訪問キス
ピンポーン
「はいはい……誰だよ、こんな朝早くから」
そうぼやきながら、早朝に鳴ったインターホンに対応するために彼は玄関のドアを開けた。するとそこには―――
「よっ!来ちゃったわ」
「よく、朝早くから……」
彼の恋人である喜瀬川アリスがいた。
時刻は6時ほど。母親はとっくに朝ごはんを作るために起床しているが、真司はまだ起きたばかりの時間だ。
少しだけ不安なことがって眠ることができず今日は早めに起きてしまっていたが、アリスが来ることは完全に想定外だった。
「なにしに来たんだ?登校はあと1時間くらい後だぞ?」
「わかってるわ。私はあなたの朝の顔を見に来ただけよ―――ちなみに朝ごはんはもう食べてきたわ」
「本当に何しに来たのか目的が分からん」
アリスはわけのわからない要件を伝えると、そのまま真司の家の中に入っていく。リビングに行くと、真司同様まさかこんな時間に来るとは思っていなかった明音が驚いた。
「あ、アリスちゃん!?え、今日来る予定だった?真司からなにも聞いてないんだけど……」
「あー、違います。私が真司の顔を見たくて来たんです」
「そう……あんな奴の顔を見たいだなんて物好きもいるもんだね」
「おい、聞こえてんぞ!」
「お義母さん、真司はお母さんに似てイケメンですよ」
「あらやだ、イケメンだなんてよしてくれよ」
アリスにイケメンと言われて、料理中ながらも全身をくねくねとさせる真司の母。確かに、美女と言うよりは、凛々しい顔立ちをしている。イケメンと言われて喜ぶのかはいささか謎ではあるが、彼女的には嬉しい言葉だったらしい。
「母さん、その発言はキャラが定まってないよ」
「うるさいね。私も容姿を褒められるのは悪い気しないんだよ!」
「ふっ……」
「あ、なんだその笑いは!」
そんな風に体育祭の朝だというのに、彼が少しだけ楽しそうな笑顔を見せることに安心を覚えつつも、親に対しての態度がなっていない息子を怒ろうと、家の中が騒がしくなるのだった。
しばらくして、真司と明音は席につき用意されたご飯を食べ始める。アリスはと言うと、頬杖をつきながら真司の食べる姿を恍惚とした表情で眺めていた。
「く、食いづらい……」
「気にしちゃだめよ。私は真司の幸せそうな姿だけで興奮できるわ」
「俺の母親がいるのに、よくそんなこと言えるよな」
「愛させあれば、なんでもできるのよ」
「はいはい……」
ものすごく食べづらい空気ではあるが、特に害をなしてくるとかいうわけではないのでできるだけ視界に入れないように食べる。しかし、どうしても自分の顔を見るだけで、恍惚と幸せそうな顔をされるのは気が散って仕方がない。
ただ嫌な気がするわけではない。
「ん……?興奮できる……?」
「そうよ、もう私のお腹の中はジンジンに熱を持ってるわ」
「すぅ……ごちそうさまでした」
「あ、無視しないでよ!」
思い出したように不思議なことを口にすると、アリスが下ネタまがいのことを言ったので、完璧なスルーをかます。しかし、それをスルーされるのが一番きついとばかりに洗い場に彼女がついてきた。
「真司、私、選抜リレーに出るのよ!」
「知ってる」
「選抜ってことはみんな速いのよ」
「そうだな」
「もー!私が選抜に―――」
洗い場に皿を置き終えた真司は、アリスがなにかを言い終わる前に頭に手を置く。
突然のことに彼女も驚いて、口をパクパクさせるだけで黙ってしまう。
そのまま彼は、優しく撫でるように手を這わすと言った。
「―――頑張れ」
「っ!?」
不意打ちだった。言ってほしかったけど、まさか焦らしてからこんなに甘く言ってくれるとは思っていなかった。彼の手つきで、頭が蕩けてしまいそうだったが、それでもなんとか理性を保とうとしながら話す。
「な、長いわよ……こういうのは、沈黙に耐えられなくて『ご、ごめんっ……』って、手を放すところでしょ!」
「アリスは気が強いけど、甘えたがりなところあるでしょ?だから、頭撫でられるのも、好きな人にしてもらえるなら嬉しいでしょ?」
「う、うっさい!」
図星だった。
ナデナデがものすごく気持ちよいこと。心地よく、心がどうしようもないほどに落ち着いてしまうこと。すべてを彼に見透かされている。すごく甘えたい。でも、一番彼が辛いのに、アリスができるはずがなかった。そんな押し殺してきた気持ちを一瞬で引き出してしまう彼に、彼女は意趣返しとばかりに真司の顔を思いっきり挟み込む。
「な、なにを……?」
「お返し―――っ!」
頭にのせられた手を振り払ってアリスは、彼の唇に飛びついた。
ねちゃっと湿ったもの同士がぶつかるが、音なんてものは気にもならなかった。二人にとっての幸せが、その場で起きていたのだから。
ものの数秒―――その間とはいえ、確かに重なった二人は、恥ずかしくて顔を合わせることができず、アリスに関してはリビングから逃げ出してしまう。
残された真司も、顔を真っ赤にしてその場に硬直してしまう。
そんな時間が停止したような空間に明音はツッコミを入れる。
「あたしがいるってこと忘れてないかい?」
「うるっせ……こっちはもういっぱいいっぱいだよ」
「まあ、でもよかったよ。お前たちが思ったよりも恋人してて」
「してないと思ってたのか?」
「お前の考えることくらいわかるんだよ。真司には、あたしの血が流れてるし、あのバカよりあたしの血が色濃く出てるからね。なんとなくなにを考えそうかわかるもんさ」
「そういうもんなのか?」
「まあな。これでも18年、母親やってきてるんだ」
そう言って明音は安心したような表情を見せる。
彼女は不安だったのだ。アリスとうまくやっているのかとか、幸せに生きているのか。
彼の幼馴染との関係を捨てて、どんどん腐っていく姿を見ていた彼女としては、アリスは唯一の救いの一筋ともいえる。だからこそ、彼らがどんな付き合い方をしても文句は言わないし、もしアリスを孕ませでもしたら、明音が責任を取るつもりだ。
それくらい、大切な一人息子で、なによりも優先するべき宝物なのだ。
そして、真司と言う男は明音と言う母にとって、世界の救世主の運命からけっしてにげることをせずに戦い、人を助けようと奔走できる誰よりも誇らしい息子なのだから。




