転校生が抱きしめてくれる
公園を出た二人は、真っすぐ帰宅の道を歩んでいた―――が、真司の歩いてる道からアリスが離れる様子がない。
間違っても真司の家の近くに誰かが引っ越した来たという話はない。
そこまで田舎と言うわけではないが、それでも近所程度なら話は入ってくる。それに、先ほど彼女が真司に渡したプレゼントから察するにそれなりにお金を持っている。
そんな富豪が来たとなれば、噂ぐらいにはなるはず。
「家帰れよ」
「なんでよ。今からあなたの家に行くのよ?」
「なんでだよ」
「私はあなたを一人にしないって言ったわよね?」
「家には母さんがいるから大丈夫だよ……」
「もうね、あなたも大人なんだから家族さえいればいいとかやめなさい。人ってのはね、他人ともかかわらないと死んじゃうのよ」
「……」
「とりあえず、あなたのお母さんは知ってるの?」
「戦ってることか?」
「それ以外にある?」
「そうだけどさ―――まあ、知ってるよ。へまやらかして変わってるところ見られた」
「ふーん、じゃあ今後のことも一緒に話したいわね」
そう言うと、彼女はより一層体を密着させてくる。
こういっては何だが、真司はこういう距離の詰められ方に慣れていない。
小さい頃はそれなりにそういうことはあったが、それだけだ。
戦ってるとはいえ、異性との接触もなくなった彼には少々心臓に悪い。
「そのバグった距離感、どうにかしてくんねえか?」
「へえ……恥ずかしいの?」
「うるせえ」
「ふふ、初心なんだから」
「じゃあ、お前は経験豊富だと?」
「―――だったらどうするの?見下すの?」
「なんでだよ。今時経験あるのも珍しくないだろ……」
「そう……」
真司の言葉を聞いて、少しだけ声のトーンが沈むアリス。
しかし、なぜ落ち込んだのかは真司にはわからない。
そうこうしていると、二人は真司の自宅に到着する。
「本当に入るの?マジで嫌なんだけど」
「ここに来て言う?あなた、本当にタイミングひどいわね。まあ断っても行くのだけれど」
そんなことを言う彼女はなんの躊躇もなく真司より先に家に入っていった。
「おかえりー―――って、誰!?」
「こんにちは。私、転校生の喜瀬川アリスって言います!」
「あ、ああ……それでなにしにきたんだ?」
「お前、住人より先に入るってどんな神経してんだ?」
「いいじゃない。どうせ、顔を合わせるのが後になるか先になるかの違いよ」
「真司、なんだこの子は?」
と、玄関先でやり取りをするわけにもいかず、とりあえずリビングに通す運びになる。
その後は、アリスが饒舌に話していった。
自分が真司の秘密を知っていること。助けてくれたことを心から感謝してること。
―――そして、彼が学校でひどい扱いを受けていること。
しかし、明音は真司がそれなりの仕打ちを受けていることは知っていた。だからと言ってなにかをできるわけじゃないので、家だけでもと優しくしていたのだ。
だが、アリスが「もう一人にさせない」と言ったことで、明音は母として涙を流し、真司のことを彼女に託した。さすがの彼女も校内でのことまでは口出しできないからやるせない気持ちもどこかにあったのだろう。
そうして、アリスは明音の許可を得て、真司の部屋に入る。もちろん、部屋の主も同伴だ。
「さすがに自室に入られるのは……」
「遅いわ」
「言うタイミング無かったろ……喜瀬川はさ―――」
「アリス!」
「あ?」
「アリスって呼びなさい!私は真司って呼ぶわ」
「はあ……アリスはいいの?俺と関わるってことは、学校での交友関係を全部潰すことになるぞ?」
「かまわないわ。守るべき己を矜持を通さずに、人は生きる資格なんてない。言いなりの存在こそ、この世に価値はないわ」
「思想が過激すぎるだろ……」
そう呆れる真司をよそに、アリスは部屋を見て回る。
その中で見つけたのが、いたるところにある倒された写真立ての数々。
「これは……」
立ててみると、それにはしっかりと写真が入っており、その中の真司は綺麗な笑顔をしていた。
「それはいつのかな……中学より前だと思う。少なくとも、まだ水泳やってる時期だろうし」
「……これもそうだけど、写真立ても倒されてるし―――掛け軸も裏返しにされてる」
「見るのがつらいんだよ……」
「なら捨てればいいじゃない」
「それができてたら苦労してない。どれだけ腐った過去でも―――今の俺にとっては夢のような日常だった。それを捨てるのは、心苦しいんだ……」
「……ごめんなさい。捨ててしまえばいいだなんて言ってしまって……」
「いいよ。アリスが悪い奴じゃないのはわかってるから」
そう言いながらも真司は立てられていった写真を全て倒していく。
その表情は少し―――いや、かなり苦しそうなものだ。
「幼馴染……」
「ん?ああ、そこに写ってる女子か?」
「ええ……ずいぶんと仲が良さそうね」
「昔はな。でも、彼女を巻き込むわけにはいかないんだよ」
「あら?私はいいのかしら?」
「お前は勝手に首突っ込んできたんだろ?」
真司の言葉に無理やり明るくしようとしているような雰囲気を感じたアリスは、また少し不機嫌になる。
相談してくれないのが不満なのだろう。
しかし、真司にはそれを考える暇すら与えずにアリスは彼をベッドに押して座らせる。
「なにすんだ?」
「何でも言いなさいよ。私がすべてを受け入れてあげる。幼馴染を巻き込みたくないというのなら、私を巻き込みなさい。言ったでしょう?隣にいてあげるって。学校の交友関係捨てるのだから、その割に合う事させなさい」
「でもな……」
「いつまで迷ってんだよ!写真見るたびに辛そうな顔しやがって!こっちも見てらんねえんだよ!」
「だけど……この2年以上の間、誰にも―――」
「今は私がいるだろ!なんでも聞いてやる!ふざけたことでも笑ってやる!だから、もっと弱いところを私に見せろ!そして、いつもは強いところだけ見せとけ!」
ガバッ!
言葉の先にアリスは、間髪入れずに真司を抱きしめる。
あまりにも唐突、強いハグに真司の脳はパンク寸前になっていた。
だが、その他人の温もり。いつからか感じることなかった温かさに、段々と視界が揺らいできた。
「俺は、俺は……」
「あの写真の真司みたいに笑えとは言わない。でも、今できる最高の笑顔を自然にできるようにしてやるわ。だから、あなたは私をもっと―――頼りなさい!」
「俺は―――苦しかった!水泳ができないことも、一人になることも!諦めたくなかった!……でも、でも!―――巻き込んで殺すなんて、絶対に……絶対にできない……!」
「……」
真司の叫びを聞いてアリスは、何も言わずに強く抱きしめる。
その沈黙は、自身のことを肯定してくれているようで、視界もさらにかすんでいく。
「ぐす……お願いだ―――一人にしないでくれ……あんなこと言ったんだ、期待するだろ……」
「いいわよ。絶対に一人になんてしてやらない。明日から、一緒にお昼を食べましょう?一緒に登校しましょう。暇があれば、あなたの家に来て一緒に過ごしてあげるわ」
「あ、ああ……あああ―――」
「これからよろしく―――真司」
「あああああああああ!」
ついに耐えられなくなった真司は、年甲斐もなくアリスの胸元で号泣した。
彼女の服は次々とあふれてくる真司の涙でぐちゃぐちゃに濡れ始めるが、彼女はそれでも離れようとしなかった。
本当に彼を大事にするつもりだからだ。
「本当、バカよ。これからは一人で背負わずにいれるかしら?もうちょっといい顔しなさいよ、私の救世主様―――」
耳を真っ赤にする彼女のその呟きは、決して真司に届くことはなかった。