転校生が動揺する
真司が学校を抜け出した後、彼が6時限目が終わるまで戻ってくることはなかった。
連絡先の交換を完全に忘れていたアリスは、戦いが終わったのかすらわからない。しかし、授業が終わり、荷物を置きっぱなしにすることは少々はばかられる。
見たところ年季の入っているように見えるが、ところどころ嫌がらせによるものと思われる傷跡がいくつもカバンについていた。
「これ、私が持ってた方がいいわよね?」
そう呟きながら彼女は真司のカバンを持って歩き始めた。もちろん、自分のも持って帰宅だ。
しかし、それをクラスの連中が止めてくる。
「なによ?」
「転校生、あんまり十神にかかわるのはやめておけ」
「はあ?私の交友関係は私で決めるわ。なんで、あんたみたいなやつらと一緒にいなきゃいけないの?反吐が出るわ。こうやって、人のものに傷つけたりして、ちまちました嫌がらせしかできないくせに」
「……あんま調子乗ってると―――」
ブン!
クラスの男が言い終わる前にアリスの手が出た。そうは言っても、しっかり寸止めで、拳は相手の顔の目の前で止まっていた。
「乗ったら何?襲うの?―――なら、私はあなたのその目障りな歯を内側に曲げてやろうかしら?」
「じ、冗談だよ……」
「はっ、腰抜けが―――あいつを馬鹿にするのなら正面から殴りなさい。そうする勇気もないのなら、今この場で死ね」
そう言って教室から立ち去るアリス。だが、クラスの人間が彼に直接手を出さない理由。
それは、彼に絡んだ不良の末路を知っていたから。それでも、彼は間接的な―――物品に対する嫌がらせに関してはなにも言わなかったから、調子に乗ってみんながしているだけだということを
その場から去り、下駄箱に着いたあたりでアリスは気づいた。
(このままだと入れ違いにならないかしら?―――いや、下駄箱に上履きが入ってるわね。これならカバンを取りに来るときにここを絶対に通るわよね?)
そう思い、彼女は昇降口のところで待っていると、目的の人物はすぐに戻ってきた。
その人物は、アリスの姿を見ると、遠めのところからでも小走りで向かってきてくれる。
「待ってるところ悪いけど、荷物取りに―――」
「ここにあるわ。ほら帰るわよ」
「え?あ、ありがと」
カバンを受け取った真司は、そのままアリスについていく形で帰宅へと向きを変える。
しかし、その途中―――正門を出る直前に声をかけられた。
「真司!」
「……」
「どうしたのかしら?……真司?」
声をかけてきたのは、真司の幼馴染の唯咲美穂だった。
その声を聴いた瞬間に、真司は歩みを止めてしまった。声のトーンで、彼女がなにか大事なことを抱えていることに気付いたから。しかし、その内容が自分がらみ―――ひいては今この場にいるアリスのことであることも気づいていた。
「その人、誰?」
「真司、あの人は誰かしら?」
「唯咲美穂―――幼馴染だよ。部屋の写真立てにも写ってただろ?」
「ああ、あの子が……私のことを聞いてるのかしら?」
「そ、そうだよ!し、真司に近づくなんて……なにか悪い事企んでるんじゃないの!」
その言葉遣いにアリスもムッとするところはあったが、彼女の言いたいことはおおむね理解した。
つまりは、大事な人に悪い人がついてるんじゃないか―――自分のライバルになりうる人が近づいているかもしれない。そう考えているのだ。
彼女の気持ちを一瞬で見切った彼女は、真司がなぜ彼女を心配しながら近づこうとしない理由も理解した。
「あなたに関係あるの?もし、私たちが恋人だと言ったら、あなたは引くの?」
「こ、恋人……?う、嘘だよね?」
「真司」
「恋人―――じゃない」
「よ、よか―――」
「でも、お前たちより俺のことを理解して救ってくれる大事な人だ」
「真司……?」
「早く行けよ。お前たちの期待のエースが待ってるぞ」
真司の言葉で美穂は何も言わずにその場を去っていく。
それを目撃した生徒たちがひそひそとなにかを喋っているが、あまり気にはならなかった。真司もそれどころじゃなかったし、アリスもそんな彼が辛そうでそういう気にはなれなかった。
正門を抜けて、しばらく歩いていると、ほかの生徒が見えなくなり段々と他校の生徒や主婦など、商店街が近づいてくる。
いろいろな商業施設がたたずみ、人があふれる中で2人はあまり良い雰囲気が出ていない。
「幼馴染のこと、好きなのね?」
「……もうわからん。好きなのか、大事なのか。明確な区別ができなくなった」
「それを好きって……」
「言わないよ。大事と好きは違う。似てるだけ。あいつは、たぶん俺のことを好きだけど、あいつと子供を作れるかと聞かれたら、俺の答えは違うと思う」
「……嘘をつかないで。またあの時と同じ……」
「はあ……前は好きだったよ。それが尾を引いて、変な気分になることはままある。でも、水泳部で孤立した時、どうしようもなく好きかわからなくなった。この人は本当は俺のこと好きじゃないんじゃないか。助ける気なんて、むしろもっと結果を残せる男のほうが好きなんじゃないか。不安定な時にそう思ってしまったから、取り返しがつかなかった」
「そう……」
アリスは真司の言葉を聞いて、なにも言うことはなかった。
今の真司の状況、それを知っているからこそ、この気持ちはもどかしくくすぶってしまう。それを理解し、わかってあげるのもつらいものだ。
そうしてなんだかんだ歩いていると、2人はクレープ屋を見つけた。
ちょうど、小腹が空いていたので真司たちは近くにあったベンチに座りクレープを食べ始めた。
はじめのほうは無言の2人だったが、アリスが言葉を紡いだ。
「あなたの苦しさとか、全部わかるわけじゃないけど、はたから見れば苦しんでるくらいのことはわかる。だからね、私を頼って―――甘えてもいいのよ。誰にも向けられない苦しいと思うこと、私にぶちまけてほしい……」
「ふっ、本当に優しいなアリスは」
「そんなことないわ。私も、ここにいるのは半分偽善って言われてもおかしくないし、それにお母さんがいなかったら、私も真司を助けたりしなかったと思う……」
そう言って俯くアリス。だが、真司からは彼女が思っていた返答とは違うものが返ってきた。
「仮定の話はどうでもいい。今、現実としてアリスが隣にいてくれる。それだけで、俺の救いになってる。それに偽善だと思うのなら、それでいい。むしろ、無意識にそういうことをできる奴のほうが信用できないな。無差別の善意は―――」
「人を傷つけるって言いたいんでしょ?人は贔屓して褒める―――そういうことを言いたいの?」
「―――まあそうだな。合ってるから、俺のセリフ奪ったことは許してやるよ」
その後も少しの間沈黙―――いや、真司が考え込むようなそぶりを見せた後、ゆっくりと話し始めた。
「俺さ、母さんに言ってないことがあるんだ。聞いてくれる?」
「ろくな話じゃなさそうね。でも、頼ってくれるのは嬉しいわね」
「あんまり驚かないでくれよ?」
「怪物が襲ってくるより驚くことってあるの?」
「たぶん、ある……」
「へー、じゃあ聞かせてもらおうじゃない」
「……俺、卒業できるかわからない」
「は?」
アリスは拍子抜けした。真司が卒業できない。だとするのなら、確実に単位不足だろう。普通ならそう考える。
かくいうアリスもそんなことかと思うが、その声色からは単なる単位不足とも思えなかった。
真司の重い雰囲気、母親に言っていないこと。それらすべてを加味したうえで、彼女はなんとなく気づいた。いや、確信しただろう。
彼が、苦しむ理由。人を遠ざける理由。
アリスは半分気づいていた。彼が人を遠ざけようとするのは、戦いに巻き込みたくないだけじゃないことも。
「俺、あと1年―――生きれるかどうかなんだ……」
その答えは、想像と寸分たがわなかったが、やはり動揺は隠せなかった。