ABSURDITY
次の瞬間、アピスは姿を消していた。
真司の気付いたときには、すでに遅かった。
目の前のカメレオンに気を割いてしまい、相手の逃亡に気付けなかった。
「ちっ、今から探しても無駄か……お前は邪魔しかしないな?」
「だけど、これで魔界の思惑通りに事が進む」
「事が進む?―――なんのことだ?」
「単純さ。人が人を超えるんだ。これからはどんな脅威にも怯えなくていい、平和な世界のために!」
ガッ!!
相手がそう言った瞬間、真司は拳を振りぬいてカメレオンの頬を捉えていた。
彼の目こそ見えないが、孕んでいた怒気が周囲にあふれ出していく。
「本気で言ってるのか?」
「本気さ!これで平和な世界が実現できる!」
「それが間違ってるだなんて、バカでもわかることだろ!なんでそんな考え方ができる!」
「馬鹿にも天才にもわからないさ。お互いが力を持ち、けん制し合う。誰か一人が間違ったことをしたとき、大人数で弾圧できる。そうすれば、間違いなんて起こそうとも思わない。相互に監視する能力が備われば、目的は達成される!」
意味が分からなかった。
だが、それでなんとなく相手の状態も把握できた。
しかし、それがわかっても真司はそのふざけた理論を前に怒りを抑えきれなかった。
「平和と幸せはイコールで結べない―――そんなこと考えなくてもわかるだろ。お前の言う平和は、明らかに不幸のどん底にある。それを望むってことはどういうことなんだ?」
「人は慣れるのさ。進化しても、幸せの形が変わっても―――いつかはそれがいいことだと思えるようになる」
「なにを言ってもダメなのか……」
彼はメイズの機動力のまま接近し、膝蹴りを叩き込む。
相手の首を抱え込み、絶対に逃げられない形を作ってからの攻撃に、その殺意の高さを感じられる。
「人は人でなくてはならない。それでしか享受できない幸せがある。それを壊すってんなら、俺はお前を殺す。お前がたとえ、人間が変身している存在だとしても―――仮に、お前が暗示にかけられて洗脳に近い状態であったとしても!」
経験だけならやはり真司の方に分がある。
同じような力を持つ以上、そう言った要素が勝敗を分ける。
だが、だからと言ってカメレオンが負けるとは限らない。
彼にも何度もやられ、煮え湯を飲まされた経験がある。
意地と勘だけで真司に応戦する。
手をクロスさせて膝を受け止め、右側に払う。
その勢いに押されて、真司の足は左側に向き、右側に倒れこみかける。
しかし、即座に反応し、相手の手から足を放し即座に体を回転させて自身が転倒するのを阻止した。ただ、回転によって一瞬だけ視界がぐらつき、その中からその瞬間だけ相手を離してしまった。
それを狙っていたのか、相手も透過し、支点が離れた瞬間に真司の目の前から消える。
「消えた―――いや、まだ気配はある!」
「どりゃあああああ!」
雄たけびを上げながら姿を現し、攻撃を仕掛けてきた。
彼もそれに合わせて、銃口を向けた。
相手の拳と真司の銃口―――攻勢により早く出たのは、真司だった。
「叫びながら出てくんなよ。わかりやすいんだよ、いちいち……」
ズガガ!となんどかの射撃。
相手の腹に命中し、後方に吹き飛ばすが、大したダメージは認められなかった。
「まだだ……まだやれる!」
「いい加減諦めろよ―――漫画じゃねえんだ。経験の差はすぐには埋まらない」
「うるさいうるさい!お前がすべての元凶なんだろうが!今更正義面するなよ!」
「あ……?」
「お前が、お前みたいなやつが生まれたからバランスが崩れた!魔界はあの時、侵攻せざるを得なかったんだ!」
「なにをいって……」
相手の発する言葉の意味を頭で理解できない。
なんせその話は知らないことだからだ。
「人界がお前という存在を手に入れたから―――魔界に侵攻なんてしたんじゃないか!お前が、原因なんじゃないか!」
「知らねえよ。俺はその時代に生きてない」
「親の責任はお前がとれよ!お前の先祖が、すべてを壊したんだ!」
「黙れ……」
真司は耳を塞ごうとする。聞いてはいけない。信じてはいけない。
そんな気持ちに支配されていく。
知ってはいた。この力がろくでもないものなのは。
だが、他人からそれを指摘されるのは違う。それに、知らない情報も含まれている。
本当は自分が知るべき情報だ。だが、青龍が思い出せないことなので知りえなかった。
「お前が戦いの始祖―――オリジンなんだよ」
「お前たちが俺をオリジンって呼ぶのはそういうことか……」
「もう、人界も魔界も限界だ。二つの世界を一つにし、人間を進化させる。お前に狂わされた世界を救うにはこれしかないんだよ!」
「それなら―――本来存在するべきじゃない魔界が消えるべきだ!」
そう言って真司は力任せにカメレオンを掴んだ。
左手で相手の右腕を掴み、残った手で首を鷲掴みにする。
そこから攻勢に転じようとするが、そこで違和感を覚える。
なにか魔力が相手の中で蓄積していた。
「お前に勝つにはこれしか思いつかないかな……でも、死ぬわけじゃないんだ。思いっきり行こう!」
「まずっ!?お前っ……!」
「逃がさないよ。死なないって言っても数日間は動けなくなるし、魔力も長い時間欠乏する」
「だからって、このやり方は……」
「いいんだよ。実力で届かないなら、相手の想像のつかないことで仕留める。定石だろう?」
何とか真司は相手の拘束を剥がそうとするが、思いのほか力を込められて身動きが取れない。
そうこうしているうちに相手の腹の中に魔力が籠っていき、膨張していく。
「お前は間違ってる!俺も知らないこともまだあるだろうが―――根本的に間違ってる!あれは、進化じゃない!恒久的な死だ!ゾンビ化はなんの意味もない、屍を増やすだけの能力だ!」
「違う!あれは進化の前段階。それを殺してるのはお前じゃないか!」
「それこそ違うだろ!あれは魔力の変質を起こしていない!進化なんてしないんだよ!」
「うるさい!それでも、今度はお前が煮え湯をすする番だ!」
ズガァァン!
その瞬間、相手が爆発し、真司もそれに巻き込まれた。
自爆技―――相手の狙っていたことはそれだった。
この攻撃で真司も相手も死ぬことはないだろう。だが、煙が晴れた後に残っていたのは、満身創痍の真司の姿だけだった。
「無茶苦茶しやがる……」