THE WISE DECISION
ヒュン!
空気を切る音ともに真司は先ほどのショッピングモールの試着室に飛んだ。
しかし、空に向かっていった試着室とは違う場所に戻ってきていた。
彼の隣には、今まさに水着から私服に着替える途中の―――ブラを胸に当てかけているアリスの姿があった。
「へ……?」
「……」
彼女は目の前で起きたことに理解が及ばず、下着を持ったまま固まってしまう。だが、すぐに状況を理解すると、顔を真っ赤にしながら自分の胸元を腕で庇った。
ここで叫ばなかったのは、少なからず彼に見られることを想定はしていたからだろう。
常日頃からのイメージトレーニングとは偉大なものだ。
だが、そんな彼女もすぐに冷静になり、なぜこの場に飛んできたのか理解する。
「ほ、ほかの場所でこんなことしたら、ば、バレちゃうものね……こ、これでいいのよ。ね、真司?―――真司?」
そこで彼女は彼の異変に気付いた。
いつもなら変な回答でも真面目でも、必ず応答はしてくれていた彼が一切反応を見せなかった。
それどころか、彼は静かに態勢を前傾にしながら崩れ落ち、床に膝をつきながら試着室の壁に頭を打ち付けて止まった。
「し、真司っ!?」
そう言って自身がパンツ一丁なのは忘れて彼に駆け寄る。彼の目は焦点が合っておらず、その上、完全に顔が青ざめていた。
明らかに体が壊れかけていた。
だが、彼女は理解している。青龍がいるので、放置していれば彼は元に戻ると。
それでも放っておけない彼女は急いで服を着て、水着の会計を済ませると、水着ショップのすぐ近くにあるベンチに腰を掛けた。
そして、そのまま真司をベンチに寝かせると、彼の頭を自身の太ももに乗せ、枕として扱えるようにする。
「私のじゃ不満かもしれないけど、これで今は我慢して頂戴」
そう言うと、真司はいつから目を覚ましていたのか、ゆっくりと頭を動かしてくる。
「誰が、アリスに対して不満なんて言うかよ……」
「真司、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。ちょっと高高度にいたから、身体機能が著しく落ちているだけだ」
「それは、大丈夫って言うの?」
「大丈夫だよ。血反吐吐いて、全身の骨が砕けても、問題ないからな」
「こ、怖いこと言わないでよ……」
真司の言葉で、その姿を想像したアリスはすごく怖くて、すごく悲しい。そんな複雑な心境に置かれた。だが、真司が大丈夫というのならそうだろうと無理やり納得する。
「アリス……俺はアリスのしてくれることはなんでも嬉しい。俺のためにこうやって自分の腿を枕にしてくれるのもな」
「そ、そんなこんな足で……」
「そんなことない。柔らかくて、気持ちいい。とにかく、どんなに瀕死でもアリスが抱きしめてくれれば、心だけでも癒されるもんなんだよ―――ありがとな」
「……そうね、ここはどういたしまして、って言っておけばいいのかしら?」
「そうだな……」
真司はそう言うと、目を閉じる。本当にアリスの足が気持ちいいのか、少しだけ彼女の体によっかかる。
アリスはそんな彼の姿が愛おしく見えてたまらない様子だった。
「いろんな人に見られてるな……」
「いいのよ。あなたの看病ができるのなら、なんでも」
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それから1時間ほど経過しただろうか。それくらいすると、真司の体調は復活していた。
しかし、彼らがそこのベンチを離れることはしばらくなかった。
長時間真司の頭を乗せ続けたせいで、アリスの足がしびれてしまったのだ。
やはり漫画やアニメのようにうまくいかない。だが、その痺れもなんだか少しだけ心地よいものだった。
「悪いわね」
「ううん……全然いいよ。俺もこうやってアリスを抱きしめてられるしな」
「恥ずかしいのだから、勘弁してほしいのだけれど……」
現在彼女は真司に抱かれていた。
立ち上がろうとしたアリスが、足がしびれていることに気付いてそのまま彼に倒れこんだのが原因である。
枕をすることに恥ずかしさはないと豪語した彼女だったが、やはりやられるのはまだまだ恥ずかしいようだ。
しばらくすると、アリスもようやく復帰し、歩き始める。その際にしれっと彼女の荷物を真司は持っていた。
ようやくそれに気づいた彼女は、少しだけ感心したように言う。
「真司って、案外紳士よね」
「別に、これくらいなら持つよ。漫画みたいな量持てって言われたら、多分俺も不機嫌にはなると思うけど」
「大丈夫よ。私はあんなに買い物することはないわよ」
「だと良いけどな」
そんな他愛もない会話をしながら歩く二人の後姿はただの夫婦にしか見えない。
それだけアリスが真司を愛し、同じくらい真司も彼女に愛情を持っているということでもある。
歩いていると、突然アリスが真司の腕に抱き着いてくる。
「どうした?」
「ふふん、これくらいはスキンシップのうちよ」
「……そうか」
「真司、耳真っ赤よ?」
「うっさい、見るな」
そう言って、真司はそっぽを向く。そして彼自身も想定していなかった。
これほどまでに他人に愛おしさを覚えることも。避けて行為が、欲求がどうしようもないほどに大きくなってしまっていることが。
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私の声は聞こえないか。
たった一つの結果さえ、私は伝えられない。
彼が成し遂げた偉業。彼が成し遂げられなかったもの。
彼のせいで一体何人の人が悲しんだのか。
彼のいない未来で、誰が笑えたというのか。
未来は地獄だ。
魔王は討伐されず、ただのつないだ命さえおもちゃのように奪われた。
彼の愛する人は遊びに回され、無残に殺された。
我らは裏切り者として、不死の磔。
本来死ぬことのできない四神はそうして世界の墓標として置かれている。
たった一つの希望すら見いだせない。
たとえわれらの声を聞き、器となる存在がいても反撃の時間はない。
それまでにすべて奪われ、殺される。
だがその事実は届かない。このままではなにも救えない。
救えたという虚実のみで彼は死ぬ。
勘違いしたまま死に、後の世は地獄と化す。
魔王の因縁はそれほど大きなもの。
侮ってはならない。父を失い、それを屈辱だと思っている魔王はだれにも止められない。
だからこそ、彼は―――
―――すべてを放棄して誰も知らぬ土地で、恋人ともに過ごすべきなのだ。それが賢明な判断だということを、私は身をもって理解した。