転校生が泣き出した
私の母は、父と出会う前は有名なピアニストだった。
どのコンクールに出ても成績を残したし、どんな音楽でも一度聞いただけでも完コピして見せる。
絶対音感―――私の母にはその才能があったらしい。その才能と生まれ持った整った容姿ゆえに世間では人気となり、その記録も数知れないほどに存在する。
だが、神は二物を与えない。その言葉の通りなのだろうか。容姿と才能―――二物を持ってしまった母から神は奪った。
母にとっては突然の事故。
頭を打ってしまい、一時は命の危険も危ぶまれていたが、なんとか一命をとりとめてケガも大したことなかった。
しかし、事故の後遺症によって母は繊細な指先の感覚を失った。
日常生活に支障はないが、もう前のようにピアノを弾けなくなった。
それでもあきらめなかった母は、何度も挑戦しテレビでも頑張ったが結果は散々。
いつしか母をあこがれのピアニストと言う人たちも見受けられなくなっていった。
そんな中、母は自暴自棄になり死に場所を探してさまよっていた時に、アメリカ旅行に来ていた当時の父と出会ったらしい。
芸能関係に疎く、母の正体を知らなかった彼は、母に対して優しく接した。当時、心もボロボロで頼れるものがいなかった母にとって王子様同然だったのだと思う。
だから、一瞬で惚れたらしい。
その後、旅行中にも関わらず、当時の両親は一緒に行動し、果てには帰国にすら母がついていくことになったらしい。
その後は日本で一緒に暮らす日々。
二人が私を身籠ったころに、父の転勤が決定。そのままアメリカに飛び、喜瀬川アリスは生まれることになった。
その二人の娘のアリスは、母の持つ才能『絶対音感』を持っていて、小さいときの母のようにピアノに没頭した。それだけでなく、娘はその他の楽器も難なく扱えるようになったりと、母以上の天才ぶりを見せつけた。
自分以上の才能、失った才能。母として、個人的に思うところがあっただろうが、彼女は娘の才能に惜しみない愛情を注ぎ、それを発揮する場も作ってくれた。
母の言葉だったと思う。
『後悔する前にやれることはすべてやりなさい。もしかしたら、私と同じようにすでに後悔してる人がいるかもしれない。その人にとって、あなたが希望の光になること。誰かに愛してもらいたいなら、あなたが誰かを心から愛しなさい』
その時の母の悲哀の表情を忘れるつもりはない。母が夢破れた人だということも知っていた。
だから、私は少しくらいは夢破れる苦しみはわかると思う。
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「ったく、やりすぎだよ」
「すいません」
「いや、正直正当防衛なんだろ?怒りづらいなあ……」
転校生の喜瀬川が真司の無罪を証明してからは、彼の尋問相手が体育教師の川峯に代わっている。
今回の件のついでにサボりの件も詰められてる。
「まあ、あんまり授業をサボんなよ?」
「……」
「俺も人のことはあんま言えねえけど、お前みたいに苦しそうな顔してる生徒も多くはないんだよな。本当につらいの部活のことだけか?」
「なんでそう思うんですか?」
「お前の後輩の女子たちから、急に倒れこんだことを聞いたんだよ―――学校に何も言わずに余命宣告とか受けてないよな?」
「そんなわけないでしょ。なにも宣告されることないし、発想が唯咲と同じなんですよ」
そう言って少しだけ笑顔になる真司。だが、その表情すらも川峯には違和感に見えて仕方なかった。
笑顔と言っても、作られた、そして張り詰めたような笑顔。その中にあるのは、焦りと恐怖。そして―――孤独だった。
「失礼しました」
「おう、あんま問題起こすなよ―――そうだ。あと、喜瀬川にも感謝しとけよ。お前の正当防衛だって証明してくれたんだから」
「……余計なことを」
「ん?なんか行ったか?」
「いえ!失礼しまーす」
そうして職員室を去ると、時刻は昼休み。HR後から拘束されていたから、かなりの時間職員室に詰められていたことになる。
真司が教室の席に戻ると、またひそひそと皆が悪口を言っているのが聞こえてくる。
だが、隣の転校生だけ様子が違い―――
「ねえ、どこか二人きりになれる場所知らない?」
「は?」
「お願い、話があるの」
「俺はない……」
そう言って喜瀬川の話を両断する真司。それに負けじと彼女は彼に話しかけ続けたが、昼休みが終わるまで真司が反応を見せることはなかった。
だが、彼女はそこで諦めなかった。
―――放課後
真司が下駄箱を開けると、中から手紙が落ちてきた。
一見するとラブレターだが、彼らには誰が出したかわかる。
「ちっ、あれから全部無視してんのに……」
『どうする?無視するのか?』
「口頭ならその場で行かないと言えばいいが、こうされるとどうしようもない。諦めが悪そうだから、明日もやりそうだし、今日も最終下校時刻まで残りそうだからなあ……」
『そういうところは無駄に律儀だよな、お前』
「うるせえ」
そんな会話をしながら真司たちは手紙に書いてあった場所―――3階の端っこにある空き教室に向かう。そこは部活でも人も近づくことがない完全に校舎の中で孤立している教室だった。
本当に二人きりで話をするつもりのようだ。
ガラガラガラ
教室に入ると、喜瀬川が机に座って外を見ている。
「今、すごく平和だよね」
「……?そうだな」
「でも、たまに空が割れて怪物が襲ってくる」
「空が割れる……なにを言ってるんだ?」
「ずっと一人で戦って―――あんなにつらく当たるみんなを守る必要あるの?」
「なに言ってんだよ」
「ねえ、正義のヒーローさん。私の耳はごまかせないよ―――あなたなんでしょ?私を助けてくれたの」
真司はそれを聞いた瞬間にマズいと思った。
正体がバレた。それ自体はなんの問題はないが、それを種にゆすられる気がしたからだ。
偶発的にばれる。それは仕方ないし、しょうがないとは思う。だが、わざわざあの時助けたのが自分だというつもりもない。むしろそういうのは避けたい。
だから、喜瀬川本人にバレてもほかの人にばらされるとマズい。特に幼馴染には―――だからこそ今はしらばっくれるしかない。
「なんのことだ?」
「だから、この間女の子を助けたでしょ?」
「だから、助けた云々の前に、正義のヒーローってあれか?テレビでやってる」
「そう。それがあなた―――ほら、隠さないで」
「だから知らねえって言ってるだろ」
「そう?私からしたら声が一緒なのだけれど?」
その言葉で、真司は青龍に聞いた。
(おい、声変えてるんじゃないのか?)
『この娘何者だ?我は絶対に声を変えていたぞ……』
(じゃあ……)
「あ、もしかして声変えたのに何でバレた?って思ってるでしょ」
「ちっ、見透かしたように……」
「私にはわかるの。声の色、トーン、しゃべり方。なにも声を変えたくらいじゃ私は欺けない。だから、すぐにわかった。あなたの声だけで、あの時のヒーローだって―――ねえ、答えて。誰にも言わないから」
そう詰められた真司はなにも言えなかった。
まさか声からバレるとは思わなかった。しかも、彼女の特殊能力レベルの感性で。
正直ドン引きレベルではあるが、それでも正体を見破るには十分だったのかもしれない。
「本当に誰にも言わないな?」
「ええ、約束は守るわよ」
「そうだよ―――って、正体はバレてんだけどな」
「そう……やっぱりあなたが……」
真司が正体を明かすと、喜瀬川はゆっくりと近づいてくる。
なにかあると踏んだ真司は、少しだけ後ずさりするが青龍がその後退を邪魔してきた。
「おい、青龍―――っ!?」
青龍に抗議しようとした真司の胸に、喜瀬川はまよわず飛び込んだ。
腕は回していない、決して抱いているわけじゃない。だが、彼女は少し泣いていた。
「怖かった……本当に助けてくれて―――ありがとう……」