THE CHILD'S EXALTATION
「んー!着いたぁ!」
そう言って新幹線から降りたアリスは、伸びをした。
長時間にわたる同じ姿勢の継続で体が強張ってしまったからだ。まあ、ほかにも原因はあるのだが、それは彼女が自ら望んだことなので触れないでおく。
「ん……やっぱ飛行機のほうがよかったかな?」
「別にいいんじゃない?俺はちょっと気が楽になったな。色々と」
「……そうかい。優しい彼女ができてよかったね」
「まあ、俺にはもったいないくらいの彼女だよ」
膝枕ならぬ胸枕をアリスにしてもらった真司は、なんだか連日の疲れが取れたかのようにしていた。
それでも体のコリとかどうにもならないところはたくさんあるのだが、幸福感を多く感じられるのであれば、体の不調などどうでもよいことだった。
「そういえば、このあとはどうするんだ?」
「この後は、ホテルにチェックインするくらいだな。もう今日は移動に大分時間使ってるし、お前も疲れただろ?」
「だな……うん、へとへとだよ」
明音の言葉に、真司はそう返す。
アリスもその行動計画に反対はないのか、特に何も言うことなく2人についていった。
改札を抜けたところで、彼女は右手にスーツケースを持ちながら、左手で真司の手を握った。
重いものを持ちながら手を繋ぐのは少しだけ大変だったが、真司も彼女に応える。
駅からしばらく歩くと、3人は目的のホテルに到着する。
着いたころには、すでに時刻は17時を回っており、ちょうどいい時間と言えばそうだった。
エントランスでチェックインを済ませた明音は、ボーっとしていた二人のもとに2本の鍵を持ってきた。
「今日の夕飯は19時半から。それまでは二人でゆっくりしてな」
「え?3人同じ部屋か、俺が一人部屋になると思ってたんだけど……」
「そんなことするわけないだろ?アリス、頑張れよ」
明音がアリスに向けてそう言うと、彼女は頬を少し赤らめながらコクンとうなずいた。そこに言葉はなかった。これからのことを考えて、そこまでの余裕がないのだろう。
そこで3人は、明音1人と真司、アリスの2人に分かれて部屋に向かう。
3人の部屋は隣同士で、もしもの時には連絡できるようになっている。その他所連絡を済ませた明音は、早々に風呂に入りたいと部屋の中に入っていってしまった。
それに続いて真司たちも部屋に入ると、かなり豪華な間取りが広がっていた。
広めの居間に、隣にはベッドルーム。正直、二人では持て余してしまいそうなほどの部屋だ。
でも、本当に快適に過ごせそうだった。
「こんな広い部屋直前でとれたのか」
「なんか、直前割って言うのもあるらしいわよ」
「ほえー―――まあ、そんなことはいいんだ。母さんと共謀したのか?」
「な、なんのことかしら?」
真司の言葉にアリスは目を泳がせる。
なにを、と聞かれれば質問の意図は一つしかない。それがわからないほどアリスも馬鹿ではない。
「まあ、やらんとせんことはわかるけどさ。一応、俺も男なんだよ?」
「そんなの百も承知よ。それでも私はあなたと一緒にいたいのよ。というか、あなた一回でも私に手を出したの?」
「そうだけどさあ……」
「とりあえず今はお風呂に入って浴衣に着替えましょう?」
そう言って、彼女は入浴用品をスーツケースから取り出すと―――
「待って、なにそれ?シーツ?」
「い、いや、なんでもない!まだ関係ないから!」
「お、おう……いや、なんで荷物の中に……?つか、本当にスーツケースでけえな」
なんだか不穏なものがほかにも見えたが、彼は見ないふりをして、自分も入浴用品を取り出した。
とはいっても、バスタオルやらの布製品は備え付けで部屋にあるし、必要なのはせいぜい体を洗うタオルくらいだろう。
しかし、アリスはそうではなかった。
「浴衣に、バスタオルに……なんか色々多くないか?」
「わかってないわね。女子はこのくらい必要なのよ。保湿とかに」
「うーん、ホテルの浴場にあるだろ?」
「馬鹿ね。女子の肌は繊細なの。こう、ガラス細工を触る時みたいに優しくしてあげないといけないの。だから、自分の肌に合ったものを使うのが一番なのよ」
「そいうもんか?母さんは適当だからなあ、そういうの」
「適当であんなに綺麗なの?羨ましいわ……」
ひとつ明音の秘密を知ってしまったアリスは、少しだけ気落ちするが、自分も負けてはいないとばかりに意気揚々と浴場に向かおうとする。
真司もそれに続いて部屋を出て、鍵を閉めてから浴場に向かっていった。
男である彼は、アリスと入ることはできないため、一人で入ることになる。
脱衣所で服を脱いで、全裸になった彼は浴場に入るや否やシャワーのある場所に向かう。まあ、これは一般的な常識の範囲だ。
そこで体を流した彼は、そのまま湯船の中に入る。
いつものお風呂より少しだけ温度の高いお湯。しかし、なぜだか気持ちよく、落ち着けるような空気感だった。
ほかにも人はいるが、子供とその父親と思われる人だけだ。
「パパ―!」
「こら!飛び込むんじゃ―――」
バシャーン!
突然湯に浸かっていた子供がおもむろに出たかと思ったら、突然浴槽の縁に乗って飛び込んだ。
当然のように水しぶきが上がり、これまた当然のように、その子供の父親と真司にかかってしまった。
こういうのは子供のことだと、彼は流すことができるが、そんなことを知らない子供の父親は必死に謝ってきた。
「すいません!すいません!うちの子が!」
「いいですよ。別に死ぬんじゃないんだから」
「でも……」
「まあ、子供のやることに全部怒って仕方ないですよ。次はやんないでほしいけど、楽しそうにしてるのなら、あんまり怒る気は起きないですよ」
「本当にすいません。あとで言い聞かせておきます!ほら、出るぞ!」
その後も脱衣場の方から叱責の声が聞こえたが、真司はやめてあげてほしいと思うばかりだった。
父親といるのが楽しいように見えた。それは、普段会えない人といるからはしゃぎたいと思っているようにも見える姿だった。
おそらく今の父親らしき人物は、普段子供に会えないのだろう。それは子供も同じで、つい気分が高揚したのだと。
事実上、父親がいない彼にはわかるはずもない感覚だが、なぜだか無性に子供の思惑がわかったような気がして、怒れなかった。