幸せ運ぶ
アリスの母は、リビングで食事をしながらテレビを見る娘に質問をする。
「ねえアリス―――なにか知ってるんじゃないの?」
「……なんのこと?」
「隠さなくていいのよ。もう疑いようがないほどに、最近のあなたの行動がおかしいのよ」
「……」
「あなた、この町に来てから本当に変わったわ。恋の甘さを知ったような幸せそうな顔をしていたかと思えば、いつの間にかずっと辛くて苦しそうな顔をしている。ねえ、あなたはなにと戦ってるの?」
そう言って、アリスの母は彼女を問い詰めた。
アリスはなにを詰められているのかわからず困惑しているが、あまり余計なことを言うと大変なことになりそうなことだけは察していた。
「真司君―――だったっけ?あの子が関わってるんでしょう?もしかして、彼が……」
「違う!あいつはなにも関係ないわ!」
「―――嘘をつくときにムキになる癖、私が知らないと思った?ううん……嘘をつくときだけじゃない。都合の悪いことを知っていて、知られたくないとき、あなたは普段出さないような声量で大声で制そうとするのよ」
「わ、私はなにも……」
「そもそも、あなたがなんの理由もなくすぐに男の子を好きになるなんておかしかったのよ。なにか大層な理由がない限り……」
「それは……」
もう母親は感づいている。
こう言ってはいるが、アリスは彼女の母親がニュースの人物の正体を半分気づいている。
天才肌の彼女を産んだ母も、勘が鋭く、恐ろしいほどに物事を肌で感じ取る人だ。
正直、アリスはこの人に隠し事ができるのは時間の問題だということくらいはわかっていた。だが、彼女の母にとって自分の感じたことは、あくまですべてが事実というわけではない。
だからこそ、アリスから聞きたいのだ。
―――せめて、娘がなにで苦しんで、なにを悩んでいるのかを娘と共有したいのだ。
「私はね、後悔してるの。あなたに辛く当たってしまったことを―――才能を妬んで、母として最低なことをしてしまったのよ。だから、せめてこういう時くらい、償いをさせてほしい。あなたが一人で苦しむくらいなら、私を頼りなさい」
「ママ……」
そんな母の力強い言葉、態度―――そしてなにより、その目を見てしまったら、真司のことですっかり疲れてしまった彼女は、無意識にすべてを話してしまっていた。
すべてを聞き終えた母は、一呼吸置くと言った。
「そうね……だいたい想像通りだったわね」
「驚かないの?」
「そうね。彼がどんなに罵倒されても守るという意思を貫き通すのはすごいと思うと同時に、驚きもあるけど……正直、あなたが彼を家に連れ込んだ時点でわずかな違和感くらいはあったのよ」
「なによ……結局、親子なんじゃない……」
「ん……?」
母も見てわかるような驚きはなかった。そう、あの時のアリスのように。
なんとなくわかった上で聞いたせいで、相手が思うような驚きがない。そういうところは素直に親子だと嫌でもわからされてしまう。
「真司君にお礼を言わないとね……で、アリスはどうしたいの?」
「どう、って……」
「真司君のこと、好きなんでしょ?」
「でも、あいつは先なんてないから、私の好意なんて……」
「いいのよ。さっさと襲って、彼の子をこさえてしまいなさい。そうすれば、彼が亡くなっても、彼の血―――彼の子供があなたのお腹に宿るのよ。好きな人の子なら、成長を見守るのも自分のことのようにうれしくなれるわよ」
「まるで知ってるみたいな口ぶり……」
「知ってるわよ。現在進行形で経験してるんだから。だって私、あなたが恋を知って乙女の顔になってる姿を見るの、すごく嬉しいわよ」
そう言って彼女の母は、アリスの手を取る。
決して痛くはない。だが、心地よいとは言えない力でぎゅっと握られたアリスは、なぜだか涙が出てきて止まらなかった。
「ぐすっ……す、好きになった人に、拒絶されるのってあんなに辛いのね……」
「そうね。でも、失恋じゃないわ。だって、彼もアリスのこと好きに決まってるわよ」
「そう?―――なら、嬉しいわね……ずず……」
別にアリスは、真司が助けてくれたからと好きになったわけではない。
彼の気概、勇気―――そしてなにより、みんなを助けようとする優しさを見たからだ。
ただ一人で戦って、誰に何を言われても自分は力を持っているし、わかってもらう必要もないからと一人でい続ける彼。
どこかその寂しそうな背中を見るたびに、アリスは胸が締め付けるような感覚を覚えた。
それは同情などではない。
悲しそうにたたずむ彼を支えたいと、純粋な愛情だったのだ。
そんな感情など、言われなくてもわかっている彼女は―――いや、わかっているからこそ、死に行く彼に男女の付き合いをしてほしいと言えるはずがなかった。
だから、悩んで拒絶されて、彼のことを思い続けて―――彼の幼馴染に手を出されても、彼女は怒れなかった。
叫んで叩いて―――どんなに怒りの表現をしても、彼女に残るのはただの悲しさと空しさだけだった。
「ママ……私、どうすれば……」
「当たって砕けなさい。―――彼がいずれ死ぬことになっても、それは幸せを享受してはならない理由にはならない。彼が幸せを拒んで遠ざけるのなら、あなたが真司君に幸せを届けてあげなさい」
そう言いながらアリスの母は彼女の手を取る。
それは優しく、小さくて大きい手だった。
「たとえあなたが彼との子供をお腹に宿してしまっても、私とパパがあなたを支えるわ。―――だから、あなたのやりたいように彼を幸せにしなさい」
「……わかった―――ママ、今から」
「行ってきなさい。ヒーローの正体を知っているのは―――助けられるのは、この世であなた一人なんだから」
その言葉を聞いて、アリスは家を飛び出した。
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ビー!
「いったん休憩は入れー!」
ブザーが鳴った後、水泳部の監督は部員たちに休憩に入るように促した。
その言葉の通りに、生徒たちは一旦プールから上がり、水分補給など休憩に入る。
そんな中、監督は一人の生徒に近づき声をかけた。
「加藤、お前最近調子悪いのか?」
「い、いえ……まあ、最近はちょっとタイムが出てこなくて……」
「しゃんとしろよ!あいつみたいに逃げるんじゃないぞ」
そう言って監督は水泳部のエース―――加藤のそばを離れていった。
「逃げる……か」
「加藤君、大丈夫?」
「……」
「加藤君?」
「―――あ!?ああ、唯咲か……」
「最近調子悪いみたいだけど、どうしたの?」
「はは……まあね。俺だってスランプの一つや二つくらいあるよ」
言いながら彼は笑いの表情を作って見せる。
だが、その張り詰めた笑顔は逆に唯咲を心配させることになる。
「なにかあったのなら相談して―――なんとかして見せるから」
「いいよ―――さすがにこれはどうしようもない……」
「教えて。どうしたら、加藤君の悩みを解消できるの?」
「―――じ、じゃあ……無理だとは思うけど、俺は十神と一緒に泳ぎたい」
「加藤君……」
「俺はあの時にあいつにあこがれて水泳の世界に入ったんだ。あの時の大会―――あいつが一番輝いてた。それにあこがれて俺もその背中を追いかけてきたのに、いつの間にかその背中はなくなってて……」
唯咲に、真司のどの姿を彼が見ていたのはわからない。
だって、真司はいつだって泳いでいるときは輝いていた。誰よりも強く、楽しそうにしている彼の姿は、誰の目にも美しく映ったはずだ。
「さすがにそれは……」
「そうだよな。あいつはケガで……」
「でも、聞いてみるだけ聞いてみるよ。さすがに全力は無理でも、もしかしたら軽く泳ぐくらいなら……」
「え、ちょっ!?唯咲さん!?」
加藤の言葉で部室のほうに向かっていく彼女を引き留めようとするが、彼女はなにかを決めたような顔をして去っていく。
「お、おい、マネージャーどこに行くんだ!」
「ポンポンペインでマジテン下げなんでおうちにゴーします!」
「な、なに言って……お、おい!」
こうして、唯咲美穂も真司の家に向かっていくのだった。




