124 降参2~テイム前夜の約束~
場所:ローグ山(回想中)
語り:ミラナ・レニーウェイン
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喧嘩をしてしまった私たち。
私が悪い部分も大きかったけど、それでもオルフェルは、「ごめん」と言って抱きしめてくれた。
だけど数日後、私は突然オルフェルに振られてしまったのだ。
「ミラナ、俺はもう戻らねー。これで、さよならだ」
オルフェルが私に背を向けた。聞いたこともない冷たい声。私の目からボロボロと涙がこぼれた。どうしようもなく体が震えている。
「どうして? 二度と離さないって言ったのに……」
「覚えがねーな……」
オルフェルはそう言うと、少し言葉を詰まらせた。つらそうに頭を押さえている。最近よく見る光景だ。
「オルフェル……」
心配で手を伸ばそうとする私。オルフェルの手がそれを遮った。彼の声が震えている。
「別れよう。俺たち、あわねーだろ」
「そんな……。そんなの、最初から、わかってたじゃない!」
私は彼にすがろうとした。
私たちは確かに、性格も立場も考えかたも違う。だけど、だからこそ一緒にいれば、足りないものを補いあえるのだと思っていた。
そしてそれは、彼も同じなのだと、私は信じていたのだ。
だけど私が彼の背中に触れると、彼はその手を振り払った。やはりあの喧嘩が、オルフェルの心を変えてしまったのだろうか。
彼の目が私への軽蔑で満ちている。優しさと正義感に溢れ、敵に立ち向かう彼の瞳に、逃げてばかりの私は、どれほど卑屈で、惨めに映っていたのだろう。
私は情けなさに打ちのめされ、黙り込んだ。そして彼は、私を置いて去っていった。
どれだけ泣いたかわからない。涙が枯れるまで泣き続けた。
オルフェルのことを想うたび、胸が痛くて苦しくて、それでもどうしても、彼を思いだしてしまう。
彼の笑顔で温まる私の心。強く抱きしめられて包まれたあの匂い。夢に酔いしれながら聞いた彼の囁き。
もっと彼を知りたかった。もっと彼を愛したかった。そして、もっと、違う自分に変わりたかった。
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――またあんな目でオルフェルに睨まれたらと思うと、とても振られた理由なんて言えないよ。
どれくらいぼんやりと、思い出に耽っていたのだろう。気がつくと四つ目の水筒から水が溢れ、手がすっかり冷たくなっている。
――あんな嫉妬深くてカッコ悪い私、できれば思い出して欲しくないけど……。
そんなことを考えながら、私は水筒の蓋を閉めようとした。
「ミラナ」
「ひぁぁっ」
すぐ後ろで、オルフェルの声がして、私は手に持っていた水筒を放り投げた。せっかく水を汲んだ水筒が、ポチャンと滝壺のなかに落ちる。
「わ、え? 一応、遠くから三回くらい呼んだけど……」
「ごめん、滝の音が大きくて、全然気が付かなかったよ」
「いや、脅かしてごめん」
また気まずそうに、顔を歪ませるオルフェル。こんな顔を、もう彼にはさせたくない。そう思いながらも水筒を拾おうとすると、オルフェルと手が重なってしまった。
「きゃぁっ」と大きな声を出しながら、私が引っ込めようとしたその手に、オルフェルの指が絡みつく。
「ミラナ……。俺のこと避けてんなと思ってたけど、それ、意識してんだろ」
彼の瞳が私を挑発するかのように赤く輝く。顔が熱くなってくる。彼の熱い視線で、火事が起こってしまいそうだ。
「顔、赤いぜ」
オルフェルはニヤッと小さく笑って、いたずらっぽく瞳を輝かせた。そのまま私の濡れた手を自分の口元に運ぶ。
「ひゃぁあ、手、はなしてっ」
「はなさねーと、犬にすんの?」
――やだ。いま私がお仕置きできないの、見透かされてる!?
私はオルフェルに二つの秘密を抱えていた。ひとつは別れた理由、もうひとつは人間に戻る方法だ。
そのどちらも、私は彼に知られたくなかった。人間に戻るなんて、彼らには無理なことだからだ。
本当のことをいうと、彼らは魔物ではない。魔物だと言ったのは、彼らの心を守るための方便だった。
それでも私は嘘つきだろう。このまま彼にお仕置きを目的に闇属性魔法を使いつづければ、私は闇に堕ちてしまうかもしれない。
私にはもちろん、オルフェルたちに魔法を使う理由があった。彼らは私が調教魔法を使わないと本当に凶暴なのだ。野放しにしておくわけにはいかない。
それでも迷いながら闇属性魔法を使うのは危険だ。
闇属性魔法はほかの属性と違い、人の心を操ることができる。だからこそ、その魔法の正しさや意義、目的をしっかり把握して使わなければならない。
悪意や罪悪感を抱えて使えば、闇属性魔法は術者を蝕んでいく。
戸惑う私を、試すようにじっと見ているオルフェル。これは完全に、調子に乗っている顔だ。
「す、水筒、拾わなきゃ……流されちゃう……」
「魔力あんのに犬にしねーのは、キスしていいってこと?」
「えぇ!? いやほら、みて? 水筒がね……?」
オルフェルに握られていないほうの手で、水筒を指さす私。水筒はプカプカしながら、徐々に遠くへと離れていっている。
流れた先は崖になっていて、そこからさらに下へと水は流れ落ちていた。
だけどオルフェルは、そんなことおかまいなしに、捕まえた私の指先にキスをした。
「手冷えてんね? どうしたの?」
今度は私の指先に、ふうっと熱い息を吹きかける。全身がゾワゾワして、変な声が出てしまった。
「ひゃぁんっ、ま、まって……」
「待たねーけど」
「無理無理、わかった、もう降参するからっ」
私が思わずそう言うと、オルフェルは驚いた顔をしながら、私の手を口から離した。
「降参?」
「うん、降参! だけど、ちょっと待って? いまは、明日のテイムのこともあるから……。ね? 無事にネースさんをテイムできたら、私、なんでもちゃんと、話すから……」
「え? ほんとに……!? なんでも?」
「うん……。なんでも! でも、テイム終わってからね?」
「お、おう! そうだな! うれしいぜ!」
「だけど、ひとつだけ……、いますぐ言っておきたいことがあるの」
彼にキスされた指先で彼の胸に手を触れると、オルフェルは驚いたのかピクンと少し背中を反らした。
ここには彼が、私を想い負ってしまった大きな傷跡が残っているのだ。
「どしたの……?」
「ケガしないで……」
「うん……?」
「……今回のテイム、きっとたいへんだと思う。私たちで無理なら、まただれかに手助けをお願いして出なおそうと思うの。だから、だれのためだとしても、無理な戦いかたはしないでね?」
今度は彼の頬の火傷痕に手を触れる。
この頬や腕に残る火傷跡は、彼があの時代に背負わされた『責任』を、はたそうとしてできたものだ。
その痛々しい痕跡を見るたび、私の胸に沸き起こる想い。
『もう傷ついて欲しくない』という、私の強い願いを込めて、私は手のひらでそれを覆った。
「……わかった」
オルフェルは、また少し驚いた顔で目を瞬かせながらも、こくこくと頷いてそう返事をした。
私が傷跡の理由を知っていることを、彼は意外に思ったのかもしれない。
「あ、水筒がながされてく……」
「おぅ。俺にまかせとけっ」
オルフェルはそう言うと、川下に落ちていく水筒を追いかけ、すごい速さで水のうえを走り出した。
よく見ると足元に赤い魔法陣の障壁を出して足場にし、そのうえを跳ねているようだ。あれはヘキサシールドだろうか。
彼の発想と魔法を使いこなす才能に感心する。シールドで水面を飛び跳ねる人なんて、きっと彼くらいだろう。
オルフェルが水のうえを跳ねるたび、水飛沫がキラキラと飛び散った。
彼はそのまま大きく飛び跳ね、崖の下へ落ちていったかと思うと、水筒を握りしめて飛びあがってきた。
「はっはー! 余裕だぜ!」
「ぷは。勢いあまりすぎだよ」
その得意げな顔に、私は思わず笑ってしまう。できることなら、このままずっと笑顔でいてほしい。
これ以上、つらいことなんて、なにも思いださずに。
オルフェルは私のもとへ戻ってくると、私をギュッと抱きしめた。
「よかった。やっと笑ってくれた。テイムのあと、話してくれるの楽しみにしてるぜ」
「うん……」
「……よし、明日に備えて寝るか!」
「そうだね。早く寝よう」
オルフェルは少しはにかんで私から身体を離した。彼の温もりが消えていくのを感じて、私は少し寂しくなった。
私も抱きつきたい。だけどその気持ちをぐっとこらえる。
自分から彼に触れると、離れられなくなってしまう。また彼を喜ばせて、あとから彼を傷つけてしまう。
私が全部を打ち明けたら、彼が私を抱きしめることも、きっともうないのだろう。彼が私を見る目も、きっと変わってしまうだろう。
それを思うと、切なくて涙がこぼれそうだ。
――だけど、こんなことつづけてちゃ、だめだよね……。このままじゃ、調教魔法も使えなくなっちゃう。
――クイシス、私覚悟を決めたわ。どんな結果になったって、逃げないで、本当のことをきちんと話すの。
『そう! えらいわ。やっとなのね! 応援してるから頑張って! 私はいつだって、あなたの味方よ』
勇気を出そうとする私を、クイシスの声が励ましてくれる。
彼女はいつだって私の支えだ。
溢れた水を汲みなおして、私たちは別々にテントに戻った。




