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恋坂峠  作者: 杉下栄吉
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おまつを救う

 おまつが善吾郎親分の家に軟禁されて2日たった。いつもなら彼女と逢引きするはずの11日だったので会えるはずはないが恋坂に行くことにした。船の渡しで九頭竜川を渡り、半里ほど歩くと恋坂のふもとの諏訪間集落である。そこからは坂道を上るが道はそう長くはない。しばらくで頂上に着いた。頂上で前方を見渡すと松岡の町が眼下に見え、前方には九頭竜川の扇状地である御陵ヶ島の合月や末政、さらに福井の城下町から三国の港までが見える。振り返ると諏訪間の先に古市、さらには九頭竜川をはさんで鳴鹿や久米田が見える。


 おまつと来ていた時にはおまつの顔や腕、胸などを見ることで精一杯で周りの景色など見る余裕はなかった。改めて眺めてみると美しい景色である。しかしそんな景色に見とれている余裕はない。おまつは女郎屋に売られてしまうのだ。夫婦になる約束もしていた娘が父親の博奕の借金のカタに女郎になるなんて、耐えがたいことだった。伊太郎に財力があれば金を出して身請けをすればいいことなのだが、田舎の小さな旅籠屋の次男坊にそんな才覚はない。どうして良いか途方に暮れるばかりで鳴鹿方面をボーと見ながら頂上の大きな石に座り込んで考え込んでいた。


 するとそこに諏訪間側から菅笠に僧衣を着た修行僧が登ってきて、息を切らせて伊太郎が座っていた石に座り込んできた。伊太郎はまつのことで頭はいっぱいだったが、少し他の人と話して気を紛らわしたいと思ったので話しかけた。

「お坊さんはどちらから来られたんですか?」

と聞くとそのお坊様は

「私はこの峠を降りた松岡の天龍寺で修行をする栄心という坊主です。今日はご住職のお使いで永平寺に行ってきた帰りです。」

と答えてくれた。

「私は鳴鹿村の秋田屋の息子で伊太郎と申します。いつもここで定期的に人に会っていたんですが今日は特別な事情で来れないんです。」

と答えた。栄心は

「その事情というのは大変なことなんですね。不安な感じに見えるんだけど、その人は女かい?」

と聞いてきた。

「その顔は女だな。若いって言うのは良いことも多いけど、つらいこともたくさんあるよね。どんな悩みがあるんだい。少し話してみたら気持ちが楽になるかもよ。」

と言ってくれた。


「俺は子供の頃にうちの店に奉公に来ていたおつきという3っつ上の年の女に熱を上げてたんですが、その女がもっといい年頃の女を紹介するという事で3年前から付き合ってきたのがおつきの従妹のおまつなんです。しかしそのおまつが女郎屋に売られることになってしまったんです。彼女の父親が博奕にのめり込んで8両も借金を作ってしまったんです。家も土地も自分のものではないから娘を売るしかなかったらしいんですが、俺たちは夫婦になる約束をしていたんです。うちの親父が承知しないのでなかなか祝言は上げられないんですが、いざとなったら駆け落ちでもするつもりでした。なんとかおまつを救い出す手段はないですかね。」

相談する相手が修行中の僧侶では金など持っているはずがない。托鉢して食い扶持を集めて回るほどだ。しかし栄心は

「借金は誰にしたんですか。そして今彼女はどこに囲われているんですか。」

と聞いてくれた。伊太郎は藁をもつかむような気持ちで

「川向こうの鳴鹿にある賭場の善吾郎親分に借金して、今はその賭場の敷地にある親分の屋敷にいるはずです。」

伊太郎の言葉に栄心はしばらく考え込んだが、

「金で身請けすることは難しいんだよね。だからなんか方法を考えないとその娘を救えないわけだ。でもただ悩んでいてもいい考えは浮かばないから君が持っている酒でも飲ませてくれないかい。」

と言って遠くを眺めていた。伊太郎は飲みかけていた吸筒の酒を栄心に注ぐと栄心は

「私はいろんなところで狂歌を詠んでいるんだ。」

と言って周りを見渡した。すると栄心は遠くを眺めながら

「なるか(鳴鹿)とてひとつくめた(久米田)としひさかい(志比堺)

     むこふあひつき(合月) こなたまつおか(松岡)」

と詠んだ。


後日、集まって手段を探るという事で伊太郎と栄心はその場は別れた。伊太郎は店に戻るとおつきを呼んで店の外で恋坂峠で栄心という僧侶にあったこととその僧侶がおまつを助けるためには何か策を講じないと助けられないと言ったことを話した。そして明日その僧侶に会うために松岡の天竜寺に行くから一緒に来てくれないかと頼んだ。もちろんおつきは承諾して天龍寺に行くことにした。


 天龍寺は松岡藩が出来た時に松岡藩松平氏の菩提寺として建立されたお寺である。松平昌勝をはじめ歴代の松岡藩主の墓が建てられている。松岡藩は福井藩の後継者がいなくなったときに時の松岡藩主が福井藩主になったため、福井藩と合併して消滅してしまった。しかし天龍寺は由緒ある寺で元禄年間には松尾芭蕉が奥の細道の中で、吉崎の汐越しの松を見た後、この天龍寺で1泊して句を呼んでいる。

 

 鳴鹿から松岡まで1里ほど約半時の道すがらだったが、伊太郎とおつきは複雑な心境で歩いていた。おまつのことを思うと笑ってはいられないが、お互いまだ嫌いではなく、本当の気持ちを隠している間柄なのでウキウキする気持ちも心の奥にあった。寺につくと寺坊の扉を開け栄心を訪ねたことを告げた。するとしばらくして僧衣姿の栄心が現れて

「この人がおつきさんかい。やっぱりきれいな人だね。お前の言うとおりだ。とりあえず本堂で話そう。」

と言って本堂の階段から中に入るように促した。2人は栄心の言葉通り天龍寺の正面の大階段を昇り、本堂の中に入り御本尊に正対して正座し、手を合わせて礼拝した。すると

「ここまでの道のりはどうでしたか。」

と聞きながら栄心が入って来た。大きなお寺で本堂もかなりの広さがある。参拝者もいなかったので静寂の中で3人の話し合いは始まった。

「この寺には昔、松尾芭蕉が来て泊まっています。本堂階段脇に芭蕉の句碑が立っているのを見ましたか。」

栄心の言葉に伊太郎は不思議そうな顔をして

「そんなもんは気が付きませんでしたが。」

と学のないところを露呈した。

「松尾芭蕉は元禄年間の有名な俳人ですが、彼は金沢からここまで弟子の北枝とともに来ています。その北枝とここで別れなくてはいけなかったので別れの寂しさを『物書きて扇引き裂く余波かな』と詠んでいます。ご存じでしたか。」

と聞いてきた。2人は顔を見合わせてわからないと言った表情を表した。

「では本題に入りましょう。女郎屋に売られてしまうおまつをどうやって救い出すかという事でしたね。3日前に借金のカタに監禁されているので買い手がつくのはすぐでしょう。でも出来るだけ高い値段で売ろうとすると難航するかもしれません。8両のカタで手に入れた娘でも10両以上で売ればそれだけもうけは大きくなりますから。正攻法では助けられないでしょうね、相手はやくざですから。下っ端のチンピラが守っていそうです。チャンスは鳴鹿の渡しを船で渡ろうとする瞬間ではないかと思うんですがどうですか。」

栄心の提案に伊太郎は歩いているときはやくざに囲まれていたら手も足も出ません。でも船だったら少しはチャンスがありそうですね。」

伊太郎の言葉におつきは

「船でもやつらは何人も寄ってたかってくるのでそう簡単ではないと思います。いっそ船を転覆させたらどうでしょう。」

こんな時、女の方が大胆なことを考えるなと伊太郎は感心した。栄心は

「そうだね。伊太郎さんはどうせ駆け落ちすることも考えていたんですから、流れに任せて海まで逃げていくというのは案として面白い。でもどうやって船を転覆させるか。しかもどうやっておまつさんが死んだと思わせるのか。かなり難しいね。」

と2人の顔を見渡して語った。その時おつきさんは

「嵐の後の水かさが増した時に彼女が船に乗せられるようにすればいいんですよね。そして、船頭はその日だけ伊太郎さんが交代してやるの。護衛のやくざたちはみんな若いから転覆しても何とか岸に泳いでたどり着くわ。だから伊太郎さんはおまつさんと伊太郎さん自身と2人分の救命用具を忍ばせて川の真ん中で転覆させるの。どう、この計画?」

いい考えが浮かんだとおつきは上機嫌だった。

「水かさが増した時に会わせておまつさんを女郎屋に送るために船に乗せさせるのは具体的のどうするんだ。」

伊太郎が質問するとおつきはうつむいて考えが準備してないことを露呈した。僧栄心は冷静な表情で2人に語った。

「それは何とかなるんじゃないかな。善吾郎親分がどこの女郎屋に話をつけているかさえわかればその女郎屋から手紙が来て明日までに送り届けてくれとかなればいいわけだろ。幕府の隠密なんかが使う手段じゃないか。任せておきなさい。」

と言ってほくそ笑んだ。


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