134 アッシャーの黒猫4~免罪符~
[前回までのあらすじ]オルフェルたちは怪しい研究室にてアジール博士に遭遇した。そこへ現れた村々を襲う闇魔導師。オルフェルたちは他人であることを願ったが、彼女はネースの姉のイザゲルだった。イザゲルは自分がアジール博士のために村を襲い闇の魔力を生み出していることを明かす。絶望に震えるオルフェルたちだが……。
場所:怪しい屋敷
語り:オルフェル・セルティンガー
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イザゲルさんの狂気じみた様子に、俺は思わず後退りした。シンソニーとエニーは身を寄せあっている。
唖然としているハーゼン大佐の代わりに、今度はネースさんが口を開いた。
「ね、姉さん、どうして……? 闇を生み出したいだけなら、別に故郷を襲わなくたって……」
「あら、あら、あららららら? ならほかの村にすればよかったのかしら? ネースはひどい子ね。姉さん、そんな子に育てた覚えはないわよ?」
「冗談はやめてよ! ボクたちのお父さんが死んだんだよ!?」
「あらあら。ネース。泣いちゃって可哀そう。絶望したの? それとももしかして、もしかすると、私に怒っているのかしら?」
「姉さん! しっかりして!? 自分が言ってることわかってる!? 正気じゃないよ!」
「やだ。うふふ。正気なわけないじゃない? これを見て?」
イザゲルさんはそう言うと、羽織っていた黒いローブを脱ぎ、研究机の上に置かれていた魔道具を手に取った。
無機質な鉄の箱のような小さな菱形の装置だ。彼女は髪飾りをつけるように、それを頭に取り付けた。
彼女にまとわりついていた闇のモヤが、魔道具にゆっくりと吸い込まれていくのがわかる。
魔道具はモヤを吸い込むと、禍々しい闇の魔力を放ちはじめた。
「すごいでしょ? モヤを魔力に変える魔道具よ」
「えっ? そ、そんなものが……?」
驚きに目を見張る俺たち。アジール博士は、これを使って、マレスやイザゲルさんの闇のモヤを消費しているのだろうか。
「だけど、これに私を治す力はないの。手遅れってやつよ。ほら、ネース。姉さんの醜い姿をよく見てね? 私に酷い火傷を負わせた、そこのおかしい坊やもね?」
彼女が俺を指さして、俺は唇を噛み締めた。俺がドンレビ村を守ろうと、必死になって燃やした相手は、間違いなく彼女のようだ。
――俺はドンレビ村を守ったんだ。恨まれたってそこは後悔しねーよ……。
俺はイザゲルさんを睨みつけた。彼女の姿が足元から徐々にあらわになっていく。
質のいいドレスからは彼女が王子の婚約者として、恵まれた暮らしを送っていたことがうかがえた。
露出した胸元には、紫の石がついた古びたネックレスが光っている。
首は干からびて弾力を失い、深い筋が刻まれていた。まるで魔物のように黒い血管が浮きあがっている。
火傷を負った皮膚は赤黒く変色し、ひどく皺だらけで痛々しかった。
さらに血色の悪い唇が現れ、そして最後には、深くくぼみ、輝きのない狂気の瞳がモヤのなかから現れた。
その姿は悲惨なほど醜悪で痛ましい。シンソニーとエニーは直視できないと言わんばかりに顔を背けた。
「……この姿を見ればわかるでしょ? あなたの姉さんは闇に堕ちてるのよ。だから、正気じゃないのは当然なの。ネースだってわかってたわよね? だって、あなた賢いんだから」
イザゲルさんはそう言いながら、ゆっくりと俺たちに近づいてくる。
「あのクソ王はね、病床の王妃を見ては醜いと言って悲しんだ。最初はたいした病気じゃなかったのよ。だけど王妃は、クソ王の言葉で心を病んでしまったの」
「そんな……」
「姉さんはね、王妃に頼まれて幻術を使ったのよ。夫の前では、美しくありたいって、死にかけの王妃に頼まれたの。断れると思う? いいことしたって思わない?」
黒いモヤを吐き出すイザゲルさん。彼女は俺たちの同情を誘うように眉尻を下げる。
浄化装置があるとはいえ、あまり近づくとあのモヤは危険だ。
顔を歪ませ後退りした俺たちを見て、彼女は忌々しそうに顔を歪めて続けた。
「だけど王妃はね、本当はクソ王を憎んでた。それこそ殺したいくらいにね。だから死ぬ前に魔物にしてあげたの。クソ王を殺すチャンスをあげたのよ!
私だってどうせ処断されるんだから、それくらいいいわよね? 死んだのは王子だったけど。いいいのよ、どうせ王子も腐ってた。外面だけのクソ王子! 死ねばいいって思ってた。
あはははは! 最高だったわよぉ。王妃が王子を殺したときのクソ王の顔! あー、面白かった!」
イザゲルさんは、浄化装置が作り出す光に触れない場所で立ち止まった。そして、醜い顔をさらに歪めて、腹を抱えて笑いだす。
だけど、唖然としている俺たちに目をやると、また悲し気に眉をひそめた。
「面白かった。確かに一瞬面白かったわよ……。やってやったと思ったの。だけど、失敗だったわよね。悪いことをすれば闇に堕ちるのは当然だって、こうなることを受け入れてしまったんだもの。
だけど見て? アジール博士は闇に堕ちない。汚れた魔力を使っても、愛する息子になにをしても。私にも博士くらい強い免罪符があれば、こんなことにならずに済んだのにねぇ……」
「姉さん……」
ネースさんがなにか言おうと口を開くと、イザゲルさんは開いた手を突き出してそれを制止した。
そして、俺たちにくるっと背を向けると、黙って研究を続けているアジール博士に身を寄せた。アジール博士は無関心を決め込んでいる。イザゲルさんは横目でこっちを見ながらニヤッと笑った。
「ほらほらほら、見なさいネース。あなたの大好きなアジール博士よ。本当にアジール博士って、ステキよね? こんな状況でも黙々と研究できちゃうんだから、尊敬しちゃう。
評判どおりの偉大な博士よ! うふふ。私、アジール博士を尊敬してるの。ねぇ? ネースもそうでしょ? そうよね?
あなた、博士のおもちゃが大好きだったものね。アジール博士みたいになりたいって、いつも言ってたわよね? うふふふふ。やっぱり、私たち姉弟ねぇ!」
あざ笑うようにネースさんに話しかけるイザゲルさん。その狂気の眼差しに俺たちの絶望は深まっていく。
「うっ、くっ……。姉さん……」
ネースさんが涙を流して黙り込むと、今度はハーゼン大佐が口を開いた。




