第13話:マスター級
出発の時刻が遅かったこともあり、大通りは活気に満ちている。
町中を悠然と見回しながら大通りを歩く気分は悪くない。王都では顔と名前が知られていたので、町を歩くだけで罵声の言葉を浴びせられることもあった。
だがミネルバでは誰も俺の事を知らないので大手を振って歩く事ができる。
「先生、さっきから随分とご機嫌ですね。なにか良い事でもあったんですか?」
「人に怯えることなく普通に歩けるって本当に素晴らしいなって実感したんだ」
「人間と仲良くなりたい心優しき怪物みたいな台詞はやめてくださいよ。聞いているこちらまで悲しくなってくるじゃないですか」
俺の言葉に対してレラは苦笑いを浮かべてそう返した。
「過去を忘れて新天地で充実した生活を送る。それがセカンドライフの醍醐味ですよ先生。先生の平穏は『俺』がしっかり守りますから安心してください」
「ロイドさん。私も側にいることを忘れないでくださいね」
弟子二人の優しい言葉に対して俺は心から感動した。
後々思い返してみるとトラブルの原因の10割はこいつら二人なのだが、当時の俺はそれに気づいていなかったので二人の言葉を素直に受け止めて目頭が熱くなっていた。
ミネルバでの俺の目標はずばり『平穏な日常』だ。
目立たず、楽しく、のんびりとしたスローライフを送りたい。気のあった仲間と一狩りして、楽しく食事したりショッピングしたり、時には恋愛にもチャレンジしてみる。
専属魔導士の時とは無縁だった『平穏な日常』を手に入れたい。
よーし、セカンドライフは誰にも縛られることなく、のんびりとダラダラがんばるぞー。
さらに歩いていくと街の中央広場に到着した。広場には噴水やベンチがあり、子供たちが楽しげに追いかけっこをしている。
ミネルバは冒険者事業で有名な街だが、街並みは宗教色が強く街の中央には広場があり、そこには秩序神エメロードの代行者たる聖女の石像がある。
秩序神エメロードは偶像崇拝が固く禁じられている神様なので本来の姿は誰にもわからないが、聖女を通して神の言葉を授けていると言い伝えられているため、当時の聖女が神格化されている。
例えばこの石像は100年前に勇者パーティの一人であった聖女だ。
閑話休題。
広場から東西南北にそれぞれ道が伸びており、これが街のメインストリートとなる。
冒険者ギルドはこの広場から見て『北の方角』にある。
広場を抜けて大通りに足を踏み入れようとしていたその時。
西側から人の悲鳴が聞こえてきた。
露店が並んでいる華やかなメインストリートを一台の馬車が暴走しながらこちらへと向かって来ている。
馬車は露店を吹き飛ばしていきながら突き進んでおり、地面が舗装されているためか暴れ馬の蹄の音もよく響いてくる。
西側のメインストリートにいた市民たちは一瞬にしてパニックになり、悲鳴と怒号がこちらまで聞こえてきた。
「うわあああああああ!? 誰か馬車を止めてくれええええ!?」
御者も悲鳴を上げており、なんとか手綱を握って暴れ馬を制止させようとしているが、効果はまるでなく制御不能であった。
「なんだか大変な事になってますね」
「ちょっと馬車を止めてくる」
「え? ちょっとロイドさん。平穏な日常生活はどうするんですか!?」
そんな事考えている場合じゃねえだろアホ弟子。
二人の返答を聞くことなく走り出した俺。
肉体強化魔法の《グロウ》はすでに発動しており、逃げ惑う市民の隙間を縫うように進んでいき、馬車の進行方向の前方に俺は立ちふさがった。
前に数回、後に数回、風車でも廻すような勢いで回転させながら杖を構え、馬車を引っ張っている二頭の暴れ馬に狙いを定めて詠唱する。
「《スリープ》」
俺は睡眠魔法のスリープを発動する。杖先からは青色の光が発せられた。
睡眠魔法がかかると暴れ馬の動きがとたんに鈍くなり、その場から動かなくなった。馬の生態系には俺もあまり詳しくないけど彼らは立ったまま寝るらしい。
その後、馬が眠りについたのを確認して改めて、上級魔法の《メガスリープ》を重ねがけした。
次に馬が目覚めた時には大人しくなっているだろう。
「す、すごい!? あっという間に暴れ馬を眠らせてしまいやがった、あの兄ちゃん!」
「でもあの人、どうして《メガスリープ》が使えるのに《スリープ》から使ったんだろう?」
市民がそう呟いたのが聞こえてきた。
たしかに不思議に思うかもしれない。だがそれにはちゃんとした理由がある。
今回俺が使用した魔法は対象を眠らせることができる初級魔法の《スリープ》だ。
この魔法の優れている点は主に二つある。
一つ目は効果時間が短いものの確実に眠らせる事ができる点。
二つ目は詠唱までの時間は2秒と短い点。
たった数秒の差でも少しでも被害を減らすためなら、俺は迷わずこの魔法を使うだろう。
ここで《メガスリープ》を選ぶ奴は俺からしてみれば判断が間違っている。
『どんな魔法が使えるか』よりも『適切に魔法を使えるか』が、魔導士にとって一番大事だと俺は考えている。
辺りを見回すと道の端っこで座り込んでいる壮年の貴婦人がいた。女性は右足を押さえており、その顔には苦痛の表情が漂っていた。
俺はその女性に駆け寄って目線を合わせる。
「失礼マダム。どうかなさいましたか?」
「実はさっきの馬車を避けたせいで右足が……」
女性の右足は赤く腫れ上がっており、打撲が原因でポッキリと折れているのがわかった。
「どうやら足の骨を折っているようですね。いまから治療します」
「え?」
「《ヒーリング》」
中級治癒魔法の《ヒーリング》を使用した。
先ほどまで赤く腫れ上がった骨折した足が徐々に治っていく。魔法をかけて5秒後には完全に治ってしまった。女性は痛みが引いた足を見て感動をする。
「す、すごい! 骨折した足が治ってしまったわ!」
「す、すげえあの兄ちゃん……。馬車を止めただけでなく治療魔法まで使えるなんていったい何者なんだ……?」
人々は口々にそう呟いた。
名乗るほどの者でもありませんよ。すこしお節介焼きのただの魔導士だ。
心の中でそう呟く。アイリスの言い回しが伝染した気がする。
いずれにせよ人前で目立つのがそんな好きじゃないので、わざわざ自分の正体を明かしたりはしない。
それに今のテーマは『平穏な日常』なので、事が大きくなる前にさっさとこの場を立ち去ろうとしたその時。
「そりゃそうさ。先生はすげえんだぜ! なんたって魔法の腕前は『マスター級』だからな!!」
マルスがまるで自分のことのように自慢した。
「「「「「マスター級!!?」」」」」
マルスの言葉に大通りにいた人々が全員驚愕する。
急に周りの雰囲気が変わり、俺はその場に硬直した。
な、なんだこの雰囲気。
市民たちの目線が、敬服と畏怖の二つを併せ持ったような異様な視線へと変わった。
「お母さん、マスター級ってなーに?」
4歳くらいの子供が母親に質問する。
「マスター級とはね。魔導士の中でも最高ランクに位置する大魔導士様のことよ。つまりすごい人なの」
「お兄ちゃんすごーい! かっこいいー! わたしと結婚してー!」
子供は俺に手を振りながらキャッキャと笑っている。
他の人々たちも「マスター級」と口々に繰り返している。
「おい! いったい何の騒ぎだー!」
すると、騎士の鎧を纏った男が三人、メインストリートに駆けつけてきた。
「騎士さん聞いて下さい! あの人すごいんですよ。馬車の暴走を一人で止めたんです! それに私の治療までしてくれたんです!」
「しかも魔法の腕前はマスター級らしいぜ!」
人々が騎士に駆け寄って口々に俺の事を話し始めた。
「マスター級だと!? おい貴様、公共の場でマスター級を名乗る事は重罪だぞ! 人々を助けたみたいだから今回は見逃してやるが今度マスター級だと騙ったときは牢屋にぶち込むぞ!!」
騎士は俺に詰め寄り、俺の顔に唾が飛んでくるほど超至近距離で怒鳴り声を上げる。
マスター級であることを実際に口にしたのはマルスだ。
俺は無実だ。牢屋にぶち込むなら俺ではなく弟子のマルスにしてくれ。
てか、俺より先に馬車の方を対応しろよ。優先順位完全に間違っているだろ。
馬車が通ったルートをざっと見た感じ、被害総額は金貨100枚をゆうに超えそうだ。
騎士たちの横暴かつ尊大な態度に俺は不満を覚えた。
「大体こんなに若い奴がマスター級なわけないだろ!
マスター級って言うのなら収納超魔法の一種である《アイテムボックス》の一つや二つ……」
「《アイテムボックス》ってこれのことか?」
見知ったキーワードが飛び出してきたので、つい反射的にアイテムボックスを騎士の目の前に出してしまった。
アイテムボックスは宝箱のような形をしている長方形の箱で、大きさはおよそ1メートル程度。
ちなみにアイテムボックスも魔法の一種だ。
「って、うええええええええええええ!? 本当にアイテムボックス出せるんですか!?」
すると目の前の騎士は悲鳴を上げながら尻餅をついた。
「まあ容量はたったの1000程度だが」
「容量1000!? あの大魔導士クロウリーさまでも容量は100なのにその10倍!?」
目の前の騎士は驚きすぎて失禁して気絶した。
残り二人の騎士だが、さっきまで怒っていたはずなのに突然満面の笑顔になった。
「やあキミ、話があるからこれから騎士団の駐屯所まで来てくれないかい? なーに悪い話をするわけではない。騎士という職業に興味がないかを聞きたいだけさ。最近の騎士は剣術だけでなく魔法の分野にも力を入れていてね。キミ……貴殿のような素晴らしい大魔導士を大先生として必要としております」
「騎士団長にも貴殿の事は素晴らしい大魔導士だと伝えておくよ」
おべっか全開で俺と対話し始める騎士二人。
こえーよこいつら。俺がマスター級だとわかるや、ほぼ全員が手のひらをぐるんぐるんとドリルしてくる。
あまりの異様さに俺は恐怖すら覚えてきた。
「ろ、ロイドさん! て、手遅れになる前にはやく逃げましょう!」
「お、おう……そうだな! 流石にこの状況はヤバそうだ」
「「「「あっ、ちょっと待ってください大魔導士様ああああああああああああああ!!」」」」
ゾンビのように迫ってくる市民に対して、俺たち三人はその場から逃げる事に決めた。
「《スリープ》!」
レラは追って来る市民に対して慌ててスリープを放つ。
だが、興奮状態に入っている彼らはレラのスリープを抵抗した。
「ちょっ、ゾンビですかこの人たち!?」
「気持ちはわかるが市民に向かってゾンビとか言うなバカ! あと魔法もやめろ、あとあと問題になるだろ! ここはもう気合いで逃げるぞ!」
「うわあああんっ! どうしてこうなっちゃうんですかマルスくんとロイドさんのバカーっ!」
レラは悲鳴を上げながら我先にと逃げ出した。
さすが先輩だ。宣言どおり逃げ足だけは一番早い。
レラに続いて俺もその場から逃げようとする。
しかし、俺は逃げる直前にある事を思い出した。
俺は放心している御者に視線を移す。
周りの市民は熱狂しているが、この御者だけはどこか遠くを見ているようだ。
まあ無理もない。彼は今回の件で相当な額の賠償金を支払う事になるだろう。
別に放っておいても構わないが俺も専属魔導士の端くれだ。
「おい」
「は、はい!?」
突然声をかけられた御者は俺に気づくとひどく動揺する。
「受け取れ」
俺は御者に自身の財布を投げた。
「え? こ、これは?」
「その中には金貨200枚が入っている。少しは返済の足しになるだろう」
御者は地面に頭を擦りつけるように頭を下げる。
「あ、ありがとうございますうううう!!! この御恩は一生忘れません!」
「気にするな。これでも一応稼いでいた。それくらいならノーダメだ」
俺はそう答えて、今度こそメインストリートをあとにした。
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