる代物だ。
「エルフォンス、小さな頃困っていたお前を助けてやった恩を忘れたのか? 金もやって、充分な暮らしはさせてやったはずだ。それの何が不服だった?」
足音が、近づく。
部屋に入ってきたんだ……!! 猶予はあまりない。
どうする、考えろ。一瞬でこの状況を打開できる策を考えろ。
……焦るな、焦って余計な事をすれば一発で終わりだ。父の攻撃手段は良くて銃のみ。
悪くて……銃、ナイフ、魔法の三段構え。
最悪の場合、近距離戦闘になればナイフで応戦される。だが私だって無知じゃない、多少はやり合える。
だが物陰から出た瞬間、撃たれる。
「今出てこれば、エルフォンス。お前だけは生かしてやる、お前は知識が豊富だ。まあ、それが仇となってこのような結果になったがな」
私なら、どうにかしてこの状況を打破できるはず。
何年もこの為に生きてきた、そうでなければ……人生が無価値だったことになる。
残り時間は……大体10〜15秒程度か?
この部屋はかなり広い、となれば考える時間ならある。
現在位置は部屋の右よりの中央部分。
エルフォンスはその逆の左側の中央部。
どちらも、物陰から顔すら出せない程にギリギリの位置だ。大理石の床は、動く時によく音が響く。
動く事は得策ではない―――反撃の手段だ。
恐らくではあるが、父の所有している拳銃の種類は回転式拳銃―――いわゆるリボルバーと呼ばれるものだ。
現在の主流となっているのがリボルバーだ。
そもそも、銃の使用自体がされていないのは前提としてだが。
銃は貴族の護身用という面が大きい、それもそのはず。他の一般市民ですら、初級〜中級までの魔法は必ず会得することが義務付けられているからだ。
なぜリボルバーなのか、それは主流となっているからというのが一番大きい。
他の理由としてあるのが、まず単発式、もしくは複銃身式の拳銃を使っているというのはまず考え難いからだ。
単発式は1発ずつ装填する必要があり、実用性に欠ける。複銃身式も銃身が2つに分かれているだけで装填数は変わらない。それにどちらも連射ができない、製造されていたのがだいぶ昔の事で今は入手経路すらあまり無い。
それに、以前にエイマを殺害した際に使用したのは確かに回転式拳銃だった。
私は、幼き頃の記憶を呼び起こした。
リボルバーの利点は、小柄である為に持ち運びが楽な事。弾を装填すれば、トリガーを引くという直感的な操作で放つ事が出来る。
拳銃の訓練などもさほどしていない人間が、扱いやすいのがリボルバーだ。後は弾詰まりらない事……!
リボルバー以外を使う理由があまり見当たらない。
連射力も、我々に必要かと言われると必要ではない。
なら、どうしたら切り抜ける事が出来る……?
リボルバーの弱点は、玉が六発前後しか装填できない事。つまりは六発防げれば後は無防備になる瞬間がある―――と言う事だが現実的ではない。
頭の中で、図を描く。
この部屋の間取りと、現在位置。家具の配置や今父がいるおおまかな位置。
私の現在位置は、部屋中央右部。
本棚は右側に約4つの列がある。逃げるとするのなら、私から見て左側。つまり本棚がある方だ。
だがそうすれば、動いた際に音が発生、私は助かってもエルフォンスが撃たれてしまう。
つまり最適解は、同時に動いて部屋に出る事。
そんなの……できるのか? 言葉を使うこともできない、物音を立てることも出来ない。残り時間は数秒。
顎に指を添え、考える。
…………
―――不可能だ。文字を見せるにしても、私とエルフォンスがいる場所はかなり離れている。それに、まともに書けるものも何も無い。
となれば、やはり応戦するしかないのか……?
完全に付け焼き刃のぶっつけ本番にはなる。
これで、戦えるのか? こんななまくらと魔法で。
いや「?」じゃないんだ。やるしかないんだ、戦うしか道はない。そうだ、この為に訓練してきたんだろう……? やるしかないんだ。
私は、覚悟を決めた。
今すべきは「逃」や「隠」じゃない。
「戦」だ。
「……さて、時間切れだ。2人とも、早くでてこい。エルフォンスもバカな選択をしたな、博識なお前とは思えない選択だ」
父が懐で、何かに触れる。
金属音―――拳銃だ。
そして私も、腰からナイフを取り出した。
戦い始める先手だ。
奇襲攻撃から始め、すぐにかたをつける。
うまく行けば、数十秒で終わる簡単な事だ。
だが、うまく行かなければ
数十秒で『人生』が決まる―――
神よ、どうか我々に力を……!
両手を合わせ、冷水を垂らしながら神に祈った。
「…………、無視を貫こうとするのは愚かな行為だ。何故ならいずれ、その沈黙は破られることが確定してるいるからだ。愚かで野蛮で、実に下民らしい発想だということが浮き彫りになっている。……私は先程から、長々と話をしている。君達はそれを、残りの命だと思うかもしれない。だが違う―――」
「―――じゃあ、なんなんだよ……!」
本棚の影から、一人の女が出てきた。
白髪の、綺麗な顔立ちをしている。
右手には、調理場にあった果物ナイフが握られていた。
「答えは情けだ。お前は既に、死体と然程変わらない存在に過ぎない」
「……っ!」
タリスの眼は、獲物を捕らえた蛇のように鋭く、光っていた。
腹部に向けて、ナイフを思い切り刺す。
父の上等な服が、血に染まる。
間髪いれず、肘で眉間を打ち、体勢を崩す為に膝を―――
音が耳に届くより少し前に、私の右胸に貫かれたような痛みがじわっと広がる。温かな、感触。
血液だ。
「う゛っぼ―――」
これまで出した事の無いような声が出て、私は困惑した。これが、死―――
「―――【水球】っ!!!」
気泡が弾けて、透き通った水が弾丸のように発射された。わずかな視界の端に、エルフォンスがいた。
急な戦闘ではあったが、理解出来たようだ。
「っ゛エルフォンス!!! やつはリボルバーを所持している、残りは恐らく5発―――頼んだぞ!」
かと言って、私も何もしないわけにはいかない。
鋭く、痺れるような痛みの中で私は立ち上がった。
自らの使命を実行するために―――
「―――魔法……やはり想定通りか。予測可能な行動言動。その程度の知能で……私に勝とうと思える頭が心配になるな」
父は、痛みを感じていないのかと思わせるほどに動じなかった。エルフォンスの【水球】が直撃しても、大したダメージはない。
一体何故だ? 父だって、普通の人間。動揺の1つくらい見せたっておかしくないはずなんだ……!
―――果物ナイフじゃ、ダメージは浅かったか。
まあ、それもそうか。
最初から致命打になるとは考えていなかったが、ここまで効かないとは……
回復手段がない今、これ以上の痛手を負うのはかなり不味い。今でさえ、銃弾による負傷で倒れそうだ。
幸い、臓器にはダメージはないようだからなんとか動けているが……
痛みというのは、恐ろしいものだ。それがあるだけで、前に進むのを身体が拒否する。
だが、今は痛みよりもほんの少しだけ殺意が勝った。
「う゛ぉおおおお!!!」
両手で、ナイフが崩れ落ちそうな程の握力で、私は掴んだ。必ず、離さない。
頸動脈を刺す事が出来れば、殺せる。
見定めるんだ、冷静になって、確実に。
「タリス……私は君の力を利用しようとしたが、お前には才が無いのかいくら待てども開花しなかった。何をやっても、凡人以下だな。お前がどれほど無価値なのか、よく分かったよ」
私の動きよりも早く、父はリボルバーを構えた。
この位置で発射されれば、私の頭部が確実に撃ち抜かれる。即死だ。
あと少し、決定打に繋がる一撃が欲しい。
あと、一発でいい……!
それなら―――
右足を前に突き出して、左足は滑り止め。
力を入れて、しっかりと力が伝わるように。
ナイフを、飛ばせ。
左手は照準代わりだ、指先を父に合わせて、狙いを付けやすくしろ。
早く、避けられないように―――
思い切り投げた。
風を切って、ナイフは飛んだ。
父がトリガーを引くより、少し早く。
私の狙いは、首でも頭でもない。
たった一つ、確実な所。
ここを傷つければ、一時的に父は無力になる。
手だ。
「なっ……!」
拳銃の発射音、私の頭は無傷。
弾道は、ズレた……!
「誤算だったようだな。お父様?」
果物ナイフといえど、手入れは欠かしていない。
それに、本来より研いでいる。
殺害には向いていないものの、手を傷つけるくらいなら当たり前にできる。
「まあ、果物ナイフで手を切る人間だって多いからな。仕方のない事だよ、そんなに悔やむことはない、だろ? 凡人以下の私に、計算外の行動ができるはずもないしな?」
先は、父の腹部を軽く斬った。だがそれだけでは内臓にも達していなかったからか、ダメージはあまりなかった。あれでも、かなり痛みはあるはずだが……
流れ出る血液、握力の低下によって、地面に拳銃が落ちる。
父は、手に刺さるナイフを見て眉をひそめ、舌を打った。
その行動には、些細ではあるが動揺が見られた。
動揺……想定外だったのか?
まあ確かに、ここまで正確に、細かい狙いをつけて投げる事が出来るなんて思わなかったんだろ。
だがな、舐めてもらっちゃ困る。
果物ナイフの扱いは、誰よりも得意な自信がある。なんせ、何年も愛用してきたからな。
その隙に、エルフォンスが走る。
攻撃の発射箇所を特定しづらく、不確かにするためであろう。今の父であれば、もしかしたら本当に……!
「チッ、……お前の投擲技術を見誤ったか。だがなぁ、この程度の被害、痛みはさほどのものじゃない。勘違いするな……!!」
ナイフを地面に叩きつけて、拳銃を拾う。
玉は、残り4発。
再装填の暇はなかった。
父は確実に、次の弾を撃とうとする。
それは、避けなければならないな。
父は苛立ちは隠さずに、拳銃を再び向ける。
「傷を付けれたからと、油断しすぎたようだな。さっさと死ぬが吉だ」
「油断してるのは、そっちも同じだがな……! 私にばかり、目を取られすぎだ」
それを聞き、父の額に冷たい水が流れる。
こいつはさっきから、私にばかり目を取られていた。
エルフォンスには見向きもしていなかった……!
理由は分からないが、好都合。
頼んだぞ……! エルフォンス!!
咄嗟に父が警戒を強めるが、もう遅い。
「【氷の螺旋】……!!!」
「……!」
なっ!? 何故その魔法を―――
一体どうなってるんだ。
だが、これは良い……! エルフォンス、本当に頼りになるよ。君は!!!
螺旋状に発射された氷の刃が連続して父の身体に突き刺さる。傷口が凍りつき、動きを止める。
やはり氷魔法は効果的だ。だがこの程度の魔法だと、精々止められても数秒といった所。
決着は、早めにつけよう。
動きが止まっているのなら、仕留めるのは簡単だ。
あとはナイフを首に刺すだけ。
これで、後は街から脱出するだけだな。
「エルフォンス、ありがとう。少し待っていろ、すぐに片付ける」
地面に落ちていたナイフを手に取り、強く握る。
これまでの恨み、全てを込める。
一歩ずつ近づき、静かな図書室内に足音が鳴り響く。
「父さん、今日まで育ててくれて感謝するよ。さようなら」
ナイフは父の首に深く刺さった。
これで……終わりか。
随分と呆気なかったな、まあこれが長年の訓練の成果か。とは言え、傷が痛むな。
先程までは父を殺すために精一杯だったからか、痛みを忘れていたが……
物凄く痛い、しかも目の前がぼやついている。
脱出する前に倒れてしまえば、私は即刻処刑だ。
まだ、終わっていないんだから……
「【癒やしの風】」
温かな緑の光が、私の胸を包み込む。
どんどんと痛みが薄れていく感覚。
「まさか、回復魔法まで習得したのか? 本当に、凄いやつだよ君は」
そう言うとエルフォンスは少し照れながら、にこにこしていた。
「そういえば、さっきの魔法……一体どうやったんだ? まだ覚えていなかったはずだろ」
「さっきタリスが頑張ってくれてる間、私魔法書を見てたんだ。そこに【氷の螺旋】が書いてあって……一か八かでやってみたんだけど、上手く出来たみたい!」
「そ……そうなのか。【癒やしの風】も、そういう理由か?」
エルフォンスは頷いた。
彼女の才能に驚きながらも、いまはここから脱出しなければならない。そっちに集中だ。
父の亡骸を見ながら、この部屋を後に―――
「……【禁死爆・戦終】」
亡骸は、まだ亡骸ではなかった。
首を、確実に刺したはずじゃ……!!
父の身体が眩いほどに発光した、まさかこれは―――
「自ばっ―――」
その瞬間、轟音と高熱の光が辺りを包みこんだ。
最後に見えたのは、私を守るエルフォンスの背中だけだった―――
爆発と共に、私の身体は館の外へと飛んでいった。
痛みなんてなかった。あったのは、自分に対しての怒りと、悲壮感。
そして、心配。
目の前は、街だった。爆発の衝撃で、上空まで飛ばされたのか。あの規模の爆発……大魔法使いや魔物が使うような魔法だ。
くそ……しっかりと殺すんだった。
甘かった、くそ……くそ。
涙が、ぽろぽろと空中に落ちる。
地上にいる人からしたら、雨のように思えるだろうか。
いや、どうだろう。
もうみんな爆発に巻き込まれて死んでしまったのかもしれない。 分からない、だけど……
私は……生きている。
落下による衝撃で、恐らく死ぬけれど。
エルフォンス……ごめんなさい。
私のせいで、こんな目に。
意識が……もう。
薄れていく、その意識の中で。
私は、館から飛び出す巨大な魔物をみた―――
◆ ◆ ◆
頭がくらくらする。
何の音だ、騒がしい。馬の足音、擦れ合う金属音。
まだ……生きている。
飛び上がるように起きると、目の前には大量の兵士が居た。
「君やっと起きたのか。この街の住人だろ? 一体何があったんだ、バラモーフ兵は全滅だ。あの大型の魔物もなんだ……分からないことだらけだ! 何か教えてくれ」
私は、なんで生きている。
自分の頬をつねると、痛みがある。
手を見ると、傷がない。
服は、新しくなっている。
……助けられたのか。この兵士達に。
水に落下しても、だいぶ傷は負うはずだ。
なら一体、どうやって彼らが来るまで耐えた……?
それに、バラモーフの街はやはり全滅か。
館から出ていた魔物、あれはなんだ? 見たこともなかった。新種の魔物……だろうか。
「おい姉ちゃん。さっさと答えろ、じゃねえとテメェも斬り殺すぞ!」
「今は呑気に考え事している時間はないの、何か知っているなら早く―――」
分かっている、少し考えさせてくれ。
私だって分かっている。そんなゆっくりしていられる状況じゃないって。
「私は……タリス・アレリンドット」
私の口が、開いた。
ざわめきが収まって、皆の目線が私に向く。
老兵士も、女兵士も。
魔法使いも、皆こちらを向く。
「この爆発は、私の父であるカレブルス・アレリンドットが引き起こしました。恐らくではありますが、あの大型魔物もその影響によって出現したものだと思われます。私は父の近くにいましたが、その際の爆発から運良く生き残る事が出来、ここに居ます。父は自身を犠牲とした巨大自爆魔法を使用して、街全体を崩壊に導きました」
まだ若い少女が、ここまで冷静に、そして詳しく状況を説明する様は兵士皆の心に残った。
全ての状況を把握した兵士達は皆、一つの目標に目を向ける。
「んじゃ、あのデカい魔物を殺せばいいんだな」
大柄の男が、剣を持ってにやけた。
だが、私はそれを止める。
今の私には、ある自信があった。
「あの魔物は、私に任せてください」
体内に巡るこの熱い何か、これが何なのかは分からない。なのに何故か確信している。
私は神術を手に入れた―――
兵士の大軍の中を突き進んで、焼けただれた街に進む。私は、奴を倒さなきゃならない。
静止の声と、実際に手を掴んで止める者。
それら全てを振り切って、私は館の前に立つ。
「エルフォンス……君なんだな。私を落下の衝撃から救ってくれたのは……」
深呼吸をして、紫色のドロドロとした魔物を見つめる。巨大な龍のようだな。
一見すれば、あれはただの魔物。
だが私にはわかる、あれは―――
「……そして、父さん。絶対にお前を殺す」
エルフォンスの、エイマの……みんなの仇。
絶対に許さない。
「皮肉にも、結局お前の望み通りになってしまったよ。神力、神術……まだ扱えそうにないが、今は使える気がするんだ」
手のひらを父に合わせて、ゆっくり息を吸う。
吹く風が、髪を揺らして止まない。
「神術解放……!!!」
■ ■ ■
「―――タリス、起きろ。返事しろよォ、焼けちまってるけど……生きてんだろ」
朧げな意識の中、聞き馴染みのある声が私の耳に届いた。痛い、刺すような痛みが全身にある。
けれど何故だろう、私の心は温かい。
走馬灯のようなものを見た、私の始まりを。
何故あんなものが……
エルフォンス……彼女は今元気だろうか。
いつかまた会えたなら、礼を言いたい。
彼女の救ってくれた命を、エイマが救ってくれた命を大切に、だな。
「……ガッ……ケル。元気、だったか」
うるさいほどの、叫び声。
いいや叫んでいるんじゃない、安堵しているのか。
そんな声だ。
私の傷口に、ぽつぽつと落ちる冷たい水が染みていた。痛いけれど、痛くない。
温かい気持ちに、私は包まれた。




