THE BODY OF CORRODED
アリスがホテルの部屋に急いで戻ると、目当ての人物はすぐそこにいた。
とはいっても、布団をかぶり、外に一切触れないようにしているのだが。
「真司……」
「アリス―――少し、かまわないでくれ……」
そう言ってアリスを拒絶する彼は、明らかに弱っていた。
先ほど、彼は人間の命を奪ったように見えた。
彼はなにかの誓いかのように人を遊びで傷つけるようなことをしない人間だ。殴られようと、悪口を言われようと手を出すことは基本的にない。彼が唯一その拳を振るったのは、アリスの身に危険が及んだ時だけだった。
その時も、青龍を入れ替わり、事実上は彼が手を出すことはなかった。
善人は傷つけない。人間は殺さない。それが彼なりの生き方だった。みんなを裏切って、一人で死にに行くような馬鹿を許すなんてできない。なら、胸を真司は素晴らしい人間だったと誰でもいいから言ってほしいのだ。
その誓いは破られた。
迅速に魔物を排除しなければならないという可能性を一切排除した考えで、魔物を殺したと思い、人間を―――
胸に風穴があいた状態で、息が絶えていく人間を間近で見て悟った。
自分の手で人が死んだと。自分が直接手を下したのだと。
死にたくなった。誰かを殺すくらいなら―――誰かの幸せを奪うくらいなら死にたかった。
「真司……」
彼の想いを知ってか知らずか、アリスは彼のうずくまる布団の上から彼を抱きしめた。
もっとも、彼に体温が伝わることはないが、やらないよりはマシだと思った。
「アリス……今はなにもしないでくれ」
「馬鹿ね。私はあなたをどれだけ愛して一緒にいて、見てきたと思ってるの?」
「俺は人殺しなんだ」
「どこがよ。みんなを守ったヒーローじゃない」
「殺したんだよ。違和感を覚えておきながら、可能性を完全に排除せずに。俺のミスで人が死んだんだ」
「辛い?」
「辛くないわけないだろ……」
彼は言った。
しかし、アリスはそれに対してとんでもない解決案を出してきた。
「なら、私を抱きなさい」
「なんでそうなる……お前は道具じゃないんだよ」
「だからこそよ。つらさを埋めるのは、快楽と愛よ。私もあなたとの初めての時、痛みなんて全然気にならなかった」
「それなんの関係があるの?同列に扱われても……」
「辛さもなにかも忘れて、私にすべてをぶつけてほしいのよ。忘れられなかったとしても、少しくらい心が軽くなるわよ」
「―――昼飯食べて来いよ」
「なんでよ。あなたがいないと意味ないじゃない。お義母さんも私も、あなたとの数少ない時間を目一杯一緒にいたいのよ」
言いながら彼女は、彼を被っていた布団を引きはがした。
彼が抵抗できなかったのは、少なからず青龍が加担したからだ。
無理やり彼を仰向けにし、彼女は真司のお腹の上に跨る。
そして、アリスは煽るように上のシャツを脱ぎ、大事なところを隠すように真司の体に押し付けた。
「顔、真っ赤……」
「恥ずかしいわよ。恥ずかしいから、早くしてちょうだい」
「なあ……」
「なに?ちなみに真司は拒否権はないからね?」
「なんでアリスは、俺に対して抵抗もなく体を差し出せるんだ?」
「うーん、あなたが命を投げ出すように……」
「アリスは俺とするのを命を投げ出す行為と同じだと?」
「冗談よ冗談―――好きな人と繋がりたいと思う肉欲が3割。あなたを救いたい気持ちが4割。そしてね、私の心と体にあなたという人間を刻むため」
「存在を刻む?」
アリスの言葉が理解できず、真司は聞き返した。
発言こそあまり褒められたものではないが、彼女の真司を思う気持ちは本物だ。
「手っ取り早いのはあなたの子を成すことだけど、まあ、まだちょっとハードルが高いみたいだから。わかりやすいのは、あなたが私の初めての相手ってことかしら?」
「それが刻むってことか?」
「ええ―――真司、あなたは私の忘れることのできない人。今最も私の心の中に残る人」
彼に跨るアリスの視線は下にいる真司の視線と交差する。
いつもなら恥ずかしさのあまりにプイッと目を背けてしまいそうだが。今日は違う。
いつもとは違う理由で追い詰められている彼をどうにか立ち直らせたい。せっかくの旅行なのだから笑っていてほしい。家族を失って泣いているあの女性には不謹慎にとらえられるかもしれないが、真司にはそうあってほしかった。
「真司、すべてを捨てて夕方まで私を見なさい。あなたの欲を好きにぶつけていいから」
「でも、俺はお前を……」
「真司、時に優しさは人を傷つけるわ。あなたの私を大切にしたいという気持ちを知らないわけじゃない。でも今は、私がしてほしいの。ね?」
「―――わかった。ごめんな、こんな俺のことを好きにさせちゃって……」
「いいのよ。恋愛は惚れたほうの負けなのよ。この勝負、私の大負けだから」
その日、昼間から夕方までずっと彼女を愛し、抱き続けた。
おかげで彼は、すぐに立ち直ることができた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「渡辺さん、検死の結果が出ました」
「そう―――で、なにがわかったの?」
「死因は、なにかの毒に侵された。または、なにかの病原体に殺されたみたいです」
「毒か病原体……どっちかはっきりわからないの?」
「未知の物質とだけ言われました。その物質の詳しい解析は大学に回してやるそうです」
「そう……まあ、なんにせよあの男はあなたが原因で死んだわけじゃないのね?」
「そういうことになります」
二人の話していることは、今日の昼前に起きた事件についてだ。
検死に回し、早急に情報が必要ということですぐにやってもらい、半日ほどで結果が出たのだ。
とりあえず、なにもわからないということだけわかった。
まあ、相手が未知の存在なのだから、そこまで不思議なことではなかった。
だが、問題はそこじゃない。
「こうなると、誰がああいう状態になってもおかしくないわね……」
「ええ、SNSを見ると、福岡の方でも出没したみたいですし。そちらは0号が討伐したようです」
「0号が……じゃあ、彼が今回出てこなかったのも責められないわね」
「こちらはもうすでに被害者も、遺族もわかってるらしいですね。遺体は二つ。男性とその息子。どちらもあちらの検死報告によると、死体の腐食が激しすぎてなにもわからなかったとのことです。一家は母親だけが残されたみたいです」
「かわいそうね。その母親とやらも―――0号も」
「0号も?」
「そんな残酷なことを母に教えなければならない。家族であるのに殺さなければならないという事実を突きつける。人間であろうがなかろうが、良心があるのなら心なんて簡単に壊れてしまうわ」
渡辺のその言葉は、当たらずとも遠からず。
真司は真司なりの立ち直り方をしていることを、彼女は知らない。