SMART, CUNNING, AND LOVELY
長谷川がラウンジに姿を消した後、ようやく真司は周りの状況を見ることができた。
数々の刺すような視線な視線。なんでここにお前がいるんだといわんばかりの目つきの者たちばかり。そして、水泳部のはずなのに、見慣れた男の姿がない。
「加藤の姿がみえないんだけど?」
その言葉が周囲の反感を買ったのか、部の人間たちは一気に神事に詰め寄ってくる。今の彼の状況をちゃんと理解できていないからでもあるのだろうが、けが人にするような仕打ちではない。
アリスがなんとか壁になることで、真司に直接手が届くことはなかったが、部の人間からは「女の陰に隠れるな」だとか「女に頼ってばかりの弱虫」だとか、低俗な言葉が飛び交う。
「なんだこの部は?―――俺が辞めた後に、ずいぶんと低俗な部になったもんだなあ?」
「「「なんだと!」」」
「人の迷惑も考えずに喚き散らすだけ。やめてよかったよ。こんな弱いだけでイキり散らかす部なんて」
「お前と違って、こっちは努力してるんだ!」
「やめたやつがしゃべってんじゃねえぞ!」
真司の火に油を注ぐ様な発言に、男部員たちはヒートアップしていくが、彼は冷静なままだった。まあ、けんかを吹っ掛けるようなことをしているのだから、イラつくもなにもないだろう。
ちなみに女子部員は困惑の表情を見せている。
男子たちがここまで燃え上がっていること然り、彼らほど真司に強い思いは持っていないから。強いて言うならかわいいかわいいマネージャーを泣かせたことくらいだ。
先ほどのように熱くなる女子部員のほうが珍しいくらいだ。
「何が努力してるだ―――加藤以外に表彰されてるの見たことないんだけど?やめたやつがしゃべるなといったな?結果も出せない雑魚が俺と同じ立場に入れると思うなよ?」
「こいつっ!」
真司の物言いに誰もが怒りを覚えるが、結局野放しにするしかない。
彼の言う通り、勝とうと信じ以外に水泳部で表彰台に上った者はいない。
結果を見るなら、来年には部費を大幅に減らされてしまうことは明白。真司からしてみれば、長谷川ほどじゃないにしろ、高校の水泳部はそこまで質のいいものじゃない。
真司と加藤が輝いたのは、まぎれもなく2人のセンスと才能だ。
それがわからない者たちではない。
痛いところを突かれれば、何も言えることはない。いや、いう権利などないのだ。
言ってしまえばそれが選手の世界。強くなければ何を言っても響かない。そんなヒエラルキーの上に真司は存在していた。そして、その影響はいまだに残っている。同年代には青の絶対王者とも言わしめるような圧倒的な記録の数々。
ここらへんじゃ有名すぎて、辞めた今でも真司のいる部活といわれるほどのものだ。
わかっていても、それが胸糞悪い。
真司がいない今、部を運営しているのは自分たちなのに。
そんな状況であるというのに、真司が喧嘩を吹っ掛けてくるような物言いをしてきた。怒っても仕方のないことだった。
しかし、アリスにも譲れないことがあった。
「やめたからなによ……」
「……あ?部外者は引っ込んでろよ!」
「けがでやめたのよ!なんで真司が責められなきゃいけないのよ!」
「そ、それは……マネージャーでもやれることはあっただろ!」
「バカなんじゃないの!自分ができないのに、なんで他人のしている姿を見なきゃいけないの!?むなしいってことがなんでわからないの!?本当に―――なにもわかってないのはそっちじゃない!」
今まで静かにしていたがゆえに部員たちは後ろに引いてしまう。何かを言い返そうとしても、彼女がにらみつけ先手を打たれてしまう。
誰も言い返せないことを確認したアリスは、そのまま真司の手を引いて去っていく。
ほかの部員が見えなくなってから、アリスは少しだけほかの空港利用者に見えなくなるように物陰に移動し、彼に口づけをした。
優しく、傷つけないように―――そう思って口づけをしたら、なぜかアリスの瞳から涙が流れていた。
「なんで泣いてるんだ……」
「いいじゃない。あなたのために泣ける女―――いい女じゃない」
「はぁ……ありがとうな。俺の言えなかったこと、言ってくれて。正直、さっきも売り言葉に買い言葉みたいなところがあったから、今まで言えてなかったことだし」
「いいのよ。私は、そのつらさがわかる。そういうのをすぐそばでたくさん見てきた」
「本当にありがとう……大好きだよ……」
ふと漏らした彼の言葉。中々珍しい言葉が聞こえた。
涙を流していたアリスは、泣くことをやめ、目にもとまらぬ速さで首を上に振り上げた。
「今なんて言った?」
「……なにも言ってない」
「言った!」
「言ってない!」
絶対にもう一度言わせたいアリスと、恥ずかしくてもう言えない真司。
お互いに譲れないもののために言った言ってない論争を繰り広げるが、それはアリスの一手で決まった。
唐突に彼の唇にキスをした。
先ほどとはわけが違う大人のものを。
少しだけ2人の頬は赤くなるが、何しゃべらない。
何もしゃべらずに、お互いの時間をかみしめる。
「ふぅ……言ったでしょ?」
「ったく……大好きだよ―――ずるいだろ、こんなの」
「私はずるい女よ。あなたのためなら、何でもする。愛する者のためなら、お金だってあげるわ」
「遠慮しておく。俺はヒモにはなりたくないからな」
「あら?愛おしくなっていいのに……」
「そんな目をされても、俺はならないぞ」
言い合いになっても、恋人のじゃれあいのようなもの。すぐにお互いのペースを思い出す。
誰からも理解されなくていい。誰からも同調される必要はない。
ただ二人の愛が続けばいい。それだけで真司は心を保つことができる。たった一人の自分の恋人―――母とは違う、新たな家族。
「離陸の見送りしてく?」
「そうだな。見送りは最後までしたいな。ようやく腕の感じも戻ってきたし」
「そう、行きましょうか」
「だな」
そうして、二人は離陸の瞬間を見届けられる場所に向かっていく。それまではまだ少しだけ時間がある。お互いの時間をかみしめるようにくっついて歩くのだった。
「ねえ、真司……」
「なんだ?」
「高校卒業したら、同棲しない?」
「……そうだな。生活のリズムを合わせるのは大事なことかもな」
生きていたら―――そんな野暮なことは言わない。
彼女の望む未来とは、戦いのない平和な世界だった時の話だ。まあ、今の彼らに絶望的でも、たった一つの幸せを願う気持ちは、誰にも責められない。