SUGGESTED AND NOT SUGGESTED
二人がキスを終えて下に行くと、明音の姿はなかった。
つい先日まであんなことがあったのに、町は元通り。人々の活動はまたいつも通りの姿になっていた。
「やっぱり日本は真面目ね。あんなことがあっても、すぐに建物は直しちゃうし、真面目に仕事に行くのよね。アメリカじゃ考えられないことだったわ」
そう言ってアリスは感心したようなことを言う。
今の日本は青龍によって思考の改変を受けている。建物がすぐに立て直されるのは不思議ではないと思わせることと、町が元通りになればすぐに仕事をし始めるようにする。
日本の国民性のせいもあってか、洗脳の領域に到達せず、暗示の段階で済んだのは青龍たちも驚いたことだが、この話で驚くべきは海外にこの暗示をかけていないことだ。
日本の復興速度、仕事への姿勢。どちらも海外からは日本は普段から異常だと思われているということだ。ゆえにこそ、そこに疑問を持つ者は暗示をかけられたことによって、国内外問わず疑う者はいない。
「真面目、か……」
「お義母さん、今日は忙しいのかしら?私たちに声もかけていかなかったけど……」
「この時期は繁忙期なんだよ。毎年、この時期はこんなもんだよ。毎日帰ってきて、ボロボロの状態で飯食って気絶するように寝る。これが盆休みまで続く」
「そうなのね。じゃあ、これからは―――」
「母さんが家事とか何もできないから、この時期は俺が全般を担うことになってる」
「すごいわね―――じ、じゃあ、これからは真司が料理をするの?」
「まあ、そういうことだな」
そう真司が答えると、アリスはわかりやすく目を輝かせる。
そして、時刻はもう1時過ぎ。だが、二人は昼食を取っていない。イチャイチャするのにかまけて、気づかなかったが、真司の母の明音はすでに仕事に行っていた。
「お義母さん、何の仕事してるの?」
「知らない」
「え?お義母さんの仕事よね?」
「ああ―――母さん、仕事を家に持ち込むの嫌いだから、業務を持ち帰ってきたり、その話をしたりすることはないかな。新入社員が入ったであろう時期に酒を飲むと、とんでもないバカ新人がどうのとか愚痴を吐いたりするけど、それくらいなものだよ」
真司は母親が何をしているのかは知らない。
しかし、それでよかった。知られて困ることをしているわけではないが、家に帰れば彼が待っているそれ以上に臨むことはない。むしろ、業務内容を知られて、変に家族に気を使われる方が嫌だった。
「元ヤンの母さんを受け入れてくれた会社なんだ。俺がこうやって生きてるのは、そんな会社で母さんがバリバリ働いてるからなんだよ」
「母の日にはなにを渡してるの?」
「なにもしてない。正確には違うけど。昔、一回だけ少ない小遣いでプレゼントをしたんだよ。でも、そんなのはいいから自分のしたことに金を使いなさいって言われてから、わかりやすくプレゼントを渡すのをやめたかな。ちょっといい食材を使って料理を作る。それくらいことぐらいしかやってないさ」
「……十分な気もするけど、じゃあ今日のお昼は真司が作るってことでいいのよね?」
「そうだな」
「じゃあ、楽しみにしておくわ」
そう言うと、アリスは鼻歌を歌いながらリビングのソファに座る。
真司が断る理由はない。
彼女はなにかと彼にお弁当を作ってきてくれた。何度も練習した彼女の卵焼き。甘党の真司のために甘めに味付けられたそれは、涙を流してしまうほど心が満たされる味だった。
そんな彼が作ったのはなんの変哲もない冷製パスタだった。
卓につき、彼女の前に料理とフォークを出す。
彼女はがっつくというほどではないが、目の前に出されたパスタを一気に頬張った。
そして、一言―――
「おいしいわね。嫁に欲しいわ」
「旦那だろうが。まあ、気に入ってくれたなら嬉しいよ」
「ほんと、真司ってなんでもできるわね」
「そんなことないぞ。そう見えるだけで、できないことなんかいくらでもあるさ」
「ふーん……そんなに謙遜するものでもない気がするけどね」
言いながらそこそこ腹が満たされた二人は、ふいにテレビをつけた。
やはりというかなんというか、連日先の戦いの模様が放送されていた。
やはり、突然雲を割って現れた大剣は世間に大きなインパクトを残した。
しかし、だからと言って0号が的なのではないかという世論が消えたわけではない。一部擁護派を除けば、なぜあの時に0号を攻撃しなかったのかという声も上がっているくらいのものだ。
そして、世論調査では日本が今すぐに正式な軍事力を保有すべきという声も上がっている。そういったことで、憲法違反だのなんだのと軍事力保有案に異を唱えている野党にも世間の野党叩きが苛烈になっていっている。
このままでは、日本が核保有国になるのはそう遠くない未来になってしまう。
そう、真司の危惧していた事態がすぐ目の前まで来ている。
「日本も変わっちゃうのね……」
「別に軍事力を持つことは、一概にダメなことと冷えないからなあ……すべての国が日本の味方というわけではないし」
「そうね。そんな平和な世界は到底実現できないわよ」
事実真司は日本の軍事力保有には明確な否定の意はない。ただ、核だけはダメだと考えている程度だ。
確かにそれを使えば戦争は一発で終わるだろう。人間同士の戦いなら、だ。
魔物相手なら効くかわからない。いや、たいていはそこのまでの破壊力があれば通じるとは思うが、極まれに核すら効かない個体も存在する。真司のバーストクリムゾンがいい例だ。
そうなれば町を灰と化し、放射線で市の街と化し、向こう数十年誰も立ち入れない場所にするには多少では済まされないレベルに割に合わない。
そうなるなら自分が死んだほうがマシだとは思えるものだ。
彼は自分の母親や恋人。自分の知る人たちが放射線で被爆し、苦しむ姿など見たくもない。
「ん?真司、どうしたの?」
「いや、アリスって美少女だよなって……」
「も、もうっ、急になによ!嬉しいじゃない!」
そう言ってアリスは頬を染めながら全身をくねらせる。
この笑顔を愛らしい姿を失いたくない。
そんな恐怖ともいえる感情が彼を突き動かすとき、なにかが起こる。彼の覚醒か、それとも堕落か。
皆は知らない。今の真司は正義の味方。だが、その正体はたった一つの出来事で思想ひとつ変わってしまう危うき人間だということを。